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Daluang and Wayang Beber at Balai Pustaka,Jakarta

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# by PHILIA-kyoto | 2019-03-11 02:40 | ワヤン・ベベル  

Palu被災現地レポート2019 ①


Palu被災現地の様子

  2018年9月28日に中部スラウェシPalu地域で発生した大地震・津波・液状化から間もなく6ヶ月となる。
  現地に居て感じる印象は、全般的にパルの人々は精神的にもたくましいことだ。災害後1ヶ月もすると海に釣りに行く人が目につくようになり、市内のローカル市場にも新鮮な魚が多数並べられ、海鮮レストランが次々と賑わいを取り戻した点だ。インドネシアのアチェや日本の東北では、「海」への恐怖感や魚への忌避感が解消までに時間を要し、数ヶ月以上を要しように思えた。
  日本人にとっては、パルの復興計画策定及び実施に日本政府/JICAが国家間の合意に基づき参画することが、不安と期待をもって注目されている点がある。殊に、地域活動に熱心な人々の話題にされるのが「Sea Wallツナミ防潮堤」だ。実施説明の初めでは「津波防潮堤」の必要性に理解を示し好意的なところが多かったようだが、実際に建設の終わった東北の海岸線の写真を見たり、東北を実際に視察したパルなどに住む人々は、否定的な意向を口にする。日本の「技術過信」「構築物を絶対視」する現状に、率直に疑問を感じているのかもしれない。
  去る1月7日にパルの、かってカフェが軒を連ね非常に賑やかだったタリセ海岸でタケヤ・ダイスケ氏による地震と津波を忘れない黄色のインスタレーションとパフォーマンス(https://goo.gl/images/NAMu8m)が行われたが、その実施を担ったのがForum Sudut Pandangだった。同団体は津波や液状化の被災場所に「ヒマワリ」を植える活動も行っていて、日本から届けられる「はるかのヒマワリ」の種も播く予定だという。大きな被害を出した災害から謙虚に学ぶと同時に、今後の災害に人的被害を軽減できる方策が講じられることも不可欠だ。だが、その方策や答えは、たったひとつなのではなく、対話から複数個うまれることも多い。今後を見守っていきたい。

  パル州立博物館への地震直後からの日本の支援は、現在も継続して行われており、その活動は複数の新聞に掲載された。インドネシアで発行されている「じゃかるた新聞」の2月15日号にも記事が載ったので、博物館での作業の画像と共にURLを記載しておく。
  https://www.jakartashimbun.com/free/detail/46328.html

**タイトルを2029.3.21変更。

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# by PHILIA-kyoto | 2019-03-11 02:23 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑫

被災地パル州立博物館にて

  雨季がすでに始まったものの、30分も日差しの下を歩いていると汗が吹き出し、頭から思考能力が失われていく。日陰でも手元の温度計を見ると35℃あるが、風の通る日陰に座っていると快適だ。州立博物館の敷地は広く、快適に涼める場所が何カ所かある。
  毎日博物館に通っていると、3-40人居るスタッフは、昨日は日本人がどこを訪ね、何をしていたか、早や耳で知っているようだ。時には話しかけてきたり、驚くような情報を持ってきてくれる場面も増えてきた。
  博物館副館長の影響が大きいのだろうが、潜在的能力を有するスタッフも居て、彼らの話を聞いていると、驚くこともある。
  今回のパル災害で一気に注目されることになった「液状化Likuifaksi」だが、専門家でも想定しておらず、誰も予期していなかった災害と思っていた。
  Balaroa,Petobo, Jono Oge, Sibalaya の4地域で数千人を生き埋めにしてしまったとされる。
 だが、彼らの情報では2012年に以下の画像のように「液状化Likuifaksi」現象の起こる可能性について、古地図を使って液状化の起こるメカニズムを論文として発表していた、というのだ。6年も前に、既に液状化を専門的に調査研究してきた方がおられたとは。
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  そのうち、一冊の青い表紙の本を持ってきてくれたスタッフが、地震の前日に、パル湾の津波と活断層を研究をしているAbdullahさんが、パルにある国立タドラコ大学で、活断層の歪みについて講演していた…と、驚きの証言。<Abudullahさんの2017年12月に出版された本の表紙画像>
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  中部スラウェシの街Paluには、災害分野でも研究熱心な方々が多々おられるようだ。
  向こうの木陰では、災害現象と民間説話や神話について、語り合う地元紙の男性記者らが
数人で話していた。

  来年2019年早々に、パル博物館の副館長と地元紙Radarの若手記者を、UNESCO本部の資金で神戸・東北に招請することが決まっている。共通する災害に見舞われる日本とインドネシアの様々の専門分野の方々が、蓄積してきた経験や情報のシェアを始めていくと、互いに新たな発見や展開が期待できるかもしれない。   

# by PHILIA-kyoto | 2018-12-17 00:54 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑪


2ヵ月半経ったパルの様子

  パル市内の街の様子は、震災前と同じような活気を回復しつつある。公設市場の物資も豊富になった。だが、一歩山間地や人里離れた地域に踏み込むと、簡素な防水シートで四方を囲ったテントに生き残った家族が身を寄せ、地域の細々とした助けで暮らしている現状がある。
  交通手段として必須のモーターバイクも仕事があれば、クレジットか現金で購入できるが、無一文になってしまい仕事も失った人々には厳しい現実がある。

  津波災害を受けたバンダ・アチェや東北の街で、被災後の人々の意識の変化を見る機会があった。
  パルで、強く感じることは、「強靭な精神力、災いを思い出さない気質」が、比較的強いように思えた事だ。地元紙の記者が、田舎のロンボクでは震災を取り上げた記事が書き易いが、都市のパルでは書きづらいという印象を述べていたのと通じる点があるのかもしれない。外に居ると頭がボーとなるくらいの暑さ、が其の原因、あるいは様々なこれまでの経緯から、このような土地柄が生まれたのだろうか?
  例えば、バンダ・アチェでは、津波の映像と伝統音楽を組み合わせた「カセット・テープ」が、何種類も販売されていたが、そのような事はパルでは想像もできない。
  忘れる事は必要であり、本能的なことなのかもしれない。しかし、パルの地震災害の専門家や博物館のリーダーらは、「次の災害時の死者や被害の軽減」という観点から、過去の災害、今次の災害から発生のメカニズムや被災の実態および歴史を学ぶ必要性を指摘する。
  これまでの2回のパル滞在で、日本の被災地で目にするのと同じように、損壊した建物の壁や塀に、様々な心の叫び、メッセージを書き残しているのを目にしてきた。これらが目に出来るのは、1,2ヵ月よりも短いだろう。解体撤去のスピードも早そうだし、太陽光線も強く、退色・劣化も急速だからだ。

損壊建物に残された、被災直後のメッセージを撮影記録し明日にのこそう!!

  地震・津波・液状化災害を受け、一瞬にして愛する人々、家や家財、ライフラインや思い出等を失う事に遭遇したパルの人々。
  彼らも、他の被災地で見かけたように「心の叫び」「衝動的に書き残したかったメッセージ」を、損壊し痛々しくなった壁面や、様々な平面に書き残すことを行った。現在の「災害のことなど無関心」のそぶりをするパルの人々の、抑えきれずに噴出した心の叫びが損壊した建物に残されたのだ。
  多くの心の叫びが、若い世代によって書かれた事も思えば、復興でどんどん街が変貌し、人々の意識や記憶も上書きされ失われていく中で、「いつか大事な震災直後の記憶」が、明日の復興への励ましになる時が来るように思う。

  阪神大震災の時に、阪神間の世代を越えた「明日の復興のために」という呼びかけで、様々なクリエイティブなアイデアが実践され蓄積されてきた。その蓄積の一部を、パルにも種を播いてみよう。
  今から23年前に神戸で始まった「思い出の品々、地域の遺産のサルベージ活動」「組織的な震災記録を残す活動」などについての第一次資料が、神戸大学震災文庫に稲葉洋子司書らの努力で保存され、閲覧できる。 <パルのCafe Awenにて>
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  液状化(Likvifaksi)でBalaroa地域の1x2kmほどが泥沼化し、住民の多くが呑み込まれ埋まったままとなった。最近、液状化被災地に、国旗や三角旗が住民たちによって立てられた。
この未曽有の惨状となった液状化は、古来からのKaililiの地名や伝承を無視した移住政策により発生した人災とも考えられ、Petobo, Jono Oge, Sibalayaを加え4か所で大規模に発生した。2012年に「Penyelidikan Geologi Teknik Potesi Liquifaksi Daerah Palu」という論文が、Risna Widyaningrumにより発表されており、様々な検証が願われる。
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<一部記載を2018.12.11. 11:45amに修正、補足した



# by PHILIA-kyoto | 2018-12-09 11:05 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑩

パル州立博物館の陶磁器コレクション救出回収作業<追加画像>

  日本から5千キロ以上離れた中部スラウェシPalu博物館の、甚大な地震被害(約6割が損傷と推定)を蒙った陶磁器コレクションを、主として日本側が救出回収、修復を支援する経緯から、作業画像を補足掲載しておく。
  陶磁器回収作業現場の下側に、刀剣コレクションの山が置かれているが、日本刀スタイルのサーベルは170cmほどの長さだ。
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# by PHILIA-kyoto | 2018-11-28 19:28 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑨


