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メキシコTemplo mayor遺跡で見た紋様

中部スラウェシとメキシコの紋様の酷似

  中部スラウェシの州都パルPalu。今回の現地調査で、ずっと頭に引っ掛かっていたのは要所要所で見つかる「紋様」のことだった。石器ビーターに刻まれた「紋様」、伝統衣服に描かれた「紋様」、建物に彫られた「紋様」 ……。
  ここのパル州立博物館のメイン展示ホール入口の壁面に描かれた大レリーフ。その最も目立つ場所に、メキシコ・シティのテンプロ・マヨール遺跡の北側から発掘された神殿門のレリーフ(写真右)と酷似した紋様(写真左)が刻まれていたのを見た瞬間には、神秘的な驚きで胸が高鳴った。単なる偶然の似たものかもしれないが、このパル博物館の大きなレリーフの下絵を描いたのは、初代博物館長だったが、すでに他界していた。彼は、それまでの長いスラウェシでの調査研究で得たものから重要と考えたものを博物館壁画の下絵に反映させた、と言われているが、今となっては「何が重要だった」のか不明となってしまったようだ。メキシコTemplo mayor遺跡で見た紋様_f0148999_19502062.jpgメキシコTemplo mayor遺跡で見た紋様_f0148999_19504640.jpg











  この花模様のような「紋様」は、2009年11月27日付のブロッグに掲載した石器ビーターの下右写真の右端の紋様とも似た形をしている。  どんな意味が秘められているのだろう? 
  何かスラウェシとメキシコには、つながりがあったのだろうか?

  中国南部―台湾-スラウェシ―ハワイ―メキシコ という一線上には、中国南部で7000年以上前に生まれた樹皮布/樹皮紙の歴史を探求する上で、何か深く調べるに値する痕跡が残っているような引き寄せるものがある。    
  オーストロネシア語族Austronesianに関わるものだろうか?

  国立台湾史前文化博物館Taiwan National Museum of Prehistoryの出版物『背児帯Baby Carriers』(2007.Fang Chun-Wei編)に所載されている、中国雲南省大理で撮影された背児帯の紋様(下画像)メキシコTemplo mayor遺跡で見た紋様_f0148999_11264022.jpgにも似ていて、引き寄せられる。ただし、大理の紋様は「古銭紋coin pattern」と解説されるが、パル博物館の紋様と見比べながら、どの部分を見てネーミングするかに左右される気がして、名称の精度について考えさせられた。

  ※2009年11月11日付の当ブロッグに書いた、スラウェシNapu渓谷で出会った老人達の多くの記憶に残る石器ビーターの透かし模様が、メキシコの遺跡から見つかった石器ビーターの透かし模様と同じであった、ということも気になる。

by PHILIA-kyoto | 2010-10-20 11:43 | スラウェシ現地情報2010  

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