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遣水庭園とカジノキ

平安時代の庭園

 先日、「曲水の宴」という伏見区の城南宮で行われた平安時代からの宮中で行われていた伝統行事の様子をテレビで見ていて、記憶の片隅にあったことが蘇った。曲水の宴そのものは、京都の上賀茂神社や各地でも行われている行事である。
 この平安時代からの行事は、遣水庭園(やりみずていえん)で、庭内に作られた蛇行する小川を舞台に繰り広げられる。曲水の宴では、男は狩衣(かりぎぬ)、女は小袿(こうちぎ)を着て、小川に流された神酒の杯が自分の前に来るまでに歌を短冊にしたため、杯をとって飲み干す。そのようなことを繰り返して遊ぶものらしい。

 曲水の宴に似たような遊びは、冷泉家の乞巧奠(きっこうてん)でも行われていたのではなかったか。

 記憶の蘇ったことは、今から20年ほど前に発掘調査の行われた京都市中京区三条の「藤原実能(さねよし1096-1157)邸」のこと。庭内の遣水庭園の場所から何粒かの「カジノキの実」が発見されたことが、昭和63年2月だったかの現地発掘報告会で配布文書にも紹介された。その庭園跡は現在の三井ガーデンホテル京都三条の遣水庭園の位置付近だったようだ。
 平安時代の遣水庭園の庭木としてカジノキが植えられていたとすると、乞巧奠以外にも平安の宴にカジノキは何かしら使われていたのかもしれない。カジノキを詠んだ歌が数多くあるのも、カジノキが身近な愛でられる植物であった証左であろうか。

 だが、ショッキングなことは、現地発掘報告会で紹介されたカジノキの実は、その後作業中に紛失してしまい永久に消え去ってしまった、と聞く。そのため、発掘報告書にも記載が見られなくなった。
 いつか、別の平安時代なりの遣水庭園から「カジノキの実」が発見される奇跡を待つことしか出来ない。


補遺:『平安京左京四条三坊九町 発掘調査現地説明会資料』1988.2.28 (財)京都市埋蔵文化財研究所発行 本文3枚目<概要>説明中に「なお庭園の重要な構成要素である花、草木などの植物類については遣水内の堆積土を持ち帰り種子の摘出作業を行っており、庭の植生をかなり復元できるであろう。担当者の中間報告ではカジの木など平安時代の庭園によく見られる種子も含まれているとのことである。」 との記述がある。 
  摘出作業中にカジの木の実が失われた事は遺憾であるが、平安時代の庭にカジノキがよく見られた状況は推察できる。(2010年1月11日補遺追加)

by PHILIA-kyoto | 2008-11-17 19:45  

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