歴史上初めて樹皮紙絵巻Wayang Beberの製作時期が明らかに

歴史上初めて樹皮紙絵巻Wayang Beberの製作時期が科学的に明らかに !!

  今では世界に3か所しか現存が知られていないカジノキ樹皮を用いた絵巻Wayang beberの製作時期について、諸説が出されてきた。最近では、クロアチアの2人の文化人類学者が以下のような見解を出していた。
  「歴史家ラデン・マス・サイドによると、パチタンの6巻から成るジョコ・クンバン・クニンの物語の絵巻ワヤンベベルは、17世紀末に Sunan Mangkurat II王により注文され製作された。そしてウォノサリの絵巻ワヤンベベルは、Sunan Paku Buwono II王の下で18世紀初めに製作された」と。そして現在の2つの村に継承されるに至った経緯が、膨大な先行調査研究の文献や史料を読み込みインタビューを行い、たどりついた成果として記された。
  それらの先行文献調査研究に対し、日本側の保存修復支援チームでは科学調査研究の実現に尽力してきた。

本測定の測定結果は、2018年12月7日にロンドンのKew植物園で開催される「Conservation of Barkcloth Material:One day symposium on the conservation of barkcloth from any part of the world 」で報告される予定である。乞うご期待!!
Arts & Humanities Research Council University of Glasgow Royal Botanic Gardens, Kew Smithsonian Institution National Museum of Natural History
  
  この時点で明らかになった事をお知らせしておくと、世界に現存する2か所の試料は、14世紀-17世紀の製作時期を示すテスト測定値を示した。これまで、科学的根拠に欠くWayang Beber製作時期の記述しか無かったのに対し、やっと放射性炭素年代測定法に基づく測定値が得られたことは、夢の様であり画期的なことだ。 12月の本測定結果は、もう少し年代幅が縮まると見込まれている。
  以下は、テスト値と同時に公表された説明である。
  Radiocarbon dating of the beaten bark cloth/papermaterials as Tapa was conducted at Laboratory of Radiocarbon dating,The University Museum, The University of Tokyo (LRD.UMUT). Thesamples were treated with ultrasonic cleaning and Acid-Base-
Acidmethod for removing contaminants, and then converted to graphitetargets using a graphite preparation system at LRD.UMUT. Since recent accelerator mass spectrometry are measurable from 1 mg to 0.1 mg of graphite, age determination of minimal sample fragments is possible. Trial experimental results fell into the range of the 14th-17th century AD.
f0148999_18170406.jpg

  日本側の樹皮紙Beaten Bark資料に実施されてきた、素材のDNA分析や放射性炭素年代測定の実施事例が今後増え、学術調査研究が本格化していくことが願われる。


[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2018-09-22 18:18 | ワヤン・ベベル  

樹皮紙製絵巻Wayang Beberの保存修復支援は続く

ジャカルタWayang博物館での支援活動公開ギャザリング

  ユネスコの世界無形遺産として登録されたインドネシアの伝統芸能ワヤンの中で最も古い源流に位置し、芸能性と共にその絵巻自体に秘められた儀礼性、神聖性が注目される絵巻ワヤンベベル。
  今や、オランダのライデン国立民族学博物館とインドネシアの2か所の村パチタンとウォノサリの世界3か所にしか現存が確認されていない、非常に希少な歴史遺産となっている。
 その歴史については、様々な先行調査研究があるが、どうも間接的な史料や伝聞によるものが多く、精彩を欠く印象が強い。
  2002-3年に吉備国際大学文化財修復国際協力学科留学生であったTeguh Sehanuddinさんにより、モノ自体にフォーカスしたワヤンベベル絵巻及び絵巻素材のダルアン樹皮紙(最新の調査研究では、ワヤンベベル用にはダルアン紙の中でも最高級品質のポノロゴ紙が使われた、とする)に関する画期的なフイールド調査が実施され、2004年にIdentifikasi Naskah dan Kertas Dluwangと題しまとめられた。
  今次の国際交流基金アジアセンター助成では、学術科学的な調査研究とアート芸術的な領域との”はざま”を橋渡しし、世界最高峰の技術と美しさ、そしてリチュアルな面を残してきたワヤンべベルの総合的な保存継承を支援していくとしている。
f0148999_00031588.jpg
  2018年9月28日にジャカルタWayang博物館において、3時半からバンドン・ダゴから来てくれたMufidさんと仲間達のダルアンdaluang製作実演と彼の創業から11年間の活動記録展、4時からギャザリング開催呼びかけ人の坂本勇さんから開催趣旨の説明、ユネスコ・インドネシア事務所の千葉萌絵さん、Mufidさんの製作に込めるメッセ―ジ、国際交流基金ジャカルタ事務所スタッフで坂本さんの20年前の樹皮紙調査にも同行したDianaさん、ワヤン博物館Esti館長の挨拶。その後2006年日本チーム製作ワヤンベベルPacitan記録ダイジェスト版ビデオ上映(当時のマスター撮影カセットが、今となっては非常に貴重となった事から、インドネシアで12年振りに大探索となった)。
会の様子は以下参照。
f0148999_23481922.jpg
f0148999_23491857.jpg


[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2018-09-19 00:15 | ワヤン・ベベル  

ワヤンベベル絵巻保全支援活動リーフレット

2018年7月インドネシアで開催されたパンジーフェスティバル行事で配布されたリーフレット(英語版)

  ポノロゴ紙を用いて昔々に作られたワヤンベベル絵巻は、絵巻の背後から光を照らして透過すると、漉けるような約0.07mmの薄さを確認できる。リーフレットの上部の背景画像は、透過光で見た約1mm格子状のビータ―の痕跡です。国際交流基金アジアセンター助成で行われている事業であることや日本の支援内容が書かれています。インドネシア語版も配布されていた。
f0148999_09515484.jpg

*リーフレットで紹介された内容などが、KOMPASIANAの以下のURLDjuliantoSusantio により「PelestarianWayang Beber Jawa Dibantu Jepang dan Kroasia」と題して投稿が載った。

https://www.kompasiana.com/djuliantosusantio/5b4695faab12ae251010deb2/pelestarian-wayang-beber-jawa-dibantu-jepang-dan-kroasia




[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2018-08-19 10:10 | ワヤン・ベベル  

正倉院の紙より古い起源のポノロゴ・ペーパー

古代ジャワの不思議な紙を使った絵巻ワヤンベベル

  ユネスコの世界無形遺産として、2003年にワヤンが登録されました。日本のワヤン研究の第一人者である松本亮さんの説明によれば、インドネシアでのワヤンの最も古い形が、ワヤンベベルWayang Beberだとされています。ワヤンの歴史を知る上で非常に重要なのです。
  数百年間、世代交代を繰り返して継承され使用されてきた伝統スタイルのワヤンべベル絵巻用の最高品質のポノロゴ・ぺーパーPonologo Paperを作る高度な技術集団が、職業として成り立たず絶えてしまったのです。そのため、インドネシアに現存する2か所の村の伝統スタイルのポノロゴ・ペーパー製ワヤンベベルは、瀕死の状態まで劣化損傷が進んでしまい、まさに今後の修復作業や再生させていく上で壁にぶちあたっています。
  ポノロゴ・ペーパーは、樹皮紙ダルアンDaluangの中でも最高品質のもので、和紙などにも使われるカジノキの白皮を職人達がブロンズ製ビータ―で4mもの長さにまで叩き延ばし、その厚みは約0.07mmという現代のコピー用紙の約0.1mmよりもさらに薄く作られています。

  ワヤンベベル製作用の基礎技術が途絶えてしまっている状況に、カジノキや和紙が身近にある日本が貢献できると考え、2003年頃から日本で文化財修復を学ぶ若い方々らが支援活動を始めました。2007年には、NHK-BSのアジアクロスロードという番組で15分ほど活動が報道もされました。
(Daluang Bandung, Wayang Beber Pacitan by NHK - 2007
https://www.youtube.com/watch?v=gCS-B7Mdtgo参照)

  しかしながら、現在に伝わる昔のワヤンベベルそのものを調べれば調べるほど、失われたポノロゴ・ペーパーの製作技術、そしてセットで使われたであろう道具(Beater)等々についての、解けない謎が増えていき、支援活動は滞った。

  初期の伝統ワヤンベベル保存継承支援活動から15年程の歳月が過ぎ、2018年に新たな幸運というか、力強い追い風が支援活動に吹いてきた。2016年からワヤンベベルのフイールド調査を行っていたクロアチアの文化人類学を学んだ2人の若手や日本人ジャワ文化研究者、紙文化財修復家らがコアになって、新たな情報発信を行い、具体的、技術的に難局を克服していこうと、これまでみられなかったような挑戦が始まったのです。
  インドネシアの2つの村パチタンとウォノサリにしか現存が確認されていない伝統スタイルのワヤンベベルですが、オランダ・ライデンにもポノロゴ紙製のワヤンベベル6巻の現存が確認され、2018年5月に全6巻のコンディション調査が、タイミング良く参照画像のように日本人専門家により実施でき、技術的な情報を増やすことが出来たのです
f0148999_15311907.jpg
  相次いで奇跡的なことがあって、10年以上所在不明となっていた、プロカメラマンにより撮影された貴重なワヤンベベルのパチタンでの上演記録マスタービデオ14本が、新たな探索により発見され、運よく廃棄を免れ保全されることとなった。
f0148999_09261137.jpg



