人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「アジアの紙の道」 ⑧

10.北の紙の道、南の紙の道
 日本だけでなく、紙を専門に扱う欧米の芸術や修復の専門教育の場で、今もダード・ハンターの「紙の道伝播マップ」しか使われず、進歩していないことは驚きである。また、マップ上に空白の状態となっているアジア地域の尊厳のためにも非常に惜しまれる状況と思います。
 かって、「北の紙の道」の発見がヘディン、スタイン、ベリオ、大谷など多数の探検隊の派遣と巨額な資金の注入の成果に基づくものであったように、「南の紙の道」の大いなる発見にも、多数の調査隊、チャレンジャーの必死の苦労と大きな資金の注入が必要となるのだろう。必ずや、発見の小さな痕跡が点となって増えていき、いつか点から線に、そして面に発展していかなければならない。

 この10年余のフィールド調査においても、猛烈な開発の波に流され、点すらも探すのがやっと、という状況であった。中国、韓国、日本などを除くアジアの地域には、あたかも古き時代には紙の文化がなかったような錯覚に陥る。
 思い出すことは、今から10年ほど前にインドネシアに文書の調査に出かけた時、インドネシアの紙文化はヒンズー教の貝葉文書を除けば、ポルトガル人やオランダ人が来て以降に始まり、国立図書館の蔵書も17世紀以降のものばかりである、というレクチャーを受けた記憶がよみがえる。やっとこの10年の調査研究で、インドネシアにも古くから貝葉文書以外のカジノキを使ったダルワン紙やワヤン・ベベールの存在が知られるようになり、認識はずいぶん変わってきた。

 ベトナムにおいても、ベトナム製紙の起源は3世紀頃に遡るとハノイの歴史博物館展示には書かれているが、ベトナムの紙の歴史についての著述は武有識氏の「河西省-芸の里、文の里(第一集 安穀の古伝紙芸)」くらいで、ハノイより北方地域やホイアン近郊中部地域など、ほとんど調査がされておらず全容は明らかにされていない。
 かって、ダード・ハンターは、まだ古き佳きハノイの手漉き工房が多く残っていたランブオイ、イエンタイを訪問し道具などを入手している。しかし、ベトナムの手漉きに特徴的な原料DoやネリMoなどについては一切言及していない。さらに、ベトナム最高の皇帝の紙であるガンボウジで染め、両面に吉祥文様を金銀で描いた50cmx130cmほどの龍騰紙(SAC paper)についての記述が全く見られない。
「アジアの紙の道」 ⑧_f0148999_13234783.jpg

 これまでのフィールド調査研究によって、素材の調査研究と共に、この龍騰紙を特権的に製作してきた頼家(調査時点で20代目Lai Phu Bang、初代は1460-97年)が中国から来て500 年以上の歴史を連綿と刻む家譜を所持する、世界でも稀有な伝統紙製作の家柄であることが判明した。(龍騰紙については、『アジアにおける歴史的文書史料の修復保存総合調査第2回調査団報告書』に科学的データを加え少し書かれているが、詳細を書いたものはまだない。)

 今後の「南の紙の道」の調査研究が進展することにより、多くの南方文化のナゾが解明され、古代からの南方ならではの製紙原料や技法の多様性、歴史性が明らかになってくるだろう。それは同時に、アジア地域でこれまで紙の文化がなく文化的貧困地域と烙印を押されていた地域に誇りを生み出す。それにより、実態と大きくずれてきてしまった「紙の道」というものの多様性が理解され、全体像が是正されていくことであろう。
 願わくば、生きた化石の痕跡が消滅してしまう前に、遅れている「南の紙の道」研究を盛んにすることは必要とされる。

付記 
 フィールド調査の多くは、国際交流基金アジアセンターの画期的な助成で行われたものであり、『アジアにおける歴史的文書史料の修復保存総合調査第2回報告書』(1998年)、『ベトナム中南部における少数民族歴史文書現地調査』(2001年)、そして『季刊和紙』17号(1999年)「ベトナムのモーは魔法か? 雲南手漉き紀行」、19号(2000年)「インドネシアの幻の紙ダルアン」、『ACADEMIA』No.71号(2001年)「ヴェトナム・チャンパ王国と歴史文書」、『吉備国際大学社会学部研究紀要』12号(2002年)「ヴェトナムにおけるチャム、ラグライ族の伝統文書と製紙技術」などとして報告された。今回それらに、その後のフィールド調査や文献調査の成果を加えた。                                         《完》

by PHILIA-kyoto | 2007-09-05 13:34 | アジアの紙の道  

<< DISASTER HELP 「アジアの紙の道」 ⑦ >>