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バダ渓谷への小さな旅

バダBadaへの旅の記録①

  2008年8月時点では、外部から閉ざされ「秘境」の趣の強かったロレリンドゥ国立公園Lore Lindu National Park南縁エリアに位置するバダ渓谷地域であったが、この数ヶ月で急速に開発が進んでいるように思える。バダ渓谷への小さな旅_f0148999_9311540.jpg
  隔絶感を感じさせていた大河を渡る「イカダの渡し」は消えて立派な鉄橋(画像右)が完成し、村々の丸木橋はセメント製に次々と掛け替えられている。自動車道路網がヒタヒタと押し寄せているようだ。これは、これから進行する大きな変化の前哨だと思う。

  2010年8月某日に中部スラウェシの州都パルPaluを朝9時にトヨタ・ラッシュで出発。折りしもイスラム教の断食期間中で、同行者達は日の出から日没までの時間帯、旅の道中飲食物や水、タバコなど一切口にすることはできない。ポソの街を13時ころ通過し、標高500 mほどのテンテナに16時前に到着。ここで、夕食用の紙に包んだ「焼き飯セット」とヤシの実、バナナなどを購入。ドライバーには過酷な行程だが、そのまま一気にバダ渓谷の村まで走行することに。漆黒の深山の霧空に丸い月と輝く星が時々見えた。幻想的だ。20時過ぎボンバBombaの簡易宿泊所に無事到着。距離にして370キロほど。

  バダ渓谷地域には9つの村があったと思うが、樹皮布/樹皮紙を主に製作しているのはGintu, Bewaの2つの村の数軒だけとなった。満足できる製品を作れると評価したのは84歳と75歳の2人の婦人のみで、他の方々のは品質が粗悪で満足できるものではなかった。地場産業としての地位を失って久しいことから、若年層の参入がなく、継続的な世代交代がなされなくなっている問題がある。

  バダ渓谷の周辺には、ナプNapu渓谷、ベソアBesoa渓谷があるが、もっとも辺境の趣を残しているのは電気、電話のサービスを受けていないバダBada渓谷のみとなった。山々に囲まれた渓谷にゆったりと広がる水田や放牧地。日本人にはホッとする景色だ。
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  バダ渓谷Gintuからナプ渓谷のウワサWuasaまでは、車で7時間ほど。尾根を走る部分が多いが、突然の大雨に見舞われ道路はぬかるみ走行は苦難を極めた。泥沼にはまった車を押す時に、靴は泥に埋まって大変なことになった。運が悪ければ、崖下に車が転落しそうな危ない箇所も数箇所。

  バダ渓谷からベソア渓谷のDodaまでは同じく7時間ほどを要した。途中まではポソ経由ナプ渓谷へ行く道と同じだ。ベソア渓谷は、90年代に道路が開通し、樹皮布製作も時々頼まれて製作する程度になりほぼ途絶えた。
ナプ渓谷に入ったあたりで、中国が大規模なキャサバ農場を開墾中の現場を目撃した。新規開発分だけで500haくらいと言われており、ゆくゆくは数十倍に広げる計画らしい。

  このバダ、ナプ、ベソア渓谷には巨石megalithic遺跡が豊富に残っており、地元の遺跡管理者(州政府役人)の案内で見て回ることが可能だ。下画像は、5個の石器ビーターが出土したナプ渓谷Napu Valleyの小川の上方に位置する高台の遺跡Watunongko siteに残る「舟形カランバ(石棺kalamba)」。バダ渓谷への小さな旅_f0148999_9501398.jpg
  なお、規則上は、調査にはRISTEKという政府部署へ調査ビザの発給を申請する、またロレリンドゥ国立公園内への立ち入りにはパルの森林局へ入域を届ける、などなどの手続きが必要となるので、事前に旅行業者などに問い合わせることが望ましい。

※②以降で、中部スラウェシの旅の様子を連載する。
<2010年10月11日情報追加。>
 

by PHILIA-kyoto | 2010-10-07 10:39 | スラウェシ現地情報2010  

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