Palu被災現地レポート2018 ③

過去の津波被災の痕跡、記録の堆積する街Palu

  Palu湾西側に位置するWatu sampuにはドンガラ織物で知られる数軒の工房が海岸沿いにあった。今回の津波で海沿いの建物は全壊か使用不能状態となっていた。道路を隔てたショップDewi Sutraは無事残っていたが、人々は山の方に逃げ無人状態だった。織機の被害状況など詳細は不明のままだが、人的被害は免れた公算が高い。引き続きJakarta Textile Museumによる被害状況の詳細報告や復旧復興への支援予定を待ちたい。
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  タドラコ大学Tadulako Universityから海岸方向に下っていく道路の右断面には、2000年前頃だったかの津波で運ばれた大きな貝や砂の層が地質学者により報告されている層が見られる。その痕跡からは津波の高さが30mにも達していたと指摘する研究者もいる。<下の画像:2000年前頃とされる津波痕跡>
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  すでにパルPaluの街を何度も襲った津波を報道したオランダ、スラバヤ、マカサルなどの新聞記事の切り抜きがパルのアーカイブズに保管されている。
  知事庁舎近くや中心地には何カ所か、世界の各地で見かけるオレンジ色の津波避難標識が立てられているのも目にした。<下の画像>
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  この数日「地震・津波」に特化して被災地を見て回った。目前の緊急支援ニーズを修復保存専門家の立場でsurveyすると同時に、阪神大震災の時に始めた「平凡だが、明日の復興の拠りどころ、を助けようとした文化情報部/震災記録情報センター発足当時の初心に戻った情報シェアを大事にした。

  一方で日毎に膨らんできたのは、”小さな喜び、大きな悲しみ~歴史を省み活かすことをせず、堆積させてきたPaluの土地柄への思い”だ。そろそろ堆積させてきた「肥やし」を活かす転換も必要だろう。新しい発想をしていく人材が増えてほしい。
  
  頭でっかちで、魂を殺し大きな過ちをやってしまったと個人的には思う東日本大震災復興プランの二の舞を、バルで繰り返さないよう復興プラン策定を支援する日本側関係者に願う。 

  今回の泊まる部屋、食事、車、おいしいコーヒー、情報提供など被災後の厳しい状況で親身に世話していただいた知り合いの知り合い家族に感謝して。  
(Senior Paper Conservatir Sakamoto)

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by PHILIA-kyoto | 2018-10-18 07:31 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

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