  


  ここでは多くを紹介できませんが、日々感動しワクワクするような事が、インドネシアでは続いています。

 *2018年8月18日9:30amに記事補足を追加した。



[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2018-08-14 15:49 | ワヤン・ベベル  

三陸海岸に構築された万里の長城

三陸海岸に構築されつつある巨大防潮堤


  20183月、7年ぶりに釜石から気仙沼にかけての三陸海岸を鉄道とバスで旅した。


  阪神淡路大震災時の地震災害と違って、東日本大震災の場合では、津波の波が到達したか否かで被害に明暗が生じる特徴がある。三陸海岸沿いに走る国道45号線を行くと、道路がアップ・アンド・ダウンし高低差に拠って津波被害が生じたり、生じなかったり、災害の明暗が分かれることに気づく。

  吉村昭のルポルタージュ『海の壁~三陸沿岸大津波』に記された過去の津波被災の記録と2011年に発生した東日本大震災の津波被害のことを重ね合わせながら、人はどのように「次なる津波災害」に備えていくのだろうか…と考えさせられた。


  私にとっての、東日本大震災前の「東北」は、北海道に行く際の飛行機の眼下に見える陸地にしか過ぎなかった。東日本大震災を契機に、震災発生から10日目に宮城県内の宮城野地区、蒲生地区、若林区荒浜、仙台塩釜港地区、亘理地区などを阪神淡路大震災時の人脈で調査して廻る機会があった。その縁で、2012年2月頃まで東北に頻繁に通う事となった。

  同時に、東北の歴史・文化にも触れる機会が増え「東北の縄文の土偶」などの素晴らしさに感動したことを思いだす。東北は非常に精神性の高い文化を抱える地域である。注目している「切り子」という正月などに飾られる手の込んだ和紙の切り紙細工にも、神々しさが秘められていて、東京や大阪にはみられない、祖霊や神々を重んじる風土が広範囲に見られた。殊に、漁師の家では、大きく立派な切り紙飾りを正月前に求め、神棚に飾るようだ。

  そのような精神性が高く素晴らしい歴史と基盤を有する東北の震災復興の姿に期待している。


  だが、三陸海岸に次々と出現してきた巨大な防潮堤は「三陸海岸の万里の長城」のようであり、精神性を高く保持してきた東北、そして海の民には不似合いなものに思えた。太平洋岸の津波被災地に巨費を投じ400kmほどの総延長で建設される予定の、あたかも外敵の侵入を防ぐ万里の長城のような巨大構築物。それは、古代から「海から来る神様」「海を介在して広がるヒトとモノのネットワーク」として大事にしてきた開けた海を閉ざしシャットアウトしてしまう、歴史上の「とんでもない事」をやっているように思える。

  そして、海に注ぐ沢山の河川にも連なったコンクリート製の防潮堤が影響を及ぼし、これまでの生態系の破壊を引き起こす事は無いのだろうか?


  おそらく、陸の側から考えて「自分たちに都合の良い安全対策」としての巨大な津波対策の防潮堤なのだろう。しかし、今回歩いた気仙沼の合同庁舎の前の防潮堤(画像参照)を、海側から見て触った時に「ベルリンの壁」のように、冷徹に海と陸を分断してしまう障壁なのだと感じた。もし、運悪く津波が到達する直前に海から合同庁舎前の海岸に辿りついても、津波遮蔽板が下され5m以上ありそうなそそり立つ壁を越える選択肢は残っておらず、壁の前で助からずに溺死するのだろう。こうなると海側から見ると「死の壁」となるだろう。  

  このような結果を招いた原因の解明は今後のために必要だろう。そして、インドネシアのアチェ大津波から5年後に、州都バンダアチェから西海岸のムラボ―まで、現地の方の車で往復した時に体感した「再生に向かう美しい緑の海岸線」「陸と海が共生する暮らし」「神々しい人々の笑顔」のことが思い出される。

f0148999_18404900.jpg
 美味しい東北の味覚を味わえたが、考えさせられる旅でもあった。  <2018.3.19 10:20 一部記事補足>


[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2018-03-18 18:52 | 東日本大震災  

投稿を休んでいた1年をレビュー

インドネシアでのBeaten Bark樹皮紙調査研究の広がりと国際的連携の変化

  これまでの先人らに拠る樹皮布TAPA,Bark-cloth調査研究は、今から250年前にジェームズ・クックが南太平洋で”TAPA"と出逢い、本国に持ち帰ったことから始まるとされるが、面白いことに何十年周期で社会的関心が「高揚」する時期と「低迷」する時期が波のように見られる。現在は、珍しく大きなうねりのような高揚期にあるようだ。

  この一年で、最も印象深いのは、フランスで2017年7月に出版された600頁を越える豪華本『TAPA ~ From Tree Bark To Cloth: An Ancient Art of Oceania, From Southeast to Eastern Polynesia 』(Michel Charleux編 ISBN 978-2-7572-1209-7)のことだ。
  今も多くの南太平洋をフイールドとするTapa研究者は、クックの招来以降、タパはこの地域固有の伝統技術であり文化であると考えているが、本の副題に記された様に、やっとオセアニアのタパの源流は中国南部あたりにあり、東南アジアを経由して伝来されたことに気づき始めた。その裏づけとなるのが、近年調査研究成果が増えてきたオーストロネシア語族Austronesian研究だ。
  源流側で、現時点でのことだが、最も豊かにBeaten Bark樹皮布/樹皮紙の「生きた化石」のようなモノが残っているのが、東南アジアのインドネシアである。

  2つ目の事として、国際交流基金アジアセンターのフェローシップ(助成期間1年)を受け、2017年6月までインドネシア(3週間ほどベトナム)でBeaten bark樹皮紙の調査研究を行っていた坂本勇SAKAMOTO Isamu(Freelance Senior Paper Conservator)の成果がある。これまで、欧米人、インドネシア人による樹皮紙古文書Daluangのテキスト研究は活発に行われてきたが、素材Materialや技法の掘り下げた専門的な調査研究は無く、最初の調査となった。調査対象となったのは、ジャカルタにある国立図書館古文書部門のコレクションと西ジャワおよびソロに残された樹皮紙Daluang文書であった。国立図書館所蔵分が126点、その他が約170点であった。調査は、1点ずつの全頁を携帯型のライトボックスで透過し、紙質・技法・特徴などを観察する方法で、一般的には時間がかなりかかり難しい。この調査で明らかになったショッキングな事は、現行のインドネシアの古文書カタログには、古文書素材の呼称に統一性が無く、国立図書館の例では、樹皮紙Daluangダルアンという呼称は一例も無く、gendhong、teraが主で、数例kulit kayuが使われていた。そして、国立図書館の古文書部門スタッフや古文書学者の多くが、正確に素材の判別が出来ない事実がある事は2重のショックであった。今後、詳細なマテリアルや製法についての調査データや、気になる新石器時代にスラウェシにもたらされたBeaten bark技術や文化と、その後のヒンズー文化の要素が色濃く見られるDaluang技術や文化と、どのような接触や関係性があるのか、続報を期待したい。

  3つ目の特記しておくこととして、クロアチアの2人の若手女性文化人類学徒が2016年に引き続き2017年に危機にあるワヤンベベルWayang Beberの調査を実施し、以下の論文タイトルで発表してくれたこと。なお、ワヤンベベルとは、4mほどの長さの絵巻であるが、古文書と同類の樹皮紙Daluangの上に独特の絵画技法で物語を描き、語り手が1シーンずつ巻き送りながら上演するものだ。その絵巻の素材が、厚さ0.07mm程で、非常に高度で繊細な技法であることから、インドネシアの樹皮紙の中でも最高レベルの文化遺産とされる。現在、インドネシアには2か所にしか現存せず、後世に活きた形で引き継いでいけるよう緊急の保全策が求められている。論文タイトル:REVIVING JAVANESE PICTURE SCROLL THEATRE by Marina Pretković & Tea Škrinjarić

  4つ目は、最初のフランスで出版された豪華本とも脈絡が通じるが、ユネスコの太平洋事務書が域内14ヵ国の共通の無形文化遺産としてTAPAを登録し、その保護に乗り出そうという動きだ。呼びかけは以下のような内容となっている。
I am pleased to inform you that 12 out of 14 Pacific island states are now parties to the Intangible Cultural Heritage Convention (ICH). The remaining countries (Solomon Islands and Niue) are also working towards ratification.
The ICH Convention provides the opportunity for safeguarding skills, knowledge, cultural meanings and social functions related to TAPA making.