Palu中部スラウェシ州立博物館の落下陶磁器回収

  パルには11月16日(金)から21日(水)までの6日間入った。ジャカルタからの同行者は、オーストラリアで絵画修復を学んでいるインドネシア人男子学生1名だ。
  州立博物館の陶磁器は中核コレクションで、6割ほどが地震で棚から落下し破損したと推定されている。今回は、床に落下した陶磁器類を、落下散乱位置を区域ごとに明示し、写真で現状を記録撮影してから、今後の修復に望ましい回収方法を考え、事前にインドネシア語に訳した回収作業マニュアルを使って、なるべく個単位でプラ袋に収納し、不注意で災害後に破損したりしないようにオリコンに回収した。回収作業は、金、土、日の3日間をフルに使って実施された。
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  この後は、登録台帳と一点ずつ収蔵品を照合し、破損状態も短く付記しておき、来年1,2月頃から予定される修復作業に備えて保管しておくこととなる。 
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  今回は、日本からの応急作業資材として、ホビー用チリ取りセット8組。90Lプラ袋10枚、70L透明プラ袋50枚、45L透明プラ袋50枚。ジップロック袋2種各50枚。各種荷札200枚。タコ糸2巻。カラー布ガムテープ5本、赤黒中細マジックインキ各3本。布手袋20組。マスク20枚。使い捨て手袋30枚。手術用キャップ20枚。などを1ボックスを携行。ジャカルタでオリコン15個を調達し携行。透明チャック付きプラ袋が不足しパルで購入。オリコンも不足し応急的に農作業用プラボックスを現地購入した。

  前回訪問から約1ヶ月が経ち、空港から州立博物館へ向かう道沿いや中心部の店舗はかなり営業を再開していた。ホテルはまだ再開は聞かないが、小さなLosmen安宿は何軒か営業を始めていた。電気は建物が残った地域では、ほぼ復旧していたが、電力量が不足の様で、数時間ずつ地域毎に計画停電を実施している、とのことであった。水道の復旧は部分的で、各地で復旧の目途が立っていないようだ。
  海岸沿いの津波被災地域は、被害状況と被災者の様子が把握しやすいが、山間部の奥の方などは、取材対象にもなりにくいことから、忘れられ或いは埋もれていき、支援の手も届きにくいと思われた。何万人の人々が、家を失い、応急的なテントや建設がボチボチ始まった仮設住宅に住んでいるのだろう? <下の画像はDongala県, Kola Kolaで>
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# by PHILIA-kyoto | 2018-11-25 23:34 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑧

パルのオジサン達はコーヒー大好き

  これまでに10回以上来ているパルであるが、地元ブランドのコーヒー店を意識して行くようになったのは今回が初めての経験であった。滞在先から州立博物館へ行く前に1個所、帰路に1カ所寄るようにした。古くからある店、最近出来た店。いったい何軒のコーヒー店がパル市内にはあるのだろう。
  パルに着いて最初に連れて行ってもらったのはJl.Sungai Maei no.7のHarapan Indah。地元のオジさん達で混んでいた。パルではフランチャイズのグループが複数あるが、ほとんどの店は「炭火」で大きな寸胴鍋に湯を沸かし、SurikayaジャムのRoti Bakar(トーストパン)の焼き目をつけるのに使っている。そして、3つの大きなアルミ缶を備え、コーヒー粉・紅茶・砂糖を入れるのに使うスタイルが共通して定着していた。
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  コーヒー文化が昔から浸透しているようで、仕事前に寄っていく人も多く、朝の6時頃から営業している店も結構ある。昔からの店はどこも地元Sigi産のコーヒー豆を使用しKulawiかNapuのどちらかの地域から運ばれてくる。
  入れ方は、大きな布フイルターに細かい粉を入れ、ヒシャクで熱湯を注ぎ、時々棒で拡販して大きなポットに入れて、それから個々のグラスに注いでいた。 注文が1,2杯だと大きな布フイルターから直接グラスに注ぎ入れることもある。
  飲み方として、ほとんどは、グラスにコーヒーを注いだ後に工業製品の缶コンデンス・ミルクを1cmほど注ぎ入れて客に出され、その後にスプーンで丁寧にコーヒー液とミルクを混ぜ合わせ、その工程そのものを愉しんでいるようだ。昔からのコーヒー店の朝の定番は、黄色いNasi Kuning(サフラン・ライㇲ)かRoti Bakar(トーストパン)だ。スマトラ島アチェの住人もコーヒー好きだが、アチェの方がコーヒー店で売られる手製菓子の種類も多く豊かな食文化に思えた。
   3日目の夕方に寄ったコーヒー店は、Aweng Coffee / SIS Aljufrieだ。広い打ちっぱなしの庭にがっしりした木製のテーブルと椅子が並べられ、ゆったりした構えの店だ。店内には昔の街並みの写真が飾ってあり、独立前には日本人経営の映画館「FUJIYAMA」の看板も写っていた。
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  パルの老舗のコーヒー店が、いずれも中国系の人によって創業されたというのも、何か事情があったのだろう。
  ジャカルタに戻る前の夕方に、州立博物館であった若いアーティストらから教えられたKOPI TAROに行った。住宅街の一角にある落ち着いたお店で、各地のコーヒー豆を置いていたが、入れ方はベトナムのアルミ製フイルターで時間をかけて入れていた。コーヒーだけのKopi Hitamもあったが、コンデンスミルクを1cmほど入れるKopi Susuを頼んだ。何軒もコーヒ―店をはしごしての印象出は、地元の人々はコーヒーの味を愉しみ、香りにはあまり頓着していないように思えた。
  かって秘境ともされるLore地域を旅した時に、小さな農家の庭に植えられたコーヒーの木から採取した豆を鍋でローストし、石で細かく挽いてコップに入れ、お湯を注いで粉が沈んでから上澄みを飲むKopi deburukという方法で出してくれた。いつごろ、スラウェシにコーヒーの苗木が持ち込まれ、栽培が始まり、住民らも飲むようになったのだろうか? パルの大災害が契機となって、関心をもつようになったパルやシギのコーヒー文化。 チャンスがあれば、もう少し掘り下げて探求してみたい。

  

# by PHILIA-kyoto | 2018-11-25 06:27 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑦

パル州立博物館の破損陶磁器等コレクションへの復旧支援

  世界各地で多発傾向にある大規模災害に、感覚がマヒ気味になったり、疲労したり、という事情から、特定の被災地への継続支援を行う事が難しくなってきている。
  去る9月28日に発生したパル大地震・津波・液状化被災地であるパル、ドンガラ、シギ地域についての報道やweb情報も急減した。
  奈良のNPO「書物の歴史と修復の研究会」は、2018年5月から「カジノキ天の衣Project」を行っていた関係で、今次の中部スラウェシ地震・津波・液状化災害発生後の15日目に、ジャカルタTextile Museum特別研究員の坂本氏を被害状況調査のため現地に派遣。現地での、博物館、図書館、公文書館、大学、病院、新聞社などの被害状況を、インドネシア国立公文書館の調査チームに続いて10月14日~19日に調査を行った。この2つの調査に基づき、パル州立博物館の被害が甚大だった陶磁器コレクション(被災前の登録数834点)等が、今後の観光産業や地域の歴史を知る上で重要と判断し、関係機関と協議の上で第二期の支援を行う事となった。
  第二期復旧作業に当たって、東南アジアの陶磁器に造詣深い坂井氏に被害写真を送り様々な助言やインドネシア語での作業上の注意点や手順を記した要綱を提供いただき、必要資材の調達にも反映させた。まず作業に必要とされた「散乱陶磁器を回収する耐久性、使い勝手の良いプラスチック・ボックス」「棚から落下し粉々になった陶磁器を、微細な5mm以下の破片も含め回収する透明プラ袋」「チリ取りとミニほうき」「散乱した破片の位置を記し付与する荷札」などの調達や輸送に協力した。
  第二期の中部スラウェシPalu現地支援は11月16日(金)から行うこととなった。

# by PHILIA-kyoto | 2018-11-18 22:24 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑥

様変わりを感じる国際的支援

  これまでの大規模災害被災地、たとえば2005年のバンダアチェ、2013年のフイリピン・レイテ島での印象では、各国連機関の専用車両や拠点事務所の存在感が強く残った。
  それが、このところのロンボク島地震の時や、今次の中部スラウェシ地震・津波では、国連機関の専用車両が見られない。ある情報ソースからは、国連機関に属するスタッフは、救援関係活動のため現地入りする事が許されていない、言い換えると入域禁止の指示が出されているようである。
  これは、インドネシア国だけの事例なのか、世界の各地で吹き始めた「風向きが変わる」大きなウネリなのか、注意して見ていく必要があろう。これまで、世界各国の被災地で、迅速に”自然の流れで”展開してきた国連機関であったが、その功罪と影響について、様々な角度から見直していく事は重要であろう。  <画像は、パル州知事庁舎内に開設されたインドネシア外務省現地調整事務所>
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明日11月16日から再びパルに入るが、どのように現地は復旧しつつあるだろうか?

