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中部スラウェシへの旅 1

オーストロネシア語族の移り住んだハイランド

  日本人旅行者が皆無に近い中部スラウェシ地域。
中部スラウェシへの旅 1_f0148999_2123030.jpg よく知られる俗化したトラジャより直線距離で150キロほど北の地域にあたる。
  柔和な母なる山々が連なるのどかな牧歌的風景。広がる草原に放牧された水牛の背には白鷺のような鳥が共存し止まっている。






フッと魚屋の庭先をのぞくと、メガリティック(巨石)時代の神秘的な上半身の像が立っていた。中部スラウェシへの旅 1_f0148999_21144147.jpg
  
今回で3度目となるBada地域への旅であるが、冒険者、残された辺境を愛する旅行者、自然と歴史・文化を愉しみたい人々には、本当にいいところだ。苦悩は、かっては豊かで、文化的にも発展していた地域が、オランダや日本の占領期に「貧しさ」「豊かな文化の破壊」が浸透してしまったことだ。皮肉なことのように思えるが、「貧しさ」がこのBadaの豊かな自然、人情を辺境の地にそっと残してくれたのかもしれない。それゆえに、今後の開発や発展は、エコロジカルな地域の自然や歴史・文化と調和した形で進められることが願われる。

旅の基点の街パル(Palu)
  
  パルは三方を山々に囲まれ、入り江に面した旅の基点となる街である。
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ジャカルタ、マカサール、デンパサールなどからの国内便が乗り入れている。新石器時代に海に進出したオーストロネシア語族の人々がこの入り江に現れた情景を思うと感動的だ。
  面白いことに、このパルの入り江では、きまって昼前になると海からの風が強まり白波が次々と押し寄せる。12時間ほど強風と荒波が吹き荒れると、風は急に止まり鏡の面のように静かな海となる。コバルト・ブルーに透き通る海に魚が泳ぐのが岸から見える。そして、また12時間ほどすると海からの強風と荒波が襲来するのである。中部スラウェシへの旅 1_f0148999_2118322.jpg
  パルには日本語の通じるスタッフが居るRama garden Hotelなどいくつもの快適なホテルがあるが、外貨両替所が市内に一ヶ所しかなかったり、クレジット・カードを使えないところが多いなど、整備の必要なところはまだ多くある。

州立のパル博物館は、地域の歴史と文化を知る上でまず初めに訪ねることを薦める。タクシーはメーター装備の車が多く、安心して使える。インドネシア語が不安な場合は、ホテルのスタッフに行き先などをきちっと説明してもらおう。 =続く= (Paluにて記す)

by PHILIA-kyoto | 2010-04-07 08:48 | スラウェシ現地情報2010  

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