  5つ目は、2018年が日本・インドネシア国交60年、またジェームズ・クックの初航海でTapaを持ち帰ってから250年という節目に当たっており、関係する各国でBeaten Bark樹皮布/樹皮紙を扱った調査研究やワークショップ、そして様々な行事が計画され、行われる予定であること。

  1年間の筆不精をお詫びし、時々更新し、フォローアップしていけるよう努力したい。

[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2018-02-23 14:05 | Beaten Bark樹皮紙  

ジャカルタでのDaluang/ Wayang beber 勉強会(IHA-NSG主催)

Indonesian Heritage Association 夜の勉強会 案内(一般参加可/要事前申込)
                       
 f0148999_10554178.jpg                                
  国際交流基金アジアセンター長期フェローとして5月までインドネシアに滞在中の坂本勇氏のBeaten Bark(樹皮布/樹皮紙)についての、最新の調査研究報告。貴重なワヤンベベルの2006年撮影のビデオ上映もあり。
  また、今年の1月から4月までクロアチアの首都ザグレブの民族学博物館でワヤンベベルをテーマとした展覧会が2人の若い文化人類学徒の昨年のフイールド調査を基に開催されました。その報告及び今後のインドネシア内外でのワヤンベベルの理解と保護を目的とした諸活動についての若い世代からの報告もあり。                                                                                                                                              


[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2017-04-21 11:15  

ホントに石器ビータは「透かしwater-mark技法」に使える道具?

3つの判断根拠

  以前の事だが、台湾の権威ある考古学者などは、模様の刻まれた石器は陶器の表面に模様を刻印する道具であって、樹皮布などに透かし模様を加工する道具ではない、と猛反発された時期もあった。

  現在では、猛反発された石器ビータであるが、以下の3つの根拠から、「透かしWater-mark」を樹皮布などの表面に加工する道具とされる。
1つめは、2008年8月に中部スラウェシの秘境と当時言われていたバダ渓谷で、用途の見解が分かれていた問題の石器を所有する老婦人が偶然の幸運で見つかったのだ。この婦人は、非常にレアな模様の刻まれた石器ビータを保有していて、使い方を自ら説明してくれたのである。この生き字引のような老婦人の説明があったことで、長く続いてきた混乱の論議に決着がついた。
f0148999_16194118.jpg
 
<画像>混乱した論議に終止符を打った中部スラウェシ・バダ渓谷の老婦人(2008年8月撮影)


  2つめは、ハワイには樹皮布に3-400種類とされる透かしwater-markを加工する技術が存在した点である。 100年以上前の透かし模様の加工された樹皮布が数百枚残されていて、樹皮布に透かし模様を加工する技術が
 認められた。

  3つめは、石器ビータへの関心が高まり、世界各地で見つかった石器ビータの比較研究が進んだことによる。 石器の周囲全体にラタンなどの取っ手を固定する溝が刻まれていると、機能的に強い力で振り下ろす使用法が
 自然であり、陶器の表面に刻印する用途には適さない事が分かってきて、用途の見分けが可能となった事。

  樹皮布/樹皮紙技術を数万キロの距離で伝播させたオースロトネシアンに関する調査研究は、まだ始まった
 ばかりの感があり、石器ビータを専門的に調査研究する方は極めて少ない。また、透かし模様を加工する石器
 ビータは、単独でも専門外のコレクターに収集されてしまうことが多く、発見時の科学的データが失われてい
 たり、豊富な数での比較研究が、なかなか出来ない状況なのである。
  この樹皮布/樹皮紙に「透かしwater-mark」を加工できるということは、素地の品質が均質で良好であるこ
 とを示しており、”紙の起源”という別の観点からも世界各地での「ユニークな透かし模様の刻まれた石器ビー  タ」の発見例が増えていくことが願われる。



【近刊】《Austronesian Diaspora~A New Perspective》Proceeding of International Symposium 2016 at Nusa Dua Bali.
     ISBN 978-602-386-202-3
f0148999_21051930.jpg

   インドネシア国立考古学研究所(ARKENAS)が昨年7月に主催し行った国際シンポジウムの記録集。発行
 元はガジャマダ大学出版部(ugmpress@ugm.ac.id)
   主として前回開催の国際シンポジウムから10年を経た、インドネシアにおけるオーストロネシアン調査
 研究の最新成果をまとめたもの。36人が執筆。全594頁。


*第2項は、2017年3月5日日本時間21:10加筆した。

[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2017-03-05 16:45 | オーストロネシアン研究  

「透かしWater-mark 技法」を発明したオーストロネシアン

新石器時代に存在した「透かしWater-mark」技法

  オーストロネシアンと樹皮布.樹皮紙(Beaten Bark)の調査研究も9年となり、各国研究者の応援もあって基盤となる技術や道具については明らかになってきた。その中で、一番の驚きは、なぜ灯りの乏しかった新石器時代の生活の中で、明かりで透過しないと視認できなかった「透かしWater-mark」という超高度な発明をしたのだろうか? という点だった。

  閲覧されている方々も、現代のお札を引っ張り出して、偽造防止に使われる「透かしWater-mark」を観察して下さい。光にかざさないと(透過)させないと見えませんよね…。夜でも昼でも認識できるアクセサリーやブレスレットなら理解できますが、光にかざさないと認識できない、形がとらえられない、非常に抽象的な技術を何の必要性があって発明し、それも執拗に大切にして、ドンドン高度化させたのか? 
  どうも、石器ビータに刻まtれた透かし模様には「大事な意味」があったように思える。単なる道具を美しく飾る装飾ではなく、透かし模様自体に大事な役目があったのではなかろうか。

  最近の発掘事例で、科学的に推定年代が分かっている「珠江デルタの透かし模様の石器ビータ」は、今から約4,000年前とされる。この珠江デルタ地帯は、石器ビータの出土例が多いようで、現在最古とされる石器ビータは6.800年前頃とされる。
  まずは、世界3カ所で見つかった「透かしWater-mark」を樹皮布/樹皮紙に加工する石器ビータの紋様を、ゆっくり観察していただき、発明の謎を考えていただければと思う。

1.中国・珠江デルタ地域 1点 (科学的出土遺物年代測定では、約4,000年前のもの)
f0148999_11163553.jpg

2.中南米 メキシコ 7点 (マヤ・アステカ期、マヤ絵文字の刻まれた8c頃の石器ビータ含む)
f0148999_19543516.jpg



f0148999_11171645.jpg
f0148999_10565314.jpg
f0148999_20291453.jpg
f0148999_20271327.jpg
f0148999_20283777.jpg

<メキシコとハワイの透かしwater-markには、似た模様・パターンがある>
  左の画像の透かし模様など、メキシコの石器ビータの「透かしwater-mark模様」に時々見かけ
るものだが、どういう訳か「ハワイの樹皮布Kapaに加工された透かしwater-mark模様」と非常に似
ている。ハワイの樹皮布に透かしwater-markを加工する道具が、すべて4角面のバトン型木製ビータで
あるために、この画像一覧から除外した。
  ハワイのKapaに加工された「透かしwater-mark」模様は、ビショップ博物館の調査では300
種類以上とされ、個々の模様・パターンにはそれぞれ固有の名称がつけられていた。品質も、時には
シルクの極薄スカーフと見紛うほど素晴らしいものがあったハワイのKapa。 そこに残された透かし
water-markについては、後日書くつもりである。







3.インドネシア・中部スラウェシ(Napu Valley, Bada Valley, Besoa Valley) 5点

f0148999_11174611.jpgf0148999_10490479.jpg






f0148999_11385610.jpg

f0148999_11270516.jpg













f0148999_20281111.jpg







 



 
    中部スラウェシの透かし模様の石器ビータの科学的年代測定は行われていない。
 中部スラウェシのユニークさは、世界で唯一、約3,500-4,000年頃の遺跡から出土
 した多数の石器ビータと同じ形の石器ビータのセットを、現在の職人らも使い続けている点であ
 る。 文化人類学者は「生きた化石」の地と呼ぶ。



[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2017-02-26 22:12 | オーストロネシアン研究  

サヌール・バリの元日

アウトリガー・カヌーの上に昇る初日の出

  随分とお休みしていたブログを再開します。

f0148999_23313594.jpg

  昨年2016年は、オーストロネシアン研究やBeaten Bark調査研究に大きな動きがあった。
① 約10年ぶりで、インドネシア国立考古学研究所主催の“International Symposium on Austronesian Diaspora”が7月18日~23日までバリのNusa Duaで開催された事。

② 9月26日~29日には、第16回インドネシア古文書国際シンポジウムが国立図書館で開催された事。(参加者全員にDluwang:Cultural, Historical Aspects and Material Characteristic Research 1995, Commentary by Prof.Sakamoto, World Journey to seek The Beaten Bark Paper- Indonesia という3つのコンテンツが入ったDVDが配布された。)

③ そして11月2日~30日までジャカルタ・テキスタイル博物館で「Beaten Bark: Hidden Treasure~Fuya, Tapa, Daluang」という企画展が開催され、オランダ、台湾、香港からゲストが招かれた事。(冊子体カタログおよびPDF版企画展カタログが製作された。)
 
 時々の情報を発信していきたい。

[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2017-01-01 07:00 | 身辺雑記  

正倉院展と乞巧奠(きっこうてん)

正倉院展(第67回)の目玉のひとつとなった乞巧奠(きっこうてん)

  2015年秋開催の第67回正倉院展では、すでに奈良時代の聖武天皇の時代に天皇家でも執り行われていた七夕行事である「乞巧奠(きっこうてん)」の儀式に使用された9点が出陳されていた。内訳は、銀針2本、銅針1本、鉄針2本(うち1本には赤色縷断片つき)、緑麻紙針裏、それぞれ巻いた赤色縷(赤い縫い糸)、白色縷、黄色縷という構成であった。収蔵倉はいずれも正倉院南倉である。
  今回の展示で、奈良時代の乞巧奠(きっこうてん)においては、織布が広く普及しており、糸と針が儀式で供えられていた点が強調されているようであった。