# by PHILIA-kyoto | 2018-11-05 01:23 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑤

1.パル州立博物館収蔵品の被害状況
 
  ジャカルタを10月14日(日)午前5時にLion Airで発ち、パルMutiara SIS Aljufri空港に8時35分に到着。日本及びインドネシアで調達した支援物資を迎えの車に積み、まっすぐ州立博物館へ向かった。
  思い返すと、2004年のスマトラ沖大津波後にバンダアチェの空港に到着した際には、GAMとの交戦状態で外国人の入域禁止令が布告されていて、空港敷地内には重火器を携行した兵士たちが大勢いて戦車も数台見られた。また、アチェ州に施工されていたイスラム法(シャリア法)が実施されている事への緊張感が漂っていた。それに比べ、パル空港には、救援活動に従事する米空軍輸送機などが見えるものの、装甲車も兵士も見かけず、到着ロビー及び敷地内の様子は緊迫した雰囲気は無かった。空港から博物館へ向かう道路沿いも、日中なのに屋台や店舗が軒並み営業していな、衝撃と悲しみにい事が目立つくらいで、人通りも交通量も普段通りだった。よく見ていると交通信号が消えている交差点が時々あり、運転手が「まだ電気供給が復旧していない地域がある」とのこと。
  州立博物館で待っていてくれた副館長らと展示エリアや建物の外観被害を一緒に見て回った。広い敷地のため、全体が甚大な被害に遭っているわけではなく。帯状に被害のひどいところがあるように思えた。揺れはひどかった様で、壁や床に随所に亀裂や割れが見られたが倒壊したのは簡易の建物2棟、そして展示棟ではコンクリート製支柱が折れたり天井パネルが落下する被害があったが、他は使用できるようであった。14日のの時点では、数か所の固定していない展示ケースが2-3m動いていることや、ケース内での展示品の破損が確認された程度で安堵していた。しかし、翌日の収蔵庫調査で、甚大な被害が発生していることが判明し、その場は衝撃と悲しみに包まれた。
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<収蔵庫画像撮影 坂本 勇>
  収蔵庫被害の外観写真を、副館長が全域で注意深く記録撮影し、次の復旧ステップを検討中だ。殊に収蔵品のなかで陶磁器の甚大な被害が画像のように目立っている。しかし、中部スラウェシの認知度は低く、なかなか復旧作業用資材や支援がが得られていない。そこで、スラウェシに縁のある人々が中心となって「つなぎ支援」を早急に届けようとしている。
 A.他の収蔵品損傷画像は、以下のURLで。http://npobook.join-us.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/10/sulawesi3.pdf  
 B.パルつなぎ支援募金は以下をご覧下さい。http://npobook.join-us.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/11/sulawesi4.pdf

2.インドネシア国立公文書館ANRI現地被害調査報告(概要)

  坂本氏の10月14-19日の現地調査に先行し、インドネシア国立公文書館の現地調査チーム(ANRI Task Force)が、以下の様に実施され概要がインドネシア語で届きました。Indonesian Heritage Association日本人メンバーの協力で邦文要約が為され、掲載します。

インドネシア国立公文書館被災調査チー厶(以下 tim ANRI と省略)による中部スラウェシ被災状況報告:
   第一報 2018年10月8ー11日実施              
 1 中部スラウェシ州公文書館
   統計資料等、長びく余震により一部損傷  歴史関連資料の棚崩壊により床に落下  
   全体的には被害良好、ホールダーなど取替必  木製棚など主に地図保管エリアにカビ発生
   AC、除湿器必要
   国家の重要歴史資料を保護するため温度/湿度調節必要
 2 パル市公文書館
   保管資料安全  事務所活動、近辺の火災により困難  地震・津波発生日の夜間に事務所に置いてあった重要ノートパソコンが盗まれた(ここ数年のデジタル化データが納められていた)。
   AC、除湿器、資料保護のため 設置必要
   地方自治体に上記必要性伝達  町中心部から、より安全な場所への事務所移転も考慮
 3 地方災害官吏局(BPBD)
   中部スラウェシ地方自治体とtim ANRIとの連携を緊密に   
 4 国家災害官吏局(BNPB)
   中部スラウェシ地方自治体とtimANRIとの連携緊密に
   国家災害官吏局にtim ANRIから 常に詳細な報告を行い、交通情報 等にも役立てる
 5 中部スラウェシTVRI放映局
   職員出勤不可のため、tim ANRI面会不可
   建物一部崩壊 具体的被害状況把握不可
 6 中部スラウェシ警察交通局
   建物、津波により崩壊
   tim ANRIとの協力によりブルドーザーなどを使用し、必要な避難活動開始
   被災復興センターが無かった為デジタルも含め、殆どの資料消失
 7 中部スラウェシ環境保護局
   震度5以上の余震により建物ほぼ崩壊
tim ANRI 建物内侵入不可
   人災は今のところ無い模様
 8 国家イスラ厶教協会IAINパル支部
   建物ほぼ崩壊
   資料内部にある可能性あるもtim ANRI侵入不可
   職員出勤不可
 9 中部スラウェシ教育文化庭園
   庭園近辺に近づく事不可
   瓦礫、死体などの悪臭あり
   職員出勤不可の為、tim ANRI活動不可
 10 中部スラウェシ海洋漁業局
   比較的被害状況良好
   一部職員出勤活動開始  一部資料、水被害
   鐵製棚、汚れを取り安全な場所へ移し無事
   tim ANRI、より乾いた場所にて活動協力
   ホールダーなど一部被害 資料全体の整理依然不可
 11 中部スラウェシ土地官吏局(BPN)
   建物一部ヒビ割れ 資料安全
以上

# by PHILIA-kyoto | 2018-11-04 21:32 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ④

精神的重圧の大きい今回の中部スラウェシ地震災害

 10月19日5日間の現地被災状況調査を終えて、朝7時発のBatik Air便でパルからジャカルタに戻った。
 今次の中部スラウェシ地震・津波災害は、2004年のアチェの地震・津波災害と比べて大きな違いを感じている。

1.パルの街を襲った津波報道の「何を信じる?」

  去る10月2日のBBCニュース日本語版に次のような記事があった。
  「パルの入り江のようなU字型の地形の中に波が入り込んでくる場合、単に海が浅くなるに伴い波が高くなるというだけでなく、波が周りの海岸線からはねかえってくるすり鉢状態になる」 「バンドン工科大学のラティーフ博士によると、パル周辺は以前にも津波被害を受けている。入り江の入り口では高さ34メートルだった波が、パルに到達した時点では8メートルに達していたという1927年の記録が残っているという。」
   だが、今回の津波で、パル湾のセレベス海あるいはマカサル海峡に面した開口部に位置するドンガラのKarang Piaなどには目立った津波被害の痕跡が残っていない様相はBBCの記事では説明がつかない。
  この津波発生のメカニズと様相を正しく理解しておくことは、今後の津波被害の犠牲者を減らす上からも重要な事だ。「Palu被災現地レポート2018 ①」の投稿において、パル州立博物館スタッフに案内されて湾の西岸と東岸を車で廻り、カイリ語で津波の事を”Bomba Talu"という事を教えられた話しを書いた。地震発生から5分以内で津波が襲来したことを地元新聞記者や何人もから聞いた。
  
  今回の津波からの生存者の証言は、多くの日本人が有する「津波」のイメージとは大きく異なっている。地震発生から津波到達まで数時間ある、あるいは一旦海の底が見えるほど引いて津波が来る、という日本での体験談は、全ての世界で起こる津波に当てはまるわけではない。
  国際社会においては、地元の人だけが津波から助かる防災教育だけではダメで、世界の様々なタイプの津波発生のメカニズムと様相を教えていく事が、国際的なDRR(Disaster Risk Reduction)防災教育の在り方だと考えます。

2.液状化被害の各地での深刻さ

  地震・津波被害の甚大な地域を、スマトラ沖大津波、東日本大震災の際に見てきたが、今次のような数キロ四方一帯が液状化し、広大な集落がそっくり泥の中に沈んでいくという惨状を目前にしたのは初めての事だった。 マスコミの報道で良く知られるBaraloa(この近くに第一次調査の滞在先があった)とPetoboの2ヶ所以外にもJonoOge一帯も広域で液状化の甚大な被害が出ていた。
  このJono Ogeは、2008年のBeaten bark調査の際に、Napu渓谷へ行くために通った地域だが、今は主要道路が液状化し、寸断されて通行不能となっていた。<画像右:Napuへ向かう橋の先は、液状化で沈み通行不能に。左画像は橋の下から見た橋脚>
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  今次の地震で液状化した地域は、もともと沼地や湿地帯で、住宅地域に開発するのには不向きだったが、自然も豊かで高級感ある住宅地に変身したのだが…。今回のパル周辺部の液状化は、明らかに人災だと言われるが、数千人の命が失われた。そして同時に今も泥に埋まったままの数千人ともされる住民の鎮魂を忘れないで続けていただければと願う。

3.平和を祈るオーストロネシア語族の玄関口パル

  新石時代に大海原に漕ぎ出していったオーストロネシア語族が、辿りついた中部スラウェシのパル。オーストロネシア語族が辿りついた頃は、海岸線はもっと内陸側にあったと言われているが、現在のどのあたりになるのだろう。
  数千年の時間の変遷の中で、パルは歴史的に重要な位置づけとなり、中央スラウェシの玄関口となった。2008年のNapu渓谷、Besoa渓谷、Bada渓谷での樹皮紙Beaten bark調査の出発点もパルであった。
  その台地は、平和な楽園であったのか、おびただしい人の血が流された争いの絶えない土地だったのか? ポソ紛争当時の悲しい記憶も重なるが、乳と蜜の流れる平和の郷として復興していってほしい。

