三陸海岸に構築された万里の長城

三陸海岸に構築されつつある巨大防潮堤


  20183月、7年ぶりに釜石から気仙沼にかけての三陸海岸を鉄道とバスで旅した。


  阪神淡路大震災時の地震災害と違って、東日本大震災の場合では、津波の波が到達したか否かで被害に明暗が生じる特徴がある。三陸海岸沿いに走る国道45号線を行くと、道路がアップ・アンド・ダウンし高低差に拠って津波被害が生じたり、生じなかったり、災害の明暗が分かれることに気づく。

  吉村昭のルポルタージュ『海の壁~三陸沿岸大津波』に記された過去の津波被災の記録と2011年に発生した東日本大震災の津波被害のことを重ね合わせながら、人はどのように「次なる津波災害」に備えていくのだろうか…と考えさせられた。


  私にとっての、東日本大震災前の「東北」は、北海道に行く際の飛行機の眼下に見える陸地にしか過ぎなかった。東日本大震災を契機に、震災発生から10日目に宮城県内の宮城野地区、蒲生地区、若林区荒浜、仙台塩釜港地区、亘理地区などを阪神淡路大震災時の人脈で調査して廻る機会があった。その縁で、2012年2月頃まで東北に頻繁に通う事となった。

  同時に、東北の歴史・文化にも触れる機会が増え「東北の縄文の土偶」などの素晴らしさに感動したことを思いだす。東北は非常に精神性の高い文化を抱える地域である。注目している「切り子」という正月などに飾られる手の込んだ和紙の切り紙細工にも、神々しさが秘められていて、東京や大阪にはみられない、祖霊や神々を重んじる風土が広範囲に見られた。殊に、漁師の家では、大きく立派な切り紙飾りを正月前に求め、神棚に飾るようだ。

  そのような精神性が高く素晴らしい歴史と基盤を有する東北の震災復興の姿に期待している。


  だが、三陸海岸に次々と出現してきた巨大な防潮堤は「三陸海岸の万里の長城」のようであり、精神性を高く保持してきた東北、そして海の民には不似合いなものに思えた。太平洋岸の津波被災地に巨費を投じ400kmほどの総延長で建設される予定の、あたかも外敵の侵入を防ぐ万里の長城のような巨大構築物。それは、古代から「海から来る神様」「海を介在して広がるヒトとモノのネットワーク」として大事にしてきた開けた海を閉ざしシャットアウトしてしまう、歴史上の「とんでもない事」をやっているように思える。

  そして、海に注ぐ沢山の河川にも連なったコンクリート製の防潮堤が影響を及ぼし、これまでの生態系の破壊を引き起こす事は無いのだろうか?


  おそらく、陸の側から考えて「自分たちに都合の良い安全対策」としての巨大な津波対策の防潮堤なのだろう。しかし、今回歩いた気仙沼の合同庁舎の前の防潮堤(画像参照)を、海側から見て触った時に「ベルリンの壁」のように、冷徹に海と陸を分断してしまう障壁なのだと感じた。もし、運悪く津波が到達する直前に海から合同庁舎前の海岸に辿りついても、津波遮蔽板が下され5m以上ありそうなそそり立つ壁を越える選択肢は残っておらず、壁の前で助からずに溺死するのだろう。こうなると海側から見ると「死の壁」となるだろう。  

  このような結果を招いた原因の解明は今後のために必要だろう。そして、インドネシアのアチェ大津波から5年後に、州都バンダアチェから西海岸のムラボ―まで、現地の方の車で往復した時に体感した「再生に向かう美しい緑の海岸線」「陸と海が共生する暮らし」「神々しい人々の笑顔」のことが思い出される。

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 美味しい東北の味覚を味わえたが、考えさせられる旅でもあった。  <2018.3.19 10:20 一部記事補足>


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by PHILIA-kyoto | 2018-03-18 18:52 | 東日本大震災  

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