  以前の2007年8月22日付の当ブログで「冷泉家と乞巧奠(きっこうてん)」という記事を載せ「乞巧奠(きっこうてん)儀式で重視されるカジノキ」についての考察を行った。
  その後の目覚ましい進展はなく、織物文化が普及した中で、「南方圏で神聖な白い樹皮布Beaten Barkの原料として世界に伝播したカジノキの葉っぱが、なぜ日本の乞巧奠で最も重要な場面で使われるのか?」「江戸時代になっても、なぜ七夕の飾りに大きなカジノキの葉っぱが根強く用いられるのか?」等などの謎は解けていない。
  また、白妙、幣、木綿(ゆふ)、あるいは日本の正月飾りやメキシコなどに見られるシャーマンの「切り紙」の古形は、南方のタパのような叩きのばした樹皮紙/布Beaten Barkではなかったのか?という問いと共に未解決である。
  
  一方、カジノキ自体についての関心は内外で高まってきた。
オーストロネシア語族とカジノキ(Paper Mulberry)の伝播の関係性に着目し、太平洋をはさんだ世界各地から採集したカジノキのDNAを比較した挑戦的な本として、例えば以下の学術書がある。
書名:A holistic picture of Austronesian migrations revealed by phylogeography of Pacific paper mulberry.共著者:Chi-Shan Chang, Hsiao-Lei Liu, Ximena Moncada, Andrea Seelenfreund, Daniela Seelenfreund, and Kuo-Fang Chung. PNAS. published 5 October 2015
  国内各地でも、大阪四天王寺、奈良国立博物館、諏訪大社などカジノキを植える場所が増えている。福井県越前においては、カジノキを植栽し、人間国宝の岩野市兵衛氏がカジノキを原料とする和紙を漉く活動も盛んになってきた。

  世界の人々を今も惹きつけるカジノキ。不思議な木である。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2015-11-04 15:13 | 乞巧奠とカジノキ  

安保法案強行は法治国家の基盤を破壊する

安保法案強行、法治国家の基盤を破壊する安倍自民党・公明党

  いくら時代の流れで安保法案の必要性と願望を安倍自民党が訴えても、元内閣法制局長や山口元最高裁長官ら“法の重鎮“が「安保法案の違憲性の指摘」をしても無視する無法ぶりと奢りは、法治国家の基盤を破壊していく暴挙となってしまう。
  なぜ、多数の憲法学者や法律家が「安保法案の違憲性」を表明し多数の国民が反対しているか? 政権を担う立場のものは国の法的安定性を図る上からも異論・反対に耳を傾け、丁寧に違憲性を解消していくのが、法治国家を護っていく最低限の要件でありモラルではなかろうか。

  日本の国のかじ取りを行う政治家が、傲慢さと暴挙で法治国家の基盤を自ら破壊していくならば、国の子供達や国民に「法を守れ!!」と言っても納得できない事態となる。安倍自民党・公明党は、戦争法案を姑息な手段で通すことで、法を軽んじる風潮を助長しており困る。f0148999_13493632.jpg
  
  選挙で「国のかじ取りを任された」と豪語し、謙虚に民意を聞くことを軽視するならば、その批判の芽は大地に静かに根を張っていく。それが、生きている証なのだ。

  現在の政権与党である自民党・公明党の中に、法治国家を破壊する傲慢さに「疑問を感じる」「人間議員」が増えていくことを期待する。
(災害支援で感謝される警察官が、民意の表現を抑圧していく国会前の風景が、9月16日の夜にも眼前にあった。考え、苦しむ警察官も多いかもしれない。抗議行動の中で何本も掲げられた創価学会有志のノボリにも、考え、苦しむ人々の勇気を見た。)
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2015-09-17 13:56 | 身辺雑記  

スペインの征服と樹皮紙文化の破壊

和紙のように美しいアマテ樹皮紙はスペイン征服により途絶えた

  スペイン人宣教師と征服者たちは、ある緊張期間を経て徹底的な邪教排除に乗り出した。その破壊行為の中には、各所の図書館やアーカイブズに匹敵した知的収蔵庫の徹底的な破壊と焚書も含まれ、邪教に関わるアマテ樹皮紙の製作も厳しく禁じられたと思われる。
  しかし、一般庶民の間では、まじないや儀式用に細々とアマテ樹皮紙が引き続き製作されていたことであろう。
  その痕跡として、現在もㇷ゚エブラ州で樹皮紙アマテを作る際に用いられている道具(石器ビータ―)は、スペイン征服前からずっと使用されているものが相当数あると推測している。

  では、なぜ現在は「マヤ時代のような、品質の良いアマテ樹皮紙が作られなくなったのか?」

  これ以降の説明は仮説になるが、
  1.スペイン統治下でもアマテ樹皮紙は、庶民の呪術・儀式用などに細々と制作されていたが、征服者が来る前のように、村々に音楽のように音が響く(メキシコと同じ形態の石器ビータ―を使うインドネシアの例では、ビータ―で樹皮を叩きのばす音は、はるか数キロ離れた場所にまでコダマし響いた)ことは、スペイン統治下では、非常に危険なことであったために、「叩く音が響かない技法」に変化していき、現在に伝わる”手の平に握って殴打する技法”になったように推測している。インドネシアでの樹皮紙制作では、ラタンなどの取っ手を石器に固定し、強く打ちたたく技法に比べ、現在のアマテ製法は、おそらく樹皮を砕き叩きのばすエネルギーが1/10程度に極めて減っているのであろう。この叩くエネルギーの違いは、仕上がりの品質に大きく影響し、マヤ・アステカ期のような薄手で良質なアマテ樹皮紙は作られなくなった、と考える。
   2.現在のアマテ制作工房では、アルカリの化学薬品を用いて原料の煮熟を行っているが、マヤ・アステカ期には「発酵製錬Retting」を使っていたと推測。今もインドネシアでは、樹皮布/樹皮紙の原料繊維を柔らかくするために「発酵製錬」を行っている。生の荒く叩きのばした白皮を畳んでバナナの葉で包み、涼しい屋根裏などに2-3日放置しておき、その後納豆のように発酵しベトベトした白皮を流水で洗って、その後叩きのばしていく工程に移っている。この発酵製錬では、現在のアマテの化学薬品による煮熟に比べて繊維が長く丈夫であったと考えられる。
  なお、アマテ樹皮紙が、マヤ・アステカ期のような良質なレベルに復活できない別の原因は、現存するアマテCODEXとSan Pablitoに残る「スペイン征服後の技法」の固定観念から脱せない人類学者や考古学者の問題に帰するのだろう。
  
  いつか、日本の和紙のような美しいアマテ樹皮紙が、復活する日を期待し、待ちたい。

*この項につき、2015.7.31一部加除修正を加えた。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2015-06-26 22:11 | マヤ・アステカの樹皮紙  

タンボラ火山遺跡での発掘作業

世界最大の火山噴火―Tambora1815

  世界の記録に残る最大の火山噴火が、インドネシア・スンバワ島のタンボラTambora火山で1815年4月に起こった。噴火前には4000m級のインドネシアで最高峰の山だったと推定されている。200年前の大噴火で山の上部1/3ほどが吹き飛んでしまい、今は2755mしかない。大噴火のすごさは、今も残る巨大なカルデラに痕跡をとどめている。<画像は南西側からの眺望、2015年撮影>
f0148999_20515496.jpg

  噴火により、おそらく3つの王国がすっぽりと灰に埋もれてしまった、とされる。世界最大の噴火であったことから、1816年のヨーロッパや北米は空を覆う噴火灰の影響で異常気象となり、特異な年となった。これについては2013年に出版されたThe Year without Summer1816に詳述されている。
  また、異常気象生じたヨーロッパでは雨の多い陰鬱な天気の中で『ドラキュラ』へとつながるジョン・ポリドリの『吸血鬼(ヴァンパイア)』の着想が生まれ、英国の風景画の巨匠ウィリアム・ターナーらが描いた赤みがかった日没の景色には 1815年のタンボラ火山の灰が影響していたとする研究もある。
  世界最大の噴火の様相と200年間タイムカプセルのように封印されてきた複数の王国の実像を解明するために、インドネシア国立考古学研究所(National Research Center of Archeology)は2007年から毎年約1か月間の発掘作業を行ってきた。木製農機具、紡錘車、磁器、炭化した稲モミ、建物部材、ビンロウ使用具、クリス(短剣)など多種多様な品々が出土している<画像参照>。人骨も3体みつかった。f0148999_20482681.jpg
  発掘における課題は、ロープや衣類など脆弱な有機物を、将来の調査研究等に活かせるよう適切に保存処理する高度な技術がインドネシアにないこと。また、すでに王国はイスラム化していたが、モスクなどの中心的な建物が見つかっておらず、町の全体像や配置が皆目わかっておらず、上空からのレーダ探査法などの使用が可能となる支援が期待されている。
  一部のタンボラ火山遺跡出土品は、国立考古学研究所デンパサール地方事務所(Balai Arkeologi, Denpasar)で公開されている。