  時は過ぎ、中部スラウェシで、おそらく「偉大な技術革新」を為し遂げたオーストロネシア語族の人々は、更に西へ西へと大海原を小さなカヌーで航海を続けていった。
  ビックリしたが、樹皮紙/布に関連する語彙を、中部スラウェシ~太平洋諸島で比べてみたら、その共通性に驚かされた。新石器時代の樹皮布を、織物以前の「原始的な布」とする学説が主流だが、インドネシアでのBeaten bark樹皮布/樹皮紙調査研究からは、スピリチュアルな古代の人々の恐怖心を克服させる「聖なる守りの布紙」だったのではないか?と思える痕跡が多々見つかる。
  日本の高知では、オーストロネシア語族にとって重要なものであったフンドシのことを、昔はマロと言ったそうだ。日本の基層にも、オーストロネシア語族の痕跡とおぼしきものが結構見つけられるのかもしれない。
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 パル被災現地レポートが、オーストロネシア語族の雄飛に飛躍してしまった。次の投稿では地震被害の甚大であったパル州立博物館収蔵品について報告する。
           *2018.11.4時点で、投稿のレイアウトとタグ及び内容を一部を変更した。

# by PHILIA-kyoto | 2018-11-02 22:22 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ③

過去の津波被災の痕跡、記録の堆積する街Palu

  Palu湾西側に位置するWatu sampuにはドンガラ織物で知られる数軒の工房が海岸沿いにあった。今回の津波で海沿いの建物は全壊か使用不能状態となっていた。道路を隔てたショップDewi Sutraは無事残っていたが、人々は山の方に逃げ無人状態だった。織機の被害状況など詳細は不明のままだが、人的被害は免れた公算が高い。引き続きJakarta Textile Museumによる被害状況の詳細報告や復旧復興への支援予定を待ちたい。
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  タドラコ大学Tadulako Universityから海岸方向に下っていく道路の右断面には、2000年前頃だったかの津波で運ばれた大きな貝や砂の層が地質学者により報告されている層が見られる。その痕跡からは津波の高さが30mにも達していたと指摘する研究者もいる。<下の画像:2000年前頃とされる津波痕跡>
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  すでにパルPaluの街を何度も襲った津波を報道したオランダ、スラバヤ、マカサルなどの新聞記事の切り抜きがパルのアーカイブズに保管されている。
  知事庁舎近くや中心地には何カ所か、世界の各地で見かけるオレンジ色の津波避難標識が立てられているのも目にした。<下の画像>
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  この数日「地震・津波」に特化して被災地を見て回った。目前の緊急支援ニーズを修復保存専門家の立場でsurveyすると同時に、阪神大震災の時に始めた「平凡だが、明日の復興の拠りどころ、を助けようとした文化情報部/震災記録情報センター発足当時の初心に戻った情報シェアを大事にした。

  一方で日毎に膨らんできたのは、”小さな喜び、大きな悲しみ~歴史を省み活かすことをせず、堆積させてきたPaluの土地柄への思い”だ。そろそろ堆積させてきた「肥やし」を活かす転換も必要だろう。新しい発想をしていく人材が増えてほしい。
  
  頭でっかちで、魂を殺し大きな過ちをやってしまったと個人的には思う東日本大震災復興プランの二の舞を、バルで繰り返さないよう復興プラン策定を支援する日本側関係者に願う。 

  今回の泊まる部屋、食事、車、おいしいコーヒー、情報提供など被災後の厳しい状況で親身に世話していただいた知り合いの知り合い家族に感謝して。  
(Senior Paper Conservatir Sakamoto)

# by PHILIA-kyoto | 2018-10-18 07:31 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ②

MLA被災調査と橋渡し役

  パル市内中心部は機能回復も表面的ながら進み、野外市場の商品も増えてきて、食堂の仮営業もポツリポツリと増えてきている。心配した移動に不可欠のガソリン給油も順調で量の制限は無い。何カ所かの給油所では、武装警官が給油業務を行っていた。 いくつかの学校が16日から再開を始めた。
 
  とは申せ、電気の復旧していない地域、水道の復旧していない地域は多い。地震や津波、液状化で住居や財産をすべて失った方々は膨大な数にのぼる。救援物資の配給も官民で行われているようだが、窮状を聞く。アチェやレイテ島支援で目にした国連支援機関の活動は間もなく始まる予定とされ、始まっていない。15日段階の公式に登録した支援団体は15だと教えてくれたが、提示されたリストでは日本からの緊急援助隊を除く団体の活動は定かではなかった。

  かっては湿地帯だったところを1980年代頃から広域で宅地化し、今回の大規模液状化被害となったと聞く。それとパルの中心街をつらぬく1000kmもの長さのプレートのズレとの複合的被害も起こっているのかもしれない。液状化地域では未だ数千人が救出出来ず、そのままどなった、とされる。

  巨大災害被災地では、積極的に窮状や復興ビジョンを個人的或いは協力して組織的に表明する地域があり、逆に窮状を内にしまい「大丈夫、大丈夫」と応え、組織化が苦手な地域もある。今回の中部スラウェシは後者のように思える。

  MLAとは、東日本大震災後に日本で進んだM=museum、L=librsry、A=archivesを連携させユニットとして被害状況をとらえ、支援していこうとした動きだ。インドネシアでもアチェの災害直後からの日本の「五人委員会支援声明」などにより連携する機運が浸透した。今時の災害では国立公文書館が先遣調査チームtask force teamを10月8~11日に派遣し11箇所の機関の被害状況を報告している  
  その調査に含まれていない州立博物館、3つの地方新聞社、州立病院、タドラコ大学などを16日時点で坂本が訪問調査補完した。州立博物館展示エリアは14日の調査で被害軽微で安堵していたが、15日の調査で収蔵庫の陶磁器を置いていた棚の殆どが倒れ収蔵品の75%程が画像のように粉々に破損した。
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  今後の被災収蔵品回収と修復の作業効率を考え丈夫なプラスチック・ボックスを市内で探したが、入手困難とのことで、坂本のネットワークでPaperina社倉庫にあるオリコン在庫を確認した。早急にジャカルタTextile博物館に移送し、パルへ第一次として50boxesの輸送を行う予定である。
輸送費用を至急工面せねばならず困っている。もし志ある個人、団体があれば奈良の「NPO書物の歴史と修復研究会」へ連絡いただければ有り難い。

  ここでは多くの時間を救助・復旧を担うであろう方々との対話、情報提供に努めている。
  日本側JICAなどが、今後の復旧・復興プラン策定に大きく関与する事が決まったことから、パル州立博物館副館長の神戸・人と防災未来センターの見学研修プログラム参加、地元新聞Radar Sulteng若手記者を東北の地方新聞社、震災遺構、防災体験施設等へ招く機会を作り、地元に根ざす人材育成にも目を向け、支援を期待したい。
 
  スマホでの制約の多い投稿作業のため、画像はジャカルタに戻ってから補いたい。  パル州立博物館にて (Senior Paper Conservator Sakamoto)

*本稿は2018.10.23JKTにてタイトル変更、画像追加などを行った。


# by PHILIA-kyoto | 2018-10-17 07:51 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ①

Palu湾津波Bomba Taluのこと

  津波被災地パルに来て最初に驚いたのは、津波は外海からではなく湾の中央付近(南端から約25km付近)で盛り上がって、周辺、そして南北に高まり押し寄せていったという説明にだ。
  現地Kaili語で津波のことをBombaTaluと言い、その意味は「three wave 3度の波」で、今回地震発生から5分位で第一波が押し寄せ、第二波、第三波の間隔も5分程だったと南端部にいた人は語る。
  海岸沿いに社屋のあるRadar Sulteng新聞社の女性記者は、地震時に社で仕事をしていた。地震直後に停電し、海の方から大きな航空機の騒音のような音が聴こえ、鳥達がバタバタと飛び立つ異常に気づき、すぐに暗闇の中で机の上に置いていた携帯を手探りで探し、裏山に走って逃げて間一髪で助かった。
  湾の中央付近で盛り上がって発生した津波の様子を、離陸直後のBatik航空のパイロットが撮影しておりYoutubeで見られる。
  これまで抱いていた津波のイメージとまったく違った様相のパル湾大津波は、Masjid Tua Waniモスクの目前で起こり、下の画像のように周辺家屋は損壊・消失したが、モスクは奇跡的に残った。 モスク内部は美しく、現在も使われている。
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  本務の博物館の地震被災コレクションや被災デジタルサーバー等のことは順次報告していきたい。Pengawuにて《Senior Paper Conservator Sakamoto》

*本稿は2018.10.23JKTにてタイトル変更、画像追加を行った。

# by PHILIA-kyoto | 2018-10-16 05:58 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

歴史上初めて樹皮紙絵巻Wayang Beberの製作時期が明らかに

歴史上初めて樹皮紙絵巻Wayang Beberの製作時期が科学的に明らかに !!

