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ギブスと災害メモ

ギブスから解放された日

 猛暑の中、自転車転倒事故で骨折した左腕を固定していたギブスが一ヶ月ぶりに外せた。片腕での生活がどのように不自由か、ネジを回したり、果物の皮をむいたり、多くのことを無意識で両手でやっていることを認識した。片手だけでパソコンを使ったり、タオルをしぼったりしていると、大きなストレスが身体にたまって精神的にも大きな苦痛が伴う。 今日、その苦痛から解放された。この苦痛を一生、あるいはもっと大きなハンディをずっと負っている人が居ることを覚えておこう。
 人は勝手で、苦しみやハンディから解放された途端に、苦しかったことを忘れてしまう。災害や戦禍でも同じ傾向がみられるが、「語り伝える」という苦行のような「忘れない」行為は、自分勝手な自由さに慢心してしまうことにバランスを取り戻させる言葉となる。耳を澄まそう。


非常持ち出し品チェックリスト 

 家族の宝について、これまでブロッグで数回書いてきた。日本での距離感を感じる方々が多いようだが、身近にやれることもある。

 一例として、神戸の「人と防災未来センター」にセンター員で作成した「非常持ち出し品チェックリスト」が用意、配布されているが、其の中には位牌や、家族の写真アルバムなどの「家族の思い出の宝物」のことがまったく記載されていない。
 神戸や新潟中越地震などを経験し、事前に家族の中で、非常災害時に「位牌や家族の写真、一個のおもちゃ」など家族の宝物の優先順位を決めて、持ち出しを動転しながらも忘れないように促す一項目が欲しい。

 非常持ち出し品チェックリストは緊急事態に応じ段階を決めてあるのが現実的だが、少し落ち着いた第二段階にでも「思い出の写真アルバム、位牌、卒業証書など」として、家族ごとに持ち出したい思い出の品々は異なるであろうが、短く持ち出し品リストに加えるだけで、復旧後に、心の支えを得られる人々が増える。

 ぜひ、このような明日の復興時のための気配りを配布物に加えていってほしい。このような、足元の変化が、距離感を縮めていくと思う。

アーカイブ 

 災害とアーカイブは関係が深い。神戸の地震後の記事や自費出版物、また、中越地震後の『帰ろう山古志へ』(2006年新潟日報事業社刊)にも見られるが、災害で災害前の町の風景、失った学校の卒業アルバムなど「戻らない失ったもの」が多数生じる。倒壊した家から、家財や思い出の品々を持ち出せる運のいい人々もあれば、一切持ち出せない場合もある。神戸の震災後に、いくつかの国内の文書館で義務教育段階の地域の卒業写真アルバムをすべて文書館で収集保存していく案も出されていたが、その後全国的にどうなったのであろうか?

 残念ながら、今の日本の「アーカイブ」「公文書館」と呼ばれている場所は、学者や特別の研究目的の人が行く、一般には知られざる「面白くない場所」のところが多いのではなかろうか。それは、日本の文書館、アーカイブが、図書館、博物館のように役立つ目的や設立の経緯を明確に持っていなかった点にあるように思う。(アーカイブには、閉鎖的である一面もあり、国や企業の長期的将来のアイデンティティを基礎づくる文書類も沢山収集・保存していく役割もあるが、その収集・保存の目的が「何に役立つ」ためか、明確にしていく責任はある。)

 災害という面から考えると、神戸以降の震災の経験から、個々人が災害で写真を失っても、破壊される前の町並み(小平市立図書館が実施しているような定点経時撮影含む)、暮らしの様子、学校の卒業記念写真など被災地の記憶のバックアップを全国的に行っていく取り組みが日本の文書館(アーカイブ)で行われると、人々の支えであり、大いに役立つ運用が可能だ。  「図書館は知られていても、文書館は知らない」という現状打破にもなるだろう。
 アーカイブには本来大きな可能性があるが、日本の文書館はどこまで「役立つ目的」と「住民サービスをする」発想、実行力があるだろうか? 
 アメリカの友人から、アメリカには個人レベルのアーカイブの作り方のような、身近なWEBがよく利用されているという。今度、よく使われているアメリカのWEBを紹介してもらおう。

ハリボテを増やさない災害対応

 日本の災害対策の欠陥というこれまでの控えめのブロッグ記事も、違和感をもたれた方々が多いと聞く。財政的にも、厳しい中で、個人の思い出や地域の文化・歴史など災害という極限状況で、失われるのは仕方ない、と考える人々が多いようだ。これは、貧しさの現われだと思っている。最近話題になることが多い北欧の国々も、決してお金が溢れるような国ではない。留学時代に研究したデンマークの歴史においても、1864年当時は敗戦国で破産状態であった時期を経て、北欧民主主義を構築してきた。日本は、お金の使い方がどうも下手なのだろう。また、お金の使い方を律するビジネス・モラルが変なのだろう。アメリカの友人は苦笑する。

 そのような課題に加えて、行政サイドが「災害に慣れ」てきて問題も出始めているようだ。一例だが、神戸で研究者らにより始まった画期的な、被災地域の古文書などを地域を巡回し、救出していく「史料ネット」活動が、最近は、外見だけを整えた内実を伴わない行政側の「ハリボテ」体制が台頭してきて、必要な災害時の救出活動が制約されていくことも出てきている、と警鐘をならしていた。
 体面を重視する行政機関とともに、FEMAや Heritage Emergency National Task Forceのような実践重視の機関、団体の存在が必要なのだろう。

 以前の報告だが、FEMAの危機管理専門官Leo Bosnerの日本滞在報告が月刊『地方自治』平成13年10月号に掲載されているので、一読を勧める。

by PHILIA-kyoto | 2007-08-21 13:04  

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