  日本でほとんど知られることのなかった1815年のタンボラ火山の大噴火であるが、いくつかの200周年行事が日本の支援を受けることから、日本での情報量も増えていく事が期待される。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2015-02-01 20:59 | タンボラ火山噴火1815  

インドネシア・バドゥイの伝統的危機管理

バドゥイ(Baduy Luar)と災害対策

  阪神淡路大震災から20年の節目の日にインドネシアに滞在していることから、インドネシアの「伝統的な災害対策の知恵」を取り上げたい。

  紹介するのは、ジャワ島西南部の山間部で、いまだ電気も学校もなく、様々な文明の利便性を受容せず、ひっそりと暮らすバドゥイの村々である。移動手段は「徒歩」だけで、馬も使わず何日も歩いて目的地に向かう。
  村々の各所にユニークと思えるアイデアが目に飛び込んでくるが、感動したのは、急流にかかる「かずら橋」<画像参照>で、“生きたかずら(蔦)”を上手に使用した、今風に言えば「持続可能な橋sustainable bridge」とでも言える、自然素材だけをうまく利用したものだ。橋を歩きながら橋のフレームを見ると新芽があちこちか出ている。すでに150年以上使い続けていると古老たちは言う。
f0148999_17752.jpg


  そんな、近代文明の利便性を拒否した村の暮らしは、意外や活気があり陽気である。

  危機管理の観点から一番注目したのは、バドゥイのどこの村でも、火を使う居住エリアから2-300mほど離れた場所に「米蔵」群<画像参照>を配置していることだ。村人たちの説明にもあるように、大火に見舞われても、生命を維持する食糧米を守ることが出来る。f0148999_177485.jpg
  災害のリスクを避けるために生み出された、危機管理の模範的な形だ。きっと過去に、大火に見舞われ食料が欠乏し、苦境に直面したことが学習され、このような分離する配置を全域で守るようになったのかもしれない。残念ながら村の指導者(村長)に尋ねても、分離した配置にした経緯を示す伝承も記録もないという。 

  だが、バドゥイの村々にも徐々に世俗化の波は浸透しつつあるようで、バドゥイへの入り口となる境界地域の集落では、宅地用に開ける森が無くなってきて、区画を離していた米蔵群に隣接して、新規住宅が建築を許されるようになってきた。

  様々な規範や観念があるものの、日本人が考えるのとは違って、自由に流れるように自由闊達に暮らしていくのが、インドネシア流なのかもしれない。
  
  「防災」ということが、肥大化し絶対化し続けていくならば、時として南国のルーズな暮らしや価値観に目を向け、耳を傾けることも必要かもしれない。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2015-01-18 17:10 | 危機管理と災害  

関西に飛び火してきたプラム・ポックス・ウイルス病

日本の梅の木を皆滅させるおそれのプラム・ポックス・ウイルス病

  平成21年(2009)に東京・青梅市梅郷で国内初めての梅輪紋ウイルス(Plum pox virus)が見つかり、防除対策として、大量伐採、該当樹木持ち出し禁止処置が講じられてきたが、感染は拡大している。
  全国的にも有名であった梅の里「青梅・吉野梅郷」地域の梅の木1万本以上が、すでに伐採されたと思われる。観光名所となっていた青梅市立「梅の公園」の梅も2014年3月の梅まつりを終えて全て伐採される。

  毎年毎年、伐採対象は拡大し、伐採を表示する黄色いテープが散歩エリアの梅の木に巻かれるのを見てきたが、春を告げるふくよかな梅の花の香りが地域から消えていくのは、非常に淋しいことである。

  関西圏にも、すでにプラム・ポックス・ウイルス病は飛び火しており、農林水産省の報告では大阪(富田林)、兵庫(尼崎、伊丹、川西、宝塚)で感染が確認された、とある。

  古来からの「梅の文化史」を守るためにも、プラム・ポックス・ウイルスの有効な防除法が見つかることを祈念している。
f0148999_1132337.jpg

[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2014-03-17 11:07 | 身辺雑記  

梅林を消えさせるプラム・ポックス病

梅の季節を脅かすプラム・ポックス病

  市の名前にも「梅」が冠される東京都青梅市。
かっては、日本一の梅の名所とされた青梅の吉野梅郷地域。無念な事だが、今も広がるプラム・ポックス病で、ウイルスに感染した梅の木の伐採が続き無残な状態となっている。
  今年が、新たに梅の公園の500本ほどが伐採される前の「梅まつり」となる。

春の梅を愛で、プラム・ポックス病の脅威を考える時となればと思う。

  プラム・ポックス病は、日本のどこにでも感染が飛び火する可能性のある病気であり、有効なウイルス対策が確立しなければ、日本各地の梅の名所も青梅と同じ運命を辿る心配がある。

  なお、現在ご覧のURLブロッグは、フィリピン・スーパー台風被災地における、被災地・被災者の再建と復興にとって不可欠である「高波と漏水で被災した役所の重要原簿・公文書等」の救出・復旧活動の支援特設ブロッグ http://philia30.exblog.jp にしばらく移行している。
  レイテ島の台風30号激甚被災地となった州都タクロバンに、2013年12月5日から入り支援を続けている。スーパー台風は、他人事ではないので、ご覧いただけると有難い。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2014-02-04 10:20 | 身辺雑記  

情報洪水の中の情報欠如

世界の至宝である文化財、文化遺産が次々と失われていく !!

  グーグルとヤフーの日本語検索は、日本国内で話題となっていること、関心あることの一つのバロメーターとなるだろう。
  だが、例えばオランダ人修復家が運営するCulture in Developmentという民間web情報には、世界で貴重な文化財、遺跡など歴史の息吹が伝わる文化・歴史遺産が、猛烈な勢いで地域紛争や武力衝突あるいは戦争で破壊され、消滅していく現状と保護活動を載せているが、日本語検索では、ヒットしない情報が多い。(http://www.cultureindevelopment.nl/)

  エジプトの古代遺跡の発掘や保護に協力する日本人は数多く、JICA、東京文化財研究所、大学などの支援もよく知られる。また、カイロの国立博物館やピラミッドを観光で訪れる邦人も多い。だが、日本が東日本大震災の惨状に打ちのめされた同年12月18日のこと。有名なナポレオン・ボナパルトにより1798年に創設されたエジプト科学研究所(Scientific Institute of Egypt)が、「アラブの春」民衆革命の最中に火が放たれ炎上。20万点以上の貴重な文献、古文書類の大半が焼失。わずかに3万5千点ほどが焼けこげたりしたものの救出されたと伝えられる。
f0148999_12533143.jpg

<画像説明は、A worker displays pages from the ancient document “Le Description de L’Egypt” salvaged from the ruins of the Scientific Institute near Tahrir Square in Cairoとあった。>

  しかし、日本語検索では、この惨劇を含む世界の紛争地域で、何千年の歴史を生き延びてきた文化財、遺跡などが巨大自然災害のように襲う人為的な武力紛争の狭間で、壊滅的な破壊を蒙っている実態とその危機に立ち向かう献身的な人々の姿は伝わってこない。

  ほんの僅かな断片的情報が、2013年8月14-15日に発生したエジプト・マラウイ国立博物館の大規模略奪(収蔵品1089点の内1040点が盗まれた)のように日本語メディアで報道されるだけだ。
「情報洪水の中での、有益(必要)情報の欠如」と言えるだろう。

  世界の武力紛争地域における人類の至宝とされる文化財、文化遺産の被害の実態と、それに対する活動が、従事する人々の生命の危険を伴うことから、公的な機関、団体が参画に二の足を踏み、必然的に情報や有効な手立てが少なくなる。

  日本の世界遺産登録などで熱狂的になる頭を少し冷やして、増加する世界の武力紛争や巨大災害から、如何に人類の至宝の文化財、文化・歴史遺産を救済し、保護していくか、官民の力を合わせた情報共有と取り組みが願われる。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2013-08-23 13:00 | 危機管理と災害  

映画コン・ティキ全国上映はじまる

映画Kon Tiki全国上映開始の案内 ~「海の道」へ目を開くために…

f0148999_12402251.jpg










   陸に暮らす人間にとって、陸を走る鉄道の情報、道路の情報、ロマンあふれる古代シルクロードのことは身近によく知っている。だが、陸よりも交流・貿易に都合のよかった海洋を渡る「海の道」については、ほとんど知らない。情報をもっていない。

    日本では昨日(2013年6月29日)から全国上映の始まった「コン・ティキ」は、インカとポリネシアの双方に残る太陽神ティキの神話を基に、「海の道」を古代の技法・知恵を用いて解明したいと熱望したバイキングの子孫トール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl 1914-2002ノルウェー人)の行った壮大な実験航海の実話に基づいた映画だ。
   バルサ材というインカのチチカカ湖などで使われている木材を用いた筏で、ペルーからツアモツ諸島までの8000kmを、風と海流にまかせた航海で1947年4月28日から102日をかけて6人の乗組員で成し遂げた。 <今から66年も前の、第二次世界大戦終了間もない時期のことだ>