  今では世界に3か所しか現存が知られていないカジノキ樹皮を用いた絵巻Wayang beberの製作時期について、諸説が出されてきた。最近では、クロアチアの2人の文化人類学者が以下のような見解を出していた。
  「歴史家ラデン・マス・サイドによると、パチタンの6巻から成るジョコ・クンバン・クニンの物語の絵巻ワヤンベベルは、17世紀末に Sunan Mangkurat II王により注文され製作された。そしてウォノサリの絵巻ワヤンベベルは、Sunan Paku Buwono II王の下で18世紀初めに製作された」と。そして現在の2つの村に継承されるに至った経緯が、膨大な先行調査研究の文献や史料を読み込みインタビューを行い、たどりついた成果として記された。

  それらの先行文献調査研究に対し、日本側の保存修復支援チームでは科学調査研究の実現に尽力してきた。

  この時点で、放射性炭素年代測定法を用い明らかになった事をテスト値であるがお知らせしておく。世界の異なる2か所からの試料は、ほぼ似た14-17世紀の製作時期を示した。これまで、科学的根拠に欠くWayang Beber製作時期の調査研究しか無かったのに対し、やっと放射性炭素年代測定結果に基づくデータが得られたのだ。
  夢のようであり画期的なことだ。 以下は、テスト値と同時に公表された説明である。
  Radiocarbon dating of the beaten bark cloth/papermaterials as Tapa was conducted at Laboratory of Radiocarbon dating,The University Museum, The University of Tokyo (LRD.UMUT). Thesamples were treated with ultrasonic cleaning and Acid-Base-Acidmethod for removing contaminants, and then converted to graphitetargets using a graphite preparation system at LRD.UMUT. Since recent accelerator mass spectrometry are measurable from 1 mg to 0.1 mg of graphite, age determination of minimal sample fragments is possible. Trial experimental results fell into the range of the 14th-17th century AD.
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  日本側の数人の努力で樹皮紙Beaten Bark素材のDNA分析や放射性炭素年代測定が実施されてきた。今後、実施事例が増え、学術調査研究が本格化していくことが願われる。

<画像は、厚さ0.07mmほどの透けるような樹皮紙Beaten barkを用いたWayang Beber絵巻>

  さらに測定データの誤差が縮まると思われる本測定の結果は、以下の機関により2018年12月7日にロンドンのKew植物園で開催される「Conservation of Barkcloth Material:One day symposium on the conservation of barkcloth from any part of the world 」で報告される予定である。乞うご期待!!
Arts & Humanities Research Council University of Glasgow Royal Botanic Gardens, Kew Smithsonian Institution National Museum of Natural History
**本投稿のレイアウト等を、2018年9月23日15:30に変更した。」
  


# by PHILIA-kyoto | 2018-09-22 18:18 | ワヤン・ベベル  

樹皮紙製絵巻Wayang Beberの保存修復支援は続く

ジャカルタWayang博物館での支援活動公開ギャザリング

  ユネスコの世界無形遺産として登録されたインドネシアの伝統芸能ワヤンの中で最も古い源流に位置し、芸能性と共にその絵巻自体に秘められた儀礼性、神聖性が注目される絵巻ワヤンベベル。
  今や、オランダのライデン国立民族学博物館とインドネシアの2か所の村パチタンとウォノサリの世界3か所にしか現存が確認されていない、非常に希少な歴史遺産となっている。
 その歴史については、様々な先行調査研究があるが、どうも間接的な史料や伝聞によるものが多く、精彩を欠く印象が強い。
  2002-3年に吉備国際大学文化財修復国際協力学科留学生であったTeguh Sehanuddinさんにより、モノ自体にフォーカスしたワヤンベベル絵巻及び絵巻素材のダルアン樹皮紙(最新の調査研究では、ワヤンベベル用にはダルアン紙の中でも最高級品質のポノロゴ紙が使われた、とする)に関する画期的なフイールド調査が実施され、2004年にIdentifikasi Naskah dan Kertas Dluwangと題しまとめられた。
  今次の国際交流基金アジアセンター助成では、学術科学的な調査研究とアート芸術的な領域との”はざま”を橋渡しし、世界最高峰の技術と美しさ、そしてリチュアルな面を残してきたワヤンべベルの総合的な保存継承を支援していくとしている。
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  2018年9月28日にジャカルタWayang博物館において、3時半からバンドン・ダゴから来てくれたMufidさんと仲間達のダルアンdaluang製作実演と彼の創業から11年間の活動記録展、4時からギャザリング開催呼びかけ人の坂本勇さんから開催趣旨の説明、ユネスコ・インドネシア事務所の千葉萌絵さん、Mufidさんの製作に込めるメッセ―ジ、国際交流基金ジャカルタ事務所スタッフで坂本さんの20年前の樹皮紙調査にも同行したDianaさん、ワヤン博物館Esti館長の挨拶。その後2006年日本チーム製作ワヤンベベルPacitan記録ダイジェスト版ビデオ上映(当時のマスター撮影カセットが、今となっては非常に貴重となった事から、インドネシアで12年振りに大探索となった)。
会の様子は以下参照。
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# by PHILIA-kyoto | 2018-09-19 00:15 | ワヤン・ベベル  

ワヤンベベル絵巻保全支援活動リーフレット

2018年7月インドネシアで開催されたパンジーフェスティバル行事で配布されたリーフレット(英語版)

  ポノロゴ紙を用いて昔々に作られたワヤンベベル絵巻は、絵巻の背後から光を照らして透過すると、漉けるような約0.07mmの薄さを確認できる。リーフレットの上部の背景画像は、透過光で見た約1mm格子状のビータ―の痕跡です。国際交流基金アジアセンター助成で行われている事業であることや日本の支援内容が書かれています。インドネシア語版も配布されていた。
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*リーフレットで紹介された内容などが、KOMPASIANAの以下のURLDjuliantoSusantio により「PelestarianWayang Beber Jawa Dibantu Jepang dan Kroasia」と題して投稿が載った。

https://www.kompasiana.com/djuliantosusantio/5b4695faab12ae251010deb2/pelestarian-wayang-beber-jawa-dibantu-jepang-dan-kroasia




# by PHILIA-kyoto | 2018-08-19 10:10 | ワヤン・ベベル  

正倉院の紙より古い起源のポノロゴ・ペーパー

古代ジャワの不思議な紙を使った絵巻ワヤンベベル

  ユネスコの世界無形遺産として、2003年にワヤンが登録されました。日本のワヤン研究の第一人者である松本亮さんの説明によれば、インドネシアでのワヤンの最も古い形が、ワヤンベベルWayang Beberだとされています。ワヤンの歴史を知る上で非常に重要なのです。
  数百年間、世代交代を繰り返して継承され使用されてきた伝統スタイルのワヤンべベル絵巻用の最高品質のポノロゴ・ぺーパーPonologo Paperを作る高度な技術集団が、職業として成り立たず絶えてしまったのです。そのため、インドネシアに現存する2か所の村の伝統スタイルのポノロゴ・ペーパー製ワヤンベベルは、瀕死の状態まで劣化損傷が進んでしまい、まさに今後の修復作業や再生させていく上で壁にぶちあたっています。
  ポノロゴ・ペーパーは、樹皮紙ダルアンDaluangの中でも最高品質のもので、和紙などにも使われるカジノキの白皮を職人達がブロンズ製ビータ―で4mもの長さにまで叩き延ばし、その厚みは約0.07mmという現代のコピー用紙の約0.1mmよりもさらに薄く作られています。

  ワヤンベベル製作用の基礎技術が途絶えてしまっている状況に、カジノキや和紙が身近にある日本が貢献できると考え、2003年頃から日本で文化財修復を学ぶ若い方々らが支援活動を始めました。2007年には、NHK-BSのアジアクロスロードという番組で15分ほど活動が報道もされました。
(Daluang Bandung, Wayang Beber Pacitan by NHK - 2007
https://www.youtube.com/watch?v=gCS-B7Mdtgo参照)

  しかしながら、現在に伝わる昔のワヤンベベルそのものを調べれば調べるほど、失われたポノロゴ・ペーパーの製作技術、そしてセットで使われたであろう道具(Beater)等々についての、解けない謎が増えていき、支援活動は滞った。

  初期の伝統ワヤンベベル保存継承支援活動から15年程の歳月が過ぎ、2018年に新たな幸運というか、力強い追い風が支援活動に吹いてきた。2016年からワヤンベベルのフイールド調査を行っていたクロアチアの文化人類学を学んだ2人の若手や日本人ジャワ文化研究者、紙文化財修復家らがコアになって、新たな情報発信を行い、具体的、技術的に難局を克服していこうと、これまでみられなかったような挑戦が始まったのです。
  インドネシアの2つの村パチタンとウォノサリにしか現存が確認されていない伝統スタイルのワヤンベベルですが、オランダ・ライデンにもポノロゴ紙製のワヤンベベル6巻の現存が確認され、2018年5月に全6巻のコンディション調査が、タイミング良く参照画像のように日本人専門家により実施でき、技術的な情報を増やすことが出来たのです
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  相次いで奇跡的なことがあって、10年以上所在不明となっていた、プロカメラマンにより撮影された貴重なワヤンベベルのパチタンでの上演記録マスタービデオ14本が、新たな探索により発見され、運よく廃棄を免れ保全されることとなった。
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  ここでは多くを紹介できませんが、日々感動しワクワクするような事が、インドネシアでは続いています。

 *2018年8月18日9:30amに記事補足を追加した。



# by PHILIA-kyoto | 2018-08-14 15:49 | ワヤン・ベベル  

三陸海岸に構築された万里の長城

三陸海岸に構築されつつある巨大防潮堤


  20183月、7年ぶりに釜石から気仙沼にかけての三陸海岸を鉄道とバスで旅した。


  阪神淡路大震災時の地震災害と違って、東日本大震災の場合では、津波の波が到達したか否かで被害に明暗が生じる特徴がある。三陸海岸沿いに走る国道45号線を行くと、道路がアップ・アンド・ダウンし高低差に拠って津波被害が生じたり、生じなかったり、災害の明暗が分かれることに気づく。

