インドネシア・バドゥイの伝統的危機管理

バドゥイ(Baduy Luar)と災害対策

  阪神淡路大震災から20年の節目の日にインドネシアに滞在していることから、インドネシアの「伝統的な災害対策の知恵」を取り上げたい。

  紹介するのは、ジャワ島西南部の山間部で、いまだ電気も学校もなく、様々な文明の利便性を受容せず、ひっそりと暮らすバドゥイの村々である。移動手段は「徒歩」だけで、馬も使わず何日も歩いて目的地に向かう。
  村々の各所にユニークと思えるアイデアが目に飛び込んでくるが、感動したのは、急流にかかる「かずら橋」<画像参照>で、“生きたかずら(蔦)”を上手に使用した、今風に言えば「持続可能な橋sustainable bridge」とでも言える、自然素材だけをうまく利用したものだ。橋を歩きながら橋のフレームを見ると新芽があちこちか出ている。すでに150年以上使い続けていると古老たちは言う。
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  そんな、近代文明の利便性を拒否した村の暮らしは、意外や活気があり陽気である。

  危機管理の観点から一番注目したのは、バドゥイのどこの村でも、火を使う居住エリアから2-300mほど離れた場所に「米蔵」群<画像参照>を配置していることだ。村人たちの説明にもあるように、大火に見舞われても、生命を維持する食糧米を守ることが出来る。f0148999_177485.jpg
  災害のリスクを避けるために生み出された、危機管理の模範的な形だ。きっと過去に、大火に見舞われ食料が欠乏し、苦境に直面したことが学習され、このような分離する配置を全域で守るようになったのかもしれない。残念ながら村の指導者(村長)に尋ねても、分離した配置にした経緯を示す伝承も記録もないという。 

  だが、バドゥイの村々にも徐々に世俗化の波は浸透しつつあるようで、バドゥイへの入り口となる境界地域の集落では、宅地用に開ける森が無くなってきて、区画を離していた米蔵群に隣接して、新規住宅が建築を許されるようになってきた。

  様々な規範や観念があるものの、日本人が考えるのとは違って、自由に流れるように自由闊達に暮らしていくのが、インドネシア流なのかもしれない。
  
  「防災」ということが、肥大化し絶対化し続けていくならば、時として南国のルーズな暮らしや価値観に目を向け、耳を傾けることも必要かもしれない。

by PHILIA-kyoto | 2015-01-18 17:10 | 危機管理と災害  

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