  その航海記は、日本では1957年に『コンティキ号探検記』として出版され、兄の書棚に初版本が並んでいたことを思い出す。

   樹皮紙の調査研究のベースとなるオーストロネシア語族は、まさに「海の道」を開拓していった古代のパイオニア達だったのだろう。「海の道」に広がった古代文化、古代技術の調査研究は、陸のシルクロード研究に比べ大きく出遅れているが、そこに秘められた多くの古代の知恵や精神性と出逢い、現代人が教えられることは多いと考える。
   ぜひ、「海の道」へといざなう映画『コン・ティキ』の鑑賞を勧めます!!
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2013-06-30 12:52 | オーストロネシアン研究  

東北にクワ科のカジノキを探して

コウゾ、ヒメコウゾ、カジノキ探訪記(東北編Part 1)

   雪深い東北にいくつかある和紙の里で栽培されているコウゾ等について、多少の情報があった。だが、それ以外の地については、植物図鑑やWEB情報でも、どれほどのコウゾやヒメコウゾあるいはカジノキが自生しているのかよくわからなかった。

  2012秋-2013年夏にかけて東北被災地を訪ねた合間に、一関~宮古~岩泉~盛岡地域の山野に生える、いずれもクワ科のコウゾ、ヒメコウゾ、そしてカジノキかもしれないと期待される木々を宮古在住のKさんの案内で見て廻った。
  
  今回見て廻って驚いたことは、寒い東北地域の山野に「非常に伸び伸びと旺盛に群生するコウゾ、ヒメコウゾ」が生育していることであった。

   その中で、印象に残った「盛岡つなぎ温泉湖山荘(萪内遺跡そば)付近のヒメコウゾの結実<6月26日撮影>」と「岩手県・岩泉町小学校裏の見事なコウゾ(メス)の花<5月31日撮影>」の2枚の写真を載せておく。f0148999_13302726.jpg







   岩泉では、写真を載せた小学校裏以外にも役場近くの雑木林で樹齢5年ほどのコウゾと思われるメスの木が群生していて、花はびっしりと沢山咲いていたが色は淡いピンクだった。
   他方、岩泉小学校裏の樹齢20年ほどのコウゾと思われるメスの木の花は濃い赤ピンク色であった。近接場所で、このように花の色が違うことが印象に残った。花の数も、カジノキではないかと思えるほど木々全体にたくさん花を咲かせていた。f0148999_13313527.jpg






  いずれ東北地方のヒメコウゾ、コウゾのDNA分析が終わると、カジノキとの近縁関係も徐々に判明していくこととなる。



  東北地方の平安時代以来の伝統ある「和紙」、そしてその強靭で薄い和紙を使った「正月飾りなどの切り紙、切子」。その製作「原料植物」のルーツと絡めて、東北の古代技術史を解明していくことにはロマンがある。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2013-06-27 13:38 | カジノキ(クワ科)雑記  

大和(奈良)のカジノキ情報を増やしましょう!!

奈良のカジノキ(雌株)が開花していました
 
  京都や東京のカジノキやコウゾの生育場所や開花について、多くの情報がWebにアップされてきたが、なぜか奈良でのカジノキの生息場所や開花の情報は、とんと少ない。

   やっと奈良・平城小学校の近くで、カジノキが数本群生している場所を見つけた。どれもメスの木で、ちょうど5月3日にはどの木にもメスの花(画像参照)がいっぱい咲いているのが確認できた。f0148999_127224.jpg

   大和地方では、カジノキやコウゾを「カゾ、カゴ」と呼び、天の香久山は「カゴの山」だったという説もある。2007年の第59回正倉院展を見た方々の中に、展示されていた「木綿ゆう」は織ったものではなく、タパのように薄く叩き延ばした風合いが見られた…という声もあり、奈良時代の布についてはまだまだ調査研究の余地がありそうだ。

  おそらく、京都に移った有力者たちは、カジノキを取り込んだ文化を開花させていったが、その萌芽は、必ず旧都奈良に存在した、と考える方が自然だろう。

  東京・小石川植物園の大きなカジノキは、5月1日には、まだ葉も花もみられない冬の木の様相であったが、新宿御苑のカジノキはどれもメスの花をいっぱい咲かせていた。上野公園・大灯篭近くのカジノキはどれもオスの木で、狐のしっぽのような雄花が満開であった。この時期、奥多摩の方の、山野のあちこちでみられるヒメコウゾは、メス・オスの花を同じ枝にいっぱい咲かせていた。

  京大系のOBらが多い《雲南研究会》のHPに「樹皮紙」のたくさんのパワーポイント画像がアップされていた。http://www.yunnan-k.jp/yunnan-k/24-20130330/659-20130330-24-04-sakamoto.html ビジュアルに見ていると、様々な古代社会についてのインスピレーションが湧いてくる。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2013-05-04 22:30 | カジノキ(クワ科)雑記  

プラム・ポックス病による梅林皆伐

青梅・吉野梅林を一変させたプラム・ポックス病 ~皆伐しか対策がない?!

  朝夕、梅花のふくよかな香りが地域一帯に漂っていた青梅・吉野梅郷。見慣れた青梅市の指定保存老木も次々とプラム・ポックス・ウイルスに伝染し伐採されている。観梅コースとなっていて多くの人々に愛でられてきた「鎌倉の梅」(樹齢約400年)も今年の観梅を最後に園内約60本の梅と一緒に伐採されてしまう。<画像左、右>f0148999_1334142.jpg f0148999_13474350.jpg  
青梅市立「梅の公園」などは健在だが、伝染の危機は続いており皆伐の心配は依然ある。

   皆伐され更地となった梅園跡地にはウグイスも来なくなり、一変した景観に戸惑うばかりだ。
 
   プラム・ポックス病への有効な対処策が未だない状況で、日本各地の梅林にウイルスが飛び火し、皆伐されていくと、日本の古来からの風物史であった観梅、梅干しや梅酒という生産物も消えていくこととなる。

   梅林が日本から消滅しない内に、有効な対処策が発見され「日本の梅文化」が守られるように、社会が関心をもち専門家の方々の努力が功を奏することを願う。
   そして、かって日本一と評された梅の里「青梅・吉野梅郷」の再生を、名木のクローン保存など含め、是非とも達成してもらいたい。


   梅林の皆伐風景を度々目にしてショックは大きかったが、いろいろな領域で絶滅の危機に瀕する経済植物があることを知った。

   子供らが大好きなバナナも「現代の栽培法」である株分けにより、バナナの自然なメカニズムや多様性が失なわれ、プザリウム菌によるパナマ病でグロス・ミシェル種がすでに絶滅となった。
   現在流通の主流であるパナマ病に強いキャベンディッシュ種のバナナにも、変異体である新パナマ病が急速に広がってきていて、再び世界のバナナ絶滅の恐れが危惧されているという。

   生産効率アップや人間に都合のよい発想による遺伝子組み換え事例の多用が、今後の人間の食の安定や生態系を危機に突き落とす大規模な皆伐対処、種の絶滅へという流れも同時に加速させているのは皮肉なことに思える。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2013-03-26 13:22 | 身辺雑記  

マヤ絵文字の刻まれた石器ビータが出現!!

マヤ絵文字の刻まれた石器ビータと対面

  成田からカナダ経由のフライトで19時間程かかって、厚い雲かスモッグに包まれた高原都市メキシコ・シティに降り立った。

   AD600-800年頃のマヤMaya古典期に使われていた、とされる世界で初めての報告例となるマヤ絵文字の刻まれた石器ビータを手に取って見るのが旅の目的だった。

   2012年5月30日付のブロッグ記事で、中国南部で4000年前頃とされるユニークな模様の刻まれた石器ビータが出土した事を画像入りで紹介したことがある。
   おそらく、封印された古代社会で樹皮紙/樹皮布に、お札の偽造防止用の透かし模様のような「光にかざさないと模様が見えない、透かし模様Water-markという発想と技術が、エジプトのパピルス全盛時期と同じ頃に、樹皮紙の痕跡が残る地域ですでに存在していた」可能性を後押しする物証がボツボツ気づかれ始めたのだろう。

   これまでにインドネシア、中国などで見つかっているユニークな模様のある石器ビータの図柄は、いずれも幾何学的模様であった。
   ところが、今回メキシコで出土した石器ビータ<画像参照>f0148999_19293360.jpgは、マヤ絵文字であり、いつか石器の両面に刻まれた絵文字の意味が解読されていくと、当時の“透かしwater-mark”加工用に模様が刻まれた石器ビータの使用目的などが解明されていく糸口になるかもしれない。  

   透かし模様を加工できるビータの報告事例は、世界全体でもまだ少ない。ことに、マヤ・アステカ期の膨大な樹皮紙の本、文書は邪教の根源として、カトリック神父らの指示で徹底的に帝国一帯で集められ広場で燃やされた。樹皮紙を製作する道具や技術も邪教のものとして厳格に廃絶されたことから、今に残る物証は非常に限られてしまった。

   とはいえ、徐々に世界各地の樹皮紙原料樹皮のDNA分析も広がる様相で、様々な観点から「樹皮紙の起源と伝播」、その使用実態についての調査研究成果が増えていくことを期待したい。