  吉村昭のルポルタージュ『海の壁~三陸沿岸大津波』に記された過去の津波被災の記録と2011年に発生した東日本大震災の津波被害のことを重ね合わせながら、人はどのように「次なる津波災害」に備えていくのだろうか…と考えさせられた。


  私にとっての、東日本大震災前の「東北」は、北海道に行く際の飛行機の眼下に見える陸地にしか過ぎなかった。東日本大震災を契機に、震災発生から10日目に宮城県内の宮城野地区、蒲生地区、若林区荒浜、仙台塩釜港地区、亘理地区などを阪神淡路大震災時の人脈で調査して廻る機会があった。その縁で、2012年2月頃まで東北に頻繁に通う事となった。

  同時に、東北の歴史・文化にも触れる機会が増え「東北の縄文の土偶」などの素晴らしさに感動したことを思いだす。東北は非常に精神性の高い文化を抱える地域である。注目している「切り子」という正月などに飾られる手の込んだ和紙の切り紙細工にも、神々しさが秘められていて、東京や大阪にはみられない、祖霊や神々を重んじる風土が広範囲に見られた。殊に、漁師の家では、大きく立派な切り紙飾りを正月前に求め、神棚に飾るようだ。

  そのような精神性が高く素晴らしい歴史と基盤を有する東北の震災復興の姿に期待している。


  だが、三陸海岸に次々と出現してきた巨大な防潮堤は「三陸海岸の万里の長城」のようであり、精神性を高く保持してきた東北、そして海の民には不似合いなものに思えた。太平洋岸の津波被災地に巨費を投じ400kmほどの総延長で建設される予定の、あたかも外敵の侵入を防ぐ万里の長城のような巨大構築物。それは、古代から「海から来る神様」「海を介在して広がるヒトとモノのネットワーク」として大事にしてきた開けた海を閉ざしシャットアウトしてしまう、歴史上の「とんでもない事」をやっているように思える。

  そして、海に注ぐ沢山の河川にも連なったコンクリート製の防潮堤が影響を及ぼし、これまでの生態系の破壊を引き起こす事は無いのだろうか?


  おそらく、陸の側から考えて「自分たちに都合の良い安全対策」としての巨大な津波対策の防潮堤なのだろう。しかし、今回歩いた気仙沼の合同庁舎の前の防潮堤(画像参照)を、海側から見て触った時に「ベルリンの壁」のように、冷徹に海と陸を分断してしまう障壁なのだと感じた。もし、運悪く津波が到達する直前に海から合同庁舎前の海岸に辿りついても、津波遮蔽板が下され5m以上ありそうなそそり立つ壁を越える選択肢は残っておらず、壁の前で助からずに溺死するのだろう。こうなると海側から見ると「死の壁」となるだろう。  

  このような結果を招いた原因の解明は今後のために必要だろう。そして、インドネシアのアチェ大津波から5年後に、州都バンダアチェから西海岸のムラボ―まで、現地の方の車で往復した時に体感した「再生に向かう美しい緑の海岸線」「陸と海が共生する暮らし」「神々しい人々の笑顔」のことが思い出される。

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 美味しい東北の味覚を味わえたが、考えさせられる旅でもあった。  <2018.3.19 10:20 一部記事補足>


# by PHILIA-kyoto | 2018-03-18 18:52 | 東日本大震災  

投稿を休んでいた1年をレビュー

インドネシアでのBeaten Bark樹皮紙調査研究の広がりと国際的連携の変化

  これまでの先人らに拠る樹皮布TAPA,Bark-cloth調査研究は、今から250年前にジェームズ・クックが南太平洋で”TAPA"と出逢い、本国に持ち帰ったことから始まるとされるが、面白いことに何十年周期で社会的関心が「高揚」する時期と「低迷」する時期が波のように見られる。現在は、珍しく大きなうねりのような高揚期にあるようだ。

  この一年で、最も印象深いのは、フランスで2017年7月に出版された600頁を越える豪華本『TAPA ~ From Tree Bark To Cloth: An Ancient Art of Oceania, From Southeast to Eastern Polynesia 』(Michel Charleux編 ISBN 978-2-7572-1209-7)のことだ。
  今も多くの南太平洋をフイールドとするTapa研究者は、クックの招来以降、タパはこの地域固有の伝統技術であり文化であると考えているが、本の副題に記された様に、やっとオセアニアのタパの源流は中国南部あたりにあり、東南アジアを経由して伝来されたことに気づき始めた。その裏づけとなるのが、近年調査研究成果が増えてきたオーストロネシア語族Austronesian研究だ。
  源流側で、現時点でのことだが、最も豊かにBeaten Bark樹皮布/樹皮紙の「生きた化石」のようなモノが残っているのが、東南アジアのインドネシアである。

  2つ目の事として、国際交流基金アジアセンターのフェローシップ(助成期間1年)を受け、2017年6月までインドネシア(3週間ほどベトナム)でBeaten bark樹皮紙の調査研究を行っていた坂本勇SAKAMOTO Isamu(Freelance Senior Paper Conservator)の成果がある。これまで、欧米人、インドネシア人による樹皮紙古文書Daluangのテキスト研究は活発に行われてきたが、素材Materialや技法の掘り下げた専門的な調査研究は無く、最初の調査となった。調査対象となったのは、ジャカルタにある国立図書館古文書部門のコレクションと西ジャワおよびソロに残された樹皮紙Daluang文書であった。国立図書館所蔵分が126点、その他が約170点であった。調査は、1点ずつの全頁を携帯型のライトボックスで透過し、紙質・技法・特徴などを観察する方法で、一般的には時間がかなりかかり難しい。この調査で明らかになったショッキングな事は、現行のインドネシアの古文書カタログには、古文書素材の呼称に統一性が無く、国立図書館の例では、樹皮紙Daluangダルアンという呼称は一例も無く、gendhong、teraが主で、数例kulit kayuが使われていた。そして、国立図書館の古文書部門スタッフや古文書学者の多くが、正確に素材の判別が出来ない事実がある事は2重のショックであった。今後、詳細なマテリアルや製法についての調査データや、気になる新石器時代にスラウェシにもたらされたBeaten bark技術や文化と、その後のヒンズー文化の要素が色濃く見られるDaluang技術や文化と、どのような接触や関係性があるのか、続報を期待したい。

  3つ目の特記しておくこととして、クロアチアの2人の若手女性文化人類学徒が2016年に引き続き2017年に危機にあるワヤンベベルWayang Beberの調査を実施し、以下の論文タイトルで発表してくれたこと。なお、ワヤンベベルとは、4mほどの長さの絵巻であるが、古文書と同類の樹皮紙Daluangの上に独特の絵画技法で物語を描き、語り手が1シーンずつ巻き送りながら上演するものだ。その絵巻の素材が、厚さ0.07mm程で、非常に高度で繊細な技法であることから、インドネシアの樹皮紙の中でも最高レベルの文化遺産とされる。現在、インドネシアには2か所にしか現存せず、後世に活きた形で引き継いでいけるよう緊急の保全策が求められている。論文タイトル:REVIVING JAVANESE PICTURE SCROLL THEATRE by Marina Pretković & Tea Škrinjarić

  4つ目は、最初のフランスで出版された豪華本とも脈絡が通じるが、ユネスコの太平洋事務書が域内14ヵ国の共通の無形文化遺産としてTAPAを登録し、その保護に乗り出そうという動きだ。呼びかけは以下のような内容となっている。
I am pleased to inform you that 12 out of 14 Pacific island states are now parties to the Intangible Cultural Heritage Convention (ICH). The remaining countries (Solomon Islands and Niue) are also working towards ratification.
The ICH Convention provides the opportunity for safeguarding skills, knowledge, cultural meanings and social functions related to TAPA making.

  5つ目は、2018年が日本・インドネシア国交60年、またジェームズ・クックの初航海でTapaを持ち帰ってから250年という節目に当たっており、関係する各国でBeaten Bark樹皮布/樹皮紙を扱った調査研究やワークショップ、そして様々な行事が計画され、行われる予定であること。

  1年間の筆不精をお詫びし、時々更新し、フォローアップしていけるよう努力したい。

# by PHILIA-kyoto | 2018-02-23 14:05 | Beaten Bark樹皮紙  

ジャカルタでのDaluang/ Wayang beber 勉強会(IHA-NSG主催)

Indonesian Heritage Association 夜の勉強会 案内(一般参加可/要事前申込)
                       
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  国際交流基金アジアセンター長期フェローとして5月までインドネシアに滞在中の坂本勇氏のBeaten Bark(樹皮布/樹皮紙)についての、最新の調査研究報告。貴重なワヤンベベルの2006年撮影のビデオ上映もあり。
  また、今年の1月から4月までクロアチアの首都ザグレブの民族学博物館でワヤンベベルをテーマとした展覧会が2人の若い文化人類学徒の昨年のフイールド調査を基に開催されました。その報告及び今後のインドネシア内外でのワヤンベベルの理解と保護を目的とした諸活動についての若い世代からの報告もあり。                                                                                                                                              


# by PHILIA-kyoto | 2017-04-21 11:15  

ホントに石器ビータは「透かしwater-mark技法」に使える道具?

