冷泉家の乞巧奠(きっこうてん)

乞巧奠(きっこうてん)

 京都の冷泉家に伝わる乞巧奠は陰暦七月七日の星祭とされる。今年2007年は8月19日がその日だった。
 牽牛・織姫の二星に、うり、なすび、もも、なし、からのさかずき、ささげ、らんかづ、むしあわび、たひ、という供え物をし、蹴鞠、雅楽、和歌などを手向けて技が巧みになるようにと祈る七夕の行事。 今年は6年ぶりに京都府立府民ホールで特別公開が執り行われた。
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 当日は簡略化された2時間半の行事と祭壇の設定であったが、本来は以下のように執り行われるようだ。

「星の座」という祭壇が設けられ、四脚の机の周囲に九本の灯台をめぐらし、うしろに二本の笹を立て、笹の間に梶の葉と五色の糸を吊るした緒が張られる。机の上には、星に貸すために、琴・琵琶などの楽器が置かれ、先述の食物のお供えが置かれます。机の前には、五色の布、秋の七草も手向けられます。最前列に、水を張り梶の葉を一葉浮かべた角盥が置かれます。
 行事は、午後、陽の高いうちに、手向けの蹴鞠から始まり、やがて日没と共に灯台に火が入り、雅楽が奏されます。次に「披講」(和歌を朗詠すること)があり、最後は、「流れの座」という歌会が行われます。やがて、男女の間に、天の川に見立てた白布が敷かれ、扇にのせた詠草を贈答して、翌朝鶏の鳴くまで歌会は続き、楽しむ。

 非常に優雅に、ゆったりと夜を徹して行われる行事であったことがわかる。
 乞巧奠(きっこうてん)に注目する要因となったカジノキであるが、当日使用された梶の葉は冷泉家から運ばれてきたようであるが、紛れもないカジノキであったかコウゾであったかは、実際の木を見て花などを確認しDNAを調べないと正確なことはわからない。

 祭壇の飾りにも見られ、また蹴鞠の鞠を吊るしてあった枝が梶(カジノキ)であったり、この乞巧奠の中で梶(カジノキ)は重要な役割を果たしていることがわかる。
 しかし、乞巧奠になぜカジノキが重要な役割を果たしているかは、詳しいことはわかっていない。歴史的には、乞巧奠(きっこうてん)は中国から伝来した行事とされており、中国での研究成果が待たれるが、カジノキは特別な織物の材料であったのであろうか。日本の古代神話に登場する白和幣はカジノキで作られたもの、と考えられている。問題は、カジノキが数千年前から樹皮布として使われた文化と、白石の紙布のように糸とし織物とした文化にどのような関係があったのか?樹皮布と樹皮織物の技術史的解明が必要に思われる。

 未解明の点は多いが、中国か太平洋諸島においてカジノキと数千年のつながりのあったタパ(樹皮布)文化圏で生まれた「カジノキ神聖観」が源流にあることが想像される。しかし、古代インドにおいて、カジノキはヒンズー教聖職者の服装品となっていた可能性があり、インドネシアのジャワ語古文献やバリ島にはその痕跡を私たちは見つけていることから、そのルーツ探しは大変だ。
 このように、古代人とカジノキの関係が、乞巧奠で見られるように、単に実用的な植物としてのカジノキという域を超えた、神聖な特別のものに変化していったであろうプロセスが神秘的で、魅惑的である。調査研究が盛んになってほしいテーマのひとつだ。
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by PHILIA-kyoto | 2007-08-22 11:31  

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