樹皮紙のメキシコ現地調査は命懸け

   感動的だったマヤ絵文字の刻まれた石器ビータと出会った翌々日に、思わぬ災難に見舞われた。

   首都メキシコ・シティから1時間ほどの高速道路上(ちょうどテオティワカン遺跡付近)で、乗っていた高速バスが武装3人組に襲われ、靴下まで脱がせて徹底的に金目のものを強奪していった。パソコン、バックアップ用HDD、携帯電話、カメラ、腕時計、財布、旅行ザックなどなど。ポケットに残っていた小さなSDメモリー・カードも3回目の身体検査で見つかり奪っていった。

   高速バス乗車時に、金属探知機で一人ひとりの所持品とボディ・チェックをし、個々の顔写真を撮影していたにも関わらず…、であった。あちこちが形骸化し、ザルなのだろう。威嚇のため、3発ほどピストルを発射した時には恐怖が走った。ネズミ男のようにフードを被った人が見えると、恐怖がよみがえる。バスもしばらくは乗れなかった。
   バス運転手によると、メキシコ各地でかなりの件数で武装強盗が出没しているとのこと。首都近郊や昼間も、危険なのは困ったものだ。 汚職や疲弊した困窮層が増えているのも、治安を悪化させる要因という。

   多くのここ数年分の2度と撮影できないフィールド調査画像については、保存バックアップ用HDDが一緒に奪われるという失態をしてしまい、ショックであり悔やまれた。

f0148999_11455876.jpg   強盗に襲われる前には、スペイン人征服者の目を逃れ、絶滅を免れた樹皮紙生産地サン・パブリトSan Pablito村を訪ねた。サン・パブリト村では、樹皮紙の基本製造技術は大きく変わってしまったが、部分的には数百年以上の歴史を引き継いでいるかもしれない。
Moraという白い樹皮の採取できる樹木も、数百年使われてきたかもしれない。そんなロマンのあるMoraの白い樹皮紙を使い、素晴らしい切り紙細工技術で仕上げた作品も、ザックに入っていて奪われてしまい惜しまれた。  <参照画像は2009年3月収集のAmate切紙細工>
   命が助かったことなのだから、再起は可能かもしれないが…。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2013-02-10 19:30 | マヤ・アステカの樹皮紙  

インドネシアから立ち寄りの記

被害をもたらしたプラム・ポックス・ウイルスが梅林の景観を変える

   外来のプラム・ポックス・ウイルスに感染したとされる梅林(東京都青梅市・梅郷エリア)の伐採が、また各地で再開された。f0148999_17284221.jpg世代を越えて梅林を守り、力を合わせて剪定をし、維持されてきた梅林を、散歩をしながら四季折々に愉しませてもらっていた。
特に、竹林寺の下の茅葺屋根が残る家の付近には古木も多く、丹精込めていい形になっている梅の木々に、ゆったりとした時の流れを満喫させてもらってきた。
   それらの梅林が所有区分ごとに皆伐され、津波に一切を流された被災地のように、次々と空白の更地になっていくのを見るのは悲しかった。今後3年間は、梅の種類の木を同じ場所に植えることは禁止されており、先人たちが拓いた梅の里に危機が広がる。
  
先人たちは、度重なる災害や危機にも数百年単位のスケールで、モノを考え、夢をつなぎ、木を植えなおすなど実践してきた。だが、今の「余裕を失った日本」で、どこまで数百年先を望む夢を描き、実践していく勇気と忍耐力、支える体制があるだろうか?
   「国」の底力は、つきつめていくと「人」と「人が抱く夢」、それを可能にする「実践力」にあるように思える。梅郷のプラムポックス病に襲われている危機から、再生できるか? 巨大津波に大規模に故郷を破壊された東日本の被災地が、再び美しい海岸線、故郷を再生させていけるか?  「日本」という島国が、問われているように思う。

絆の喪失

東日本大震災以後、「絆」「きずな」と頻繁に使われ、素晴らしいことながら、インドネシアに通年いて感じる「絆」と比べると、かなり個々的で表層的なように思えた。インドネシア流の「絆」は、家族・親族らが、積極的に毎年恒例で先祖のお墓に詣でて共に食事をしたり、自分の一生は、先祖を敬う儀式の費用を捻出するため、あるいは家族の葬儀を成し遂げるためだ、と答える友人らにみられるように、重圧感と共に生きがい、強い家族、親族、地域の深い関係に根差したものだと感じる。
  大学闘争、全共闘世代に生き、既成観念や特権体制を打破しようとした新鮮さとパワーに目が向いてきたが、インドネシアで通年を過ごすうちに、自己の家族の絆の消失(たとえば、死んだら海に散骨しよう…など考えると、先祖の墓は守っていても、次世代への継承はどうなるか、怪しくなってくる)に気づき、どんどん個々バラバラな価値観に占められ加速してくると、地域、国などの結束のアイデンティティをどこに求めるのか、と思うことがある。

  新石器時代に大洋に漕ぎ出していったオーストロネシア語族の人々は、新たな地で、家族、部族、民族の結束を強くし、新たな宗教意識・観念や共同体を強固に形成していったのだろう。失うモノもあれば、新たに生み出され形成されるモノもある。これが人類の歴史であり、絆なのだろう。
 
自生コウゾは東北の宮古にも健在!!

カジノキは白い表皮がとれることから、古代世界の樹皮布/樹皮紙の最良の原料とされてきた。日本でも冷泉家のキッコウテン、諏訪大社の社紋などに使われている。南方系のカジノキと在来系のヒメコウゾの雑種がコウゾと分類され、和紙の主要原料として日本各地で栽培され、東北の白石、宮古などでの栽培例は知られていた。しかし、寒い東北の地に、自生している例がどれほどあるのか、植物図鑑などを見てもよく分からなかった。
2012年9月25日に宮古在住の方の連絡で、数か所に自生しているコウゾを見に出かけた。道路沿いの一角に生えている場所のは真っ直ぐに伸び、そこそこ太い幹には斑紋がみられ、トラフ・コウゾとされる種類かと推測された。生え具合や幹の斑紋を見ていると、かって縄文時代に東北にも存在したと推定されているカジノキが、今も東北に生えているかもしれない、という淡い期待を抱かせた。来夏、これらの木にどのような雌雄の花が咲くか、実は結実するか、などの観察報告が待たれる。

世界に誇る和紙の国とされてきたが、これまで島国の中での調査研究が主流であった。もっと世界を俯瞰し、広い視点で、長繊維で作られる和紙などの調査研究を進めていく時代にならなければならない。
f0148999_17575440.jpg
f0148999_1758405.jpg

[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2012-10-08 18:06 | 身辺雑記  

RantepaoのTodi Textile Shop全焼


RantepaoのTodi Textile Shop全焼

   トラジャのテキスタイルShopとして、外国人に名高かったRantepaoのTodi Textile shopが、2012年6月24日(日曜)朝全焼した。漏電が原因とされる。   
   家族、従業員は全員無事であったが、20年の歳月をかけて収集されてきた素晴らしいコレクション類は消火活動も空しく、すべて灰燼と帰した。
f0148999_2105346.jpg

   
   今後、内外の多くの方々の支援で、再起を果たせることを祈念したい。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2012-07-01 21:11 | 身辺雑記  

インドネシア・ジャカルタでの樹皮紙展

約100年ぶりによみがえった伝統樹皮紙絵画などの展覧会
     ~ジャカルタ Darmawangsa Hotel にて


  世界的に稀な「生きた化石」のような、新石器時代から連続的に継承されてきたインドネシア伝統の樹皮布/樹皮紙(生産基盤が残る中部スラウェシではFuyaとよばれる)の、保全と発展を願って開催される展覧会。

  会期:2012年6月14日(木)は招待者のみ。
            6月15日(金)は、午前10時~午後6時(入場は5:30まで) 入場無料

   会場は南ジャカルタのホテル・ダルマワンサ内のBemasena Club
   Jl.Darmawangsa Raya No.23, Kebayoran Baru, Jakarta

f0148999_20194875.jpg

[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2012-06-08 20:26 | 身辺雑記  

新発見!!! 中国南部でも透かし模様加工用の石器ビータ

発見増える!! 透かし模様water-mark用の石器ビータ

  服飾史の知見では、古代世界では布や樹皮に「模様を描く」「図柄をプリントする」「織って模様を入れる」というような、全て“反射光”で模様を認識するものであった。
  ところが、最近の調査研究によって、新石器時代頃に、現代の高度な偽札偽造防止用などで知られる”透過光“で認識するという「透かし模様water-mark」がすでに発想され、使われていた痕跡が世界各地で見つかってきた。

  古代メキシコ(Mexico)、中部スラウェシ(Indonesia)での報告事例に続き、最新情報ではマカオ近くの中国南部の遺跡からも発見!!のニュース。
  実見したところ、メキシコ、スラウェシ同様に、石器にラタンなどで取っ手(handle)をつけられる溝が石器周囲に刻まれており、明らかに「打ち叩く」用途であったことが確認できる。4000年前頃の出土品との事。新発見の中国の模様も、一般的な樹皮を打解するためのものではなく、神秘的な透かし模様を樹皮の表面に最終段階で加工するためのものとみられる(画像参照)。f0148999_12272482.jpg