3つの判断根拠

  以前の事だが、台湾の権威ある考古学者などは、模様の刻まれた石器は陶器の表面に模様を刻印する道具であって、樹皮布などに透かし模様を加工する道具ではない、と猛反発された時期もあった。

  現在では、猛反発された石器ビータであるが、以下の3つの根拠から、「透かしWater-mark」を樹皮布などの表面に加工する道具とされる。
1つめは、2008年8月に中部スラウェシの秘境と当時言われていたバダ渓谷で、用途の見解が分かれていた問題の石器を所有する老婦人が偶然の幸運で見つかったのだ。この婦人は、非常にレアな模様の刻まれた石器ビータを保有していて、使い方を自ら説明してくれたのである。この生き字引のような老婦人の説明があったことで、長く続いてきた混乱の論議に決着がついた。
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<画像>混乱した論議に終止符を打った中部スラウェシ・バダ渓谷の老婦人(2008年8月撮影)


  2つめは、ハワイには樹皮布に3-400種類とされる透かしwater-markを加工する技術が存在した点である。 100年以上前の透かし模様の加工された樹皮布が数百枚残されていて、樹皮布に透かし模様を加工する技術が
 認められた。

  3つめは、石器ビータへの関心が高まり、世界各地で見つかった石器ビータの比較研究が進んだことによる。 石器の周囲全体にラタンなどの取っ手を固定する溝が刻まれていると、機能的に強い力で振り下ろす使用法が
 自然であり、陶器の表面に刻印する用途には適さない事が分かってきて、用途の見分けが可能となった事。

  樹皮布/樹皮紙技術を数万キロの距離で伝播させたオースロトネシアンに関する調査研究は、まだ始まった
 ばかりの感があり、石器ビータを専門的に調査研究する方は極めて少ない。また、透かし模様を加工する石器
 ビータは、単独でも専門外のコレクターに収集されてしまうことが多く、発見時の科学的データが失われてい
 たり、豊富な数での比較研究が、なかなか出来ない状況なのである。
  この樹皮布/樹皮紙に「透かしwater-mark」を加工できるということは、素地の品質が均質で良好であるこ
 とを示しており、”紙の起源”という別の観点からも世界各地での「ユニークな透かし模様の刻まれた石器ビー  タ」の発見例が増えていくことが願われる。



【近刊】《Austronesian Diaspora~A New Perspective》Proceeding of International Symposium 2016 at Nusa Dua Bali.
     ISBN 978-602-386-202-3
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   インドネシア国立考古学研究所(ARKENAS)が昨年7月に主催し行った国際シンポジウムの記録集。発行
 元はガジャマダ大学出版部(ugmpress@ugm.ac.id)
   主として前回開催の国際シンポジウムから10年を経た、インドネシアにおけるオーストロネシアン調査
 研究の最新成果をまとめたもの。36人が執筆。全594頁。


*第2項は、2017年3月5日日本時間21:10加筆した。

# by PHILIA-kyoto | 2017-03-05 16:45 | オーストロネシアン研究  

「透かしWater-mark 技法」を発明したオーストロネシアン

新石器時代に存在した「透かしWater-mark」技法

  オーストロネシアンと樹皮布.樹皮紙(Beaten Bark)の調査研究も9年となり、各国研究者の応援もあって基盤となる技術や道具については明らかになってきた。その中で、一番の驚きは、なぜ灯りの乏しかった新石器時代の生活の中で、明かりで透過しないと視認できなかった「透かしWater-mark」という超高度な発明をしたのだろうか? という点だった。

  閲覧されている方々も、現代のお札を引っ張り出して、偽造防止に使われる「透かしWater-mark」を観察して下さい。光にかざさないと(透過)させないと見えませんよね…。夜でも昼でも認識できるアクセサリーやブレスレットなら理解できますが、光にかざさないと認識できない、形がとらえられない、非常に抽象的な技術を何の必要性があって発明し、それも執拗に大切にして、ドンドン高度化させたのか? 
  どうも、石器ビータに刻まtれた透かし模様には「大事な意味」があったように思える。単なる道具を美しく飾る装飾ではなく、透かし模様自体に大事な役目があったのではなかろうか。

  最近の発掘事例で、科学的に推定年代が分かっている「珠江デルタの透かし模様の石器ビータ」は、今から約4,000年前とされる。この珠江デルタ地帯は、石器ビータの出土例が多いようで、現在最古とされる石器ビータは6.800年前頃とされる。
  まずは、世界3カ所で見つかった「透かしWater-mark」を樹皮布/樹皮紙に加工する石器ビータの紋様を、ゆっくり観察していただき、発明の謎を考えていただければと思う。

1.中国・珠江デルタ地域 1点 (科学的出土遺物年代測定では、約4,000年前のもの)
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2.中南米 メキシコ 7点 (マヤ・アステカ期、マヤ絵文字の刻まれた8c頃の石器ビータ含む)
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<メキシコとハワイの透かしwater-markには、似た模様・パターンがある>
  左の画像の透かし模様など、メキシコの石器ビータの「透かしwater-mark模様」に時々見かけ
るものだが、どういう訳か「ハワイの樹皮布Kapaに加工された透かしwater-mark模様」と非常に似
ている。ハワイの樹皮布に透かしwater-markを加工する道具が、すべて4角面のバトン型木製ビータで
あるために、この画像一覧から除外した。
  ハワイのKapaに加工された「透かしwater-mark」模様は、ビショップ博物館の調査では300
種類以上とされ、個々の模様・パターンにはそれぞれ固有の名称がつけられていた。品質も、時には
シルクの極薄スカーフと見紛うほど素晴らしいものがあったハワイのKapa。 そこに残された透かし
water-markについては、後日書くつもりである。







3.インドネシア・中部スラウェシ(Napu Valley, Bada Valley, Besoa Valley) 5点

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    中部スラウェシの透かし模様の石器ビータの科学的年代測定は行われていない。
 中部スラウェシのユニークさは、世界で唯一、約3,500-4,000年頃の遺跡から出土
 した多数の石器ビータと同じ形の石器ビータのセットを、現在の職人らも使い続けている点であ
 る。 文化人類学者は「生きた化石」の地と呼ぶ。



# by PHILIA-kyoto | 2017-02-26 22:12 | オーストロネシアン研究  

サヌール・バリの元日

アウトリガー・カヌーの上に昇る初日の出

  随分とお休みしていたブログを再開します。

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  昨年2016年は、オーストロネシアン研究やBeaten Bark調査研究に大きな動きがあった。
① 約10年ぶりで、インドネシア国立考古学研究所主催の“International Symposium on Austronesian Diaspora”が7月18日~23日までバリのNusa Duaで開催された事。

② 9月26日~29日には、第16回インドネシア古文書国際シンポジウムが国立図書館で開催された事。(参加者全員にDluwang:Cultural, Historical Aspects and Material Characteristic Research 1995, Commentary by Prof.Sakamoto, World Journey to seek The Beaten Bark Paper- Indonesia という3つのコンテンツが入ったDVDが配布された。)

③ そして11月2日~30日までジャカルタ・テキスタイル博物館で「Beaten Bark: Hidden Treasure~Fuya, Tapa, Daluang」という企画展が開催され、オランダ、台湾、香港からゲストが招かれた事。(冊子体カタログおよびPDF版企画展カタログが製作された。)
 
 時々の情報を発信していきたい。

# by PHILIA-kyoto | 2017-01-01 07:00 | 身辺雑記  

正倉院展と乞巧奠(きっこうてん)

正倉院展(第67回)の目玉のひとつとなった乞巧奠(きっこうてん)

  2015年秋開催の第67回正倉院展では、すでに奈良時代の聖武天皇の時代に天皇家でも執り行われていた七夕行事である「乞巧奠(きっこうてん)」の儀式に使用された9点が出陳されていた。内訳は、銀針2本、銅針1本、鉄針2本(うち1本には赤色縷断片つき)、緑麻紙針裏、それぞれ巻いた赤色縷(赤い縫い糸)、白色縷、黄色縷という構成であった。収蔵倉はいずれも正倉院南倉である。
  今回の展示で、奈良時代の乞巧奠(きっこうてん)においては、織布が広く普及しており、糸と針が儀式で供えられていた点が強調されているようであった。

  以前の2007年8月22日付の当ブログで「冷泉家と乞巧奠(きっこうてん)」という記事を載せ「乞巧奠(きっこうてん)儀式で重視されるカジノキ」についての考察を行った。
  その後の目覚ましい進展はなく、織物文化が普及した中で、「南方圏で神聖な白い樹皮布Beaten Barkの原料として世界に伝播したカジノキの葉っぱが、なぜ日本の乞巧奠で最も重要な場面で使われるのか?」「江戸時代になっても、なぜ七夕の飾りに大きなカジノキの葉っぱが根強く用いられるのか?」等などの謎は解けていない。
  また、白妙、幣、木綿(ゆふ)、あるいは日本の正月飾りやメキシコなどに見られるシャーマンの「切り紙」の古形は、南方のタパのような叩きのばした樹皮紙/布Beaten Barkではなかったのか?という問いと共に未解決である。
  
