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Palu被災現地レポート2018 ⑪


2ヵ月半経ったパルの様子

  パル市内の街の様子は、震災前と同じような活気を回復しつつある。公設市場の物資も豊富になった。だが、一歩山間地や人里離れた地域に踏み込むと、簡素な防水シートで四方を囲ったテントに生き残った家族が身を寄せ、地域の細々とした助けで暮らしている現状がある。
  交通手段として必須のモーターバイクも仕事があれば、クレジットか現金で購入できるが、無一文になってしまい仕事も失った人々には厳しい現実がある。

  津波災害を受けたバンダ・アチェや東北の街で、被災後の人々の意識の変化を見る機会があった。
  パルで、強く感じることは、「強靭な精神力、災いを思い出さない気質」が、比較的強いように思えた事だ。地元紙の記者が、田舎のロンボクでは震災を取り上げた記事が書き易いが、都市のパルでは書きづらいという印象を述べていたのと通じる点があるのかもしれない。外に居ると頭がボーとなるくらいの暑さ、が其の原因、あるいは様々なこれまでの経緯から、このような土地柄が生まれたのだろうか?
  例えば、バンダ・アチェでは、津波の映像と伝統音楽を組み合わせた「カセット・テープ」が、何種類も販売されていたが、そのような事はパルでは想像もできない。
  忘れる事は必要であり、本能的なことなのかもしれない。しかし、パルの地震災害の専門家や博物館のリーダーらは、「次の災害時の死者や被害の軽減」という観点から、過去の災害、今次の災害から発生のメカニズムや被災の実態および歴史を学ぶ必要性を指摘する。
  これまでの2回のパル滞在で、日本の被災地で目にするのと同じように、損壊した建物の壁や塀に、様々な心の叫び、メッセージを書き残しているのを目にしてきた。これらが目に出来るのは、1,2ヵ月よりも短いだろう。解体撤去のスピードも早そうだし、太陽光線も強く、退色・劣化も急速だからだ。

損壊建物に残された、被災直後のメッセージを撮影記録し明日にのこそう!!

  地震・津波・液状化災害を受け、一瞬にして愛する人々、家や家財、ライフラインや思い出等を失う事に遭遇したパルの人々。
  彼らも、他の被災地で見かけたように「心の叫び」「衝動的に書き残したかったメッセージ」を、損壊し痛々しくなった壁面や、様々な平面に書き残すことを行った。現在の「災害のことなど無関心」のそぶりをするパルの人々の、抑えきれずに噴出した心の叫びが損壊した建物に残されたのだ。
  多くの心の叫びが、若い世代によって書かれた事も思えば、復興でどんどん街が変貌し、人々の意識や記憶も上書きされ失われていく中で、「いつか大事な震災直後の記憶」が、明日の復興への励ましになる時が来るように思う。

  阪神大震災の時に、阪神間の世代を越えた「明日の復興のために」という呼びかけで、様々なクリエイティブなアイデアが実践され蓄積されてきた。その蓄積の一部を、パルにも種を播いてみよう。
  今から23年前に神戸で始まった「思い出の品々、地域の遺産のサルベージ活動」「組織的な震災記録を残す活動」などについての第一次資料が、神戸大学震災文庫に稲葉洋子司書らの努力で保存され、閲覧できる。 <パルのCafe Awenにて>
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  液状化(Likvifaksi)でBalaroa地域の1x2kmほどが泥沼化し、住民の多くが呑み込まれ埋まったままとなった。最近、液状化被災地に、国旗や三角旗が住民たちによって立てられた。
この未曽有の惨状となった液状化は、古来からのKaililiの地名や伝承を無視した移住政策により発生した人災とも考えられ、Petobo, Jono Oge, Sibalayaを加え4か所で大規模に発生した。2012年に「Penyelidikan Geologi Teknik Potesi Liquifaksi Daerah Palu」という論文が、Risna Widyaningrumにより発表されており、様々な検証が願われる。
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<一部記載を2018.12.11. 11:45amに修正、補足した



by PHILIA-kyoto | 2018-12-09 11:05 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

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