  新発見の不思議な模様の石器表面には、さらに不思議な「赤い顔料」が丁寧に筋状に塗られており、何かの聖なる儀式に使われた様相が推測できる。

  次々と、透過光でしか認識できないような高度な透かし模様技法が、メキシコ、インドネシア、中国南部で報告されるようになり、他の地域での報告事例が増えていくことが期待される。
  特に、樹皮表面に透過光でしか確認できないような透かし模様を加工するには、使用する樹種がカジノキ(Broussonetia papyrifera vent.)のような樹皮が白くて扱いやすいものでなければならず、カジノキのように世界各地に運ばれ拡散していった樹種のDNA分析などによる調査研究成果が期待される。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2012-05-30 12:36 | オーストロネシアン研究  

プラムポックス・ウイルス災害に襲われた、青梅・吉野梅郷

災害の当事者は、あきらめやすい

  更新頻度が落ちているが、昨年2011年1月9日付で「吉野梅林の木の古木達との別れ」と題し掲載した“青梅のプラム・ポックス被害”は、公的調査が進むにつれて深刻な状況が判明してきた。

  最近、いくつかのブロックにも投稿されている、青梅市和田の「明白院(めいばくいん)の”しだれ梅”(樹齢100年以上)」など親しまれてきた老木、成木1万本以上が青梅市内で2012年度末までに伐採されるのだ。
  正確な数字は公表されていないが、昨年の調査後に被害が急拡大しない前提で、新聞紙面や現地情報から推測すると、2012年度末には青梅市全域の約4本に1本の梅の木が感染により伐採されてしまう、とんでもない異常事態となりそうだ。

  特に、1敷地内の1割以上の梅の木がプラムポックス・ウイルスに感染している場合には、皆伐されてしまうため、地震、津波被災地のように、あちこちにすっぽりと空き地ができ、伐採後3年以内は梅を植えてはいけない規制のため、宅地化の勢いが加速されたりし、のどかな里山の自然、「日本一の梅の里」と言われた景観と集客力が一変し、失われてしまう懸念もある。

  写真(青梅市和田で3月27日撮影)は、美しかった梅林が皆伐され、根を小型シャベルカーなどで根こそぎ抜き、更地にされていく悲しい作業風景だ。このような作業が、地震災害被災地のガレキ撤去のように青梅市内の各地で増えていく。
f0148999_23353655.jpg  

  この梅郷の地の梅は数百年前の木も多いが、戦後に「地場の特産品」を盛んにしたいと考えた地元農家の方々が和歌山県・南部などをモデルに真摯で地道な努力を重ね、今のような経済を潤わせる梅の里とした、と聞く。日本経済新聞の読者アンケートで、「日本一の梅林」と評価を受けるまでに希少性も高まった。その先人たち、農家の方々の努力と熱意を絶やさないように、“災い転じて福となす”勇気を青梅を愛する方々で発揮してもらいたい、と願う。新しい方策も必要となろう。

  今後、多発化していく傾向の大規模自然災害による甚大な被害、家畜や果樹類が大量に死滅していく(あるいは予防的に殺す、切られることを含め)猛威をふるうウイルスの大流行。脆弱化していく現代人が、波状で押し寄せてくる大災害を乗り越えていくには、かなりの犠牲を伴うのだろうか…。

  1万年ほど前の人類が、農耕の始まりのころ、例えば「栽培用の麦」を“約3000年”という驚異的な年月を忍耐強くかけて発見し、守り残し、増大させてきた驚くべき原動力は、いったい何だったのだろうか? 古代人は、時として現代人の驚くような桁違いの「パワー」を発揮していた。 

  時代は下り、新石器時代に未知なる大海原に漕ぎ出したオーストロネシア語族の、しぶとく数千年間の歳月を費やし、英知を結集して世界の海でカヌーで繰り広げた大航海においても、歴史の不思議さを教えられる。

  ガンバれるだろうか?、現代人 !!
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2012-03-29 23:51 | 身辺雑記  

台湾・台東にて

東日本大震災から9か月

  久し振りの投稿となった。
3月11日に発生した東日本大震災後の3月21日に現地に入り、ほぼ6か月間休みなく専門的な被災バイタル・レコードを対象とした支援活動を行った。その後、ASEANの第2回災害WSがインドネシア国立図書館のコーディネートで11月28-30日に開催され、講師で招かれスラウェシにも足を延ばした。
  そして現在、ほぼ1年振りとなったが、台湾の国立史前文化博物館の好意で台北、台東を訪問し、旧交を温めている。オーストロネシア研究がもっと加速されればと願う。

台東のカジノキ

  先月、インドネシア科学アカデミーLIPIの植物学のシニア・スタッフと、ボゴールの植物園でカジノキの話題を話し合ったが、インドネシアで知られる樹木カジノキと、台湾・日本など東アジアで知られるカジノキには大きな特徴の違いがある。ラテン語で表記される学名は両者ともBroussonetia papyrifera vent で同じあるが、かくも木の特徴が異なると困惑する。

  いつも台東(Taitung)で時間があると訪ねるのだが、海岸沿いに形成された森林公園で経常的に観察している琵琶湖湖畔のカジノキがある。カジノキは雌・雄が別々の木となっているが、意図的か偶然か湖畔の見晴台の左側にメスの木。右側にオスの木が植えられている。
  不思議にも掲載画像のように、この12月中旬の台東の森林公園において、メスの木にたわわにカジノキの実がなり、オスの木には立派な雄花がいっぱい咲いていた。2月頃に台東各地でカジノキの結実を見た記憶が残るが、この時期に、離れたオスの木、メスの木が互いにどのように知らせ合い、花を咲かせ実をつけて子孫を残していくのか、とても神秘的なことだ。
f0148999_12181679.jpg

f0148999_1238535.jpgf0148999_12413652.jpg












  今後、インドネシア・中部スラウェシ(Central Sulawesi)における暮らしや風物、樹皮紙(Beaten Bark Paper)の現地レポートなどを少しずつ再開していく。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2011-12-18 12:50 | オーストロネシアン研究  

カジノキKazinoki に想う

京都・祇園祭にひと息

  今年は4月中旬から3か月間、東日本大震災で津波の泥と海水を被った大量の国の機関の重要バイタル・レコードの復旧作業に従事し、休息のない日々だった。
  やっと作業の合間に祇園祭を見に行くことができた。
f0148999_184816.jpg
いつもながら、のんびりできる三条の素夢子で韓国菓子と濃厚なゆず茶を満喫した。

  ブロッグをなかなか更新できないでいるが、「古代之風」http://kaze.world.coocan.jp  というHPの内容に、最近、心を揺すぶられることもあった。東アジアでの「乞巧奠」に深くかかわるカジノキ。その根幹のなかに、何かオーストロネシア語族に共通する「樹皮紙文化」の痕跡が色濃く沈み込んでいるように思える。国内の遺跡からのカジノキの実の出土報告が正しければ、おそらく縄文後期頃に、その文化や産物は南方から日本にもたらされたのだろうが…。
  だが、それらに関する総合的な調査・研究は、国内的にも国際的にも手がつけられておらず、ひっそりと歴史の中に埋もれている気がしている。
  『民族芸術』27号(2011年3月発行)に「新石器時代に世界に伝播した樹皮布/樹皮紙」という論文が掲載されているが、これまでのすぐれた先人たちの調査研究を集成し、新たな調査研究の視点やデータを加えたロマンあふれる「カジノキ」にまつわる伝承、事実を開拓していく営みを期待している。f0148999_1851314.jpg

  なお、平安時代頃から現代に至る京都には、「カジノキ」にまつわる歴史的事象や痕跡が多々見つかるのだが、奈良・平城京時期におけるカジノキの痕跡は未だ報告されていない。


東日本大震災から4か月

  あれから4か月が経ち、文化庁の東日本大震災被災文化遺産レスキュー事業に従事する各国立博物館職員や、被災地支援に派遣される国立国会図書館、国立公文書館などの職員の数は増えてきた。彼らが、「出張」として税金で交通費、滞在費、日当などが賄われ被災地に出かける一方で、自分の休暇を使い、交通費、滞在費などすべて自己負担でレスキュー活動ボランティアとして参加せざるを得ない現状に違和感を感じている。(ボランティアにお金を渡せば済むことではなく、被災地支援で何を大事に考え、どのように血の通った被災地支援を拡充していくか、という基本的なところに、現状では課題があるように考える。)

  広大なエリアにまたがる東日本大震災という「スーパー広域災害」に、これからどのような体制で、官民連携した復旧、復興支援がなされていくのか?
  阪神淡路大震災で残された「過去の事例」を安直に学び踏襲するのではなく、今次の巨大災害の実情にマッチした斬新な発想、後世に役立つ事績を残すことを期待したい。

  そして、興味深いことだが、被災地支援の様相に関東・関西勢それぞれの土地柄を感じるが、東京被災文書救援隊などの提供している作業マニュアルを見ながら、愕然としている。戦場のような状況の世界各地の被災地で活動してきた印象からは、被災地ですぐに手に入れることが難しい資機材名が並び、外国語の氾濫する高邁な作業マニュアルよりも、簡便で、かつ実践的な作業マニュアルの方が役立つ、とする庶民的な関西勢に親近感をもつ。今後、関西の専門的な方々が、今次の災害支援に参画した経験から、関東勢には思い描けない実践マニュアルを提供していくことに期待したい。

  明日は奈良から東北に移動だ。
[PR]

# by PHILIA-kyoto | 2011-07-16 18:53 | 乞巧奠とカジノキ