Palu被災現地レポート2018 ④

精神的重圧の大きい今回の中部スラウェシ地震災害

 10月19日5日間の現地被災状況調査を終えて、朝7時発のBatik Air便でパルからジャカルタに戻った。
 今次の中部スラウェシ地震・津波災害は、2004年のアチェの地震・津波災害と比べて大きな違いを感じている。

1.パルの街を襲った津波報道の「何を信じる?」

  去る10月2日のBBCニュース日本語版に次のような記事があった。
  「パルの入り江のようなU字型の地形の中に波が入り込んでくる場合、単に海が浅くなるに伴い波が高くなるというだけでなく、波が周りの海岸線からはねかえってくるすり鉢状態になる」 「バンドン工科大学のラティーフ博士によると、パル周辺は以前にも津波被害を受けている。入り江の入り口では高さ34メートルだった波が、パルに到達した時点では8メートルに達していたという1927年の記録が残っているという。」
   だが、今回の津波で、パル湾のセレベス海あるいはマカサル海峡に面した開口部に位置するドンガラのKarang Piaなどには目立った津波被害の痕跡が残っていない様相はBBCの記事では説明がつかない。
  この津波発生のメカニズと様相を正しく理解しておくことは、今後の津波被害の犠牲者を減らす上からも重要な事だ。「Palu被災現地レポート2018 ①」の投稿において、パル州立博物館スタッフに案内されて湾の西岸と東岸を車で廻り、カイリ語で津波の事を”Bomba Talu"という事を教えられた話しを書いた。地震発生から5分以内で津波が襲来したことを地元新聞記者や何人もから聞いた。
  
  今回の津波からの生存者の証言は、多くの日本人が有する「津波」のイメージとは大きく異なっている。地震発生から津波到達まで数時間ある、あるいは一旦海の底が見えるほど引いて津波が来る、という日本での体験談は、全ての世界で起こる津波に当てはまるわけではない。
  国際社会においては、地元の人だけが津波から助かる防災教育だけではダメで、世界の様々なタイプの津波発生のメカニズムと様相を教えていく事が、国際的なDRR(Disaster Risk Reduction)防災教育の在り方だと考えます。

2.液状化被害の各地での深刻さ

  地震・津波被害の甚大な地域を、スマトラ沖大津波、東日本大震災の際に見てきたが、今次のような数キロ四方一帯が液状化し、広大な集落がそっくり泥の中に沈んでいくという惨状を目前にしたのは初めての事だった。 マスコミの報道で良く知られるBaraloa(この近くに第一次調査の滞在先があった)とPetoboの2ヶ所以外にもJonoOge一帯も広域で液状化の甚大な被害が出ていた。
  このJono Ogeは、2008年のBeaten bark調査の際に、Napu渓谷へ行くために通った地域だが、今は主要道路が液状化し、寸断されて通行不能となっていた。<画像右:Napuへ向かう橋の先は、液状化で沈み通行不能に。左画像は橋の下から見た橋脚>
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  今次の地震で液状化した地域は、もともと沼地や湿地帯で、住宅地域に開発するのには不向きだったが、自然も豊かで高級感ある住宅地に変身したのだが…。今回のパル周辺部の液状化は、明らかに人災だと言われるが、数千人の命が失われた。そして同時に今も泥に埋まったままの数千人ともされる住民の鎮魂を忘れないで続けていただければと願う。

3.平和を祈るオーストロネシア語族の玄関口パル

  新石時代に大海原に漕ぎ出していったオーストロネシア語族が、辿りついた中部スラウェシのパル。オーストロネシア語族が辿りついた頃は、海岸線はもっと内陸側にあったと言われているが、現在のどのあたりになるのだろう。
  数千年の時間の変遷の中で、パルは歴史的に重要な位置づけとなり、中央スラウェシの玄関口となった。2008年のNapu渓谷、Besoa渓谷、Bada渓谷での樹皮紙Beaten bark調査の出発点もパルであった。
  その台地は、平和な楽園であったのか、おびただしい人の血が流された争いの絶えない土地だったのか? ポソ紛争当時の悲しい記憶も重なるが、乳と蜜の流れる平和の郷として復興していってほしい。

  時は過ぎ、中部スラウェシで、おそらく「偉大な技術革新」を為し遂げたオーストロネシア語族の人々は、更に西へ西へと大海原を小さなカヌーで航海を続けていった。
  ビックリしたが、樹皮紙/布に関連する語彙を、中部スラウェシ~太平洋諸島で比べてみたら、その共通性に驚かされた。新石器時代の樹皮布を、織物以前の「原始的な布」とする学説が主流だが、インドネシアでのBeaten bark樹皮布/樹皮紙調査研究からは、スピリチュアルな古代の人々の恐怖心を克服させる「聖なる守りの布紙」だったのではないか?と思える痕跡が多々見つかる。
  日本の高知では、オーストロネシア語族にとって重要なものであったフンドシのことを、昔はマロと言ったそうだ。日本の基層にも、オーストロネシア語族の痕跡とおぼしきものが結構見つけられるのかもしれない。
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 パル被災現地レポートが、オーストロネシア語族の雄飛に飛躍してしまった。次の投稿では地震被害の甚大であったパル州立博物館収蔵品について報告する。
           *2018.11.4時点で、投稿のレイアウトとタグ及び内容を一部を変更した。

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by PHILIA-kyoto | 2018-11-02 22:22 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

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