  一方、カジノキ自体についての関心は内外で高まってきた。
オーストロネシア語族とカジノキ(Paper Mulberry)の伝播の関係性に着目し、太平洋をはさんだ世界各地から採集したカジノキのDNAを比較した挑戦的な本として、例えば以下の学術書がある。
書名:A holistic picture of Austronesian migrations revealed by phylogeography of Pacific paper mulberry.共著者:Chi-Shan Chang, Hsiao-Lei Liu, Ximena Moncada, Andrea Seelenfreund, Daniela Seelenfreund, and Kuo-Fang Chung. PNAS. published 5 October 2015
  国内各地でも、大阪四天王寺、奈良国立博物館、諏訪大社などカジノキを植える場所が増えている。福井県越前においては、カジノキを植栽し、人間国宝の岩野市兵衛氏がカジノキを原料とする和紙を漉く活動も盛んになってきた。

  世界の人々を今も惹きつけるカジノキ。不思議な木である。

# by PHILIA-kyoto | 2015-11-04 15:13 | 乞巧奠とカジノキ  

安保法案強行は法治国家の基盤を破壊する

安保法案強行、法治国家の基盤を破壊する安倍自民党・公明党

  いくら時代の流れで安保法案の必要性と願望を安倍自民党が訴えても、元内閣法制局長や山口元最高裁長官ら“法の重鎮“が「安保法案の違憲性の指摘」をしても無視する無法ぶりと奢りは、法治国家の基盤を破壊していく暴挙となってしまう。
  なぜ、多数の憲法学者や法律家が「安保法案の違憲性」を表明し多数の国民が反対しているか? 政権を担う立場のものは国の法的安定性を図る上からも異論・反対に耳を傾け、丁寧に違憲性を解消していくのが、法治国家を護っていく最低限の要件でありモラルではなかろうか。

  日本の国のかじ取りを行う政治家が、傲慢さと暴挙で法治国家の基盤を自ら破壊していくならば、国の子供達や国民に「法を守れ!!」と言っても納得できない事態となる。安倍自民党・公明党は、戦争法案を姑息な手段で通すことで、法を軽んじる風潮を助長しており困る。f0148999_13493632.jpg
  
  選挙で「国のかじ取りを任された」と豪語し、謙虚に民意を聞くことを軽視するならば、その批判の芽は大地に静かに根を張っていく。それが、生きている証なのだ。

  現在の政権与党である自民党・公明党の中に、法治国家を破壊する傲慢さに「疑問を感じる」「人間議員」が増えていくことを期待する。
(災害支援で感謝される警察官が、民意の表現を抑圧していく国会前の風景が、9月16日の夜にも眼前にあった。考え、苦しむ警察官も多いかもしれない。抗議行動の中で何本も掲げられた創価学会有志のノボリにも、考え、苦しむ人々の勇気を見た。)

# by PHILIA-kyoto | 2015-09-17 13:56 | 身辺雑記  

スペインの征服と樹皮紙文化の破壊

和紙のように美しいアマテ樹皮紙はスペイン征服により途絶えた

  スペイン人宣教師と征服者たちは、ある緊張期間を経て徹底的な邪教排除に乗り出した。その破壊行為の中には、各所の図書館やアーカイブズに匹敵した知的収蔵庫の徹底的な破壊と焚書も含まれ、邪教に関わるアマテ樹皮紙の製作も厳しく禁じられたと思われる。
  しかし、一般庶民の間では、まじないや儀式用に細々とアマテ樹皮紙が引き続き製作されていたことであろう。
  その痕跡として、現在もㇷ゚エブラ州で樹皮紙アマテを作る際に用いられている道具(石器ビータ―)は、スペイン征服前からずっと使用されているものが相当数あると推測している。

  では、なぜ現在は「マヤ時代のような、品質の良いアマテ樹皮紙が作られなくなったのか?」

  これ以降の説明は仮説になるが、
  1.スペイン統治下でもアマテ樹皮紙は、庶民の呪術・儀式用などに細々と制作されていたが、征服者が来る前のように、村々に音楽のように音が響く(メキシコと同じ形態の石器ビータ―を使うインドネシアの例では、ビータ―で樹皮を叩きのばす音は、はるか数キロ離れた場所にまでコダマし響いた)ことは、スペイン統治下では、非常に危険なことであったために、「叩く音が響かない技法」に変化していき、現在に伝わる”手の平に握って殴打する技法”になったように推測している。インドネシアでの樹皮紙制作では、ラタンなどの取っ手を石器に固定し、強く打ちたたく技法に比べ、現在のアマテ製法は、おそらく樹皮を砕き叩きのばすエネルギーが1/10程度に極めて減っているのであろう。この叩くエネルギーの違いは、仕上がりの品質に大きく影響し、マヤ・アステカ期のような薄手で良質なアマテ樹皮紙は作られなくなった、と考える。
   2.現在のアマテ制作工房では、アルカリの化学薬品を用いて原料の煮熟を行っているが、マヤ・アステカ期には「発酵製錬Retting」を使っていたと推測。今もインドネシアでは、樹皮布/樹皮紙の原料繊維を柔らかくするために「発酵製錬」を行っている。生の荒く叩きのばした白皮を畳んでバナナの葉で包み、涼しい屋根裏などに2-3日放置しておき、その後納豆のように発酵しベトベトした白皮を流水で洗って、その後叩きのばしていく工程に移っている。この発酵製錬では、現在のアマテの化学薬品による煮熟に比べて繊維が長く丈夫であったと考えられる。
  なお、アマテ樹皮紙が、マヤ・アステカ期のような良質なレベルに復活できない別の原因は、現存するアマテCODEXとSan Pablitoに残る「スペイン征服後の技法」の固定観念から脱せない人類学者や考古学者の問題に帰するのだろう。
  
  いつか、日本の和紙のような美しいアマテ樹皮紙が、復活する日を期待し、待ちたい。

*この項につき、2015.7.31一部加除修正を加えた。

# by PHILIA-kyoto | 2015-06-26 22:11 | マヤ・アステカの樹皮紙  

タンボラ火山遺跡での発掘作業

世界最大の火山噴火―Tambora1815

  世界の記録に残る最大の火山噴火が、インドネシア・スンバワ島のタンボラTambora火山で1815年4月に起こった。噴火前には4000m級のインドネシアで最高峰の山だったと推定されている。200年前の大噴火で山の上部1/3ほどが吹き飛んでしまい、今は2755mしかない。大噴火のすごさは、今も残る巨大なカルデラに痕跡をとどめている。<画像は南西側からの眺望、2015年撮影>
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  噴火により、おそらく3つの王国がすっぽりと灰に埋もれてしまった、とされる。世界最大の噴火であったことから、1816年のヨーロッパや北米は空を覆う噴火灰の影響で異常気象となり、特異な年となった。これについては2013年に出版されたThe Year without Summer1816に詳述されている。
  また、異常気象生じたヨーロッパでは雨の多い陰鬱な天気の中で『ドラキュラ』へとつながるジョン・ポリドリの『吸血鬼(ヴァンパイア)』の着想が生まれ、英国の風景画の巨匠ウィリアム・ターナーらが描いた赤みがかった日没の景色には 1815年のタンボラ火山の灰が影響していたとする研究もある。
  世界最大の噴火の様相と200年間タイムカプセルのように封印されてきた複数の王国の実像を解明するために、インドネシア国立考古学研究所(National Research Center of Archeology)は2007年から毎年約1か月間の発掘作業を行ってきた。木製農機具、紡錘車、磁器、炭化した稲モミ、建物部材、ビンロウ使用具、クリス(短剣)など多種多様な品々が出土している<画像参照>。人骨も3体みつかった。f0148999_20482681.jpg
  発掘における課題は、ロープや衣類など脆弱な有機物を、将来の調査研究等に活かせるよう適切に保存処理する高度な技術がインドネシアにないこと。また、すでに王国はイスラム化していたが、モスクなどの中心的な建物が見つかっておらず、町の全体像や配置が皆目わかっておらず、上空からのレーダ探査法などの使用が可能となる支援が期待されている。
  一部のタンボラ火山遺跡出土品は、国立考古学研究所デンパサール地方事務所(Balai Arkeologi, Denpasar)で公開されている。

  日本でほとんど知られることのなかった1815年のタンボラ火山の大噴火であるが、いくつかの200周年行事が日本の支援を受けることから、日本での情報量も増えていく事が期待される。

# by PHILIA-kyoto | 2015-02-01 20:59 | タンボラ火山噴火1815  

インドネシア・バドゥイの伝統的危機管理

バドゥイ(Baduy Luar)と災害対策

  阪神淡路大震災から20年の節目の日にインドネシアに滞在していることから、インドネシアの「伝統的な災害対策の知恵」を取り上げたい。

  紹介するのは、ジャワ島西南部の山間部で、いまだ電気も学校もなく、様々な文明の利便性を受容せず、ひっそりと暮らすバドゥイの村々である。移動手段は「徒歩」だけで、馬も使わず何日も歩いて目的地に向かう。
  村々の各所にユニークと思えるアイデアが目に飛び込んでくるが、感動したのは、急流にかかる「かずら橋」<画像参照>で、“生きたかずら(蔦)”を上手に使用した、今風に言えば「持続可能な橋sustainable bridge」とでも言える、自然素材だけをうまく利用したものだ。橋を歩きながら橋のフレームを見ると新芽があちこちか出ている。すでに150年以上使い続けていると古老たちは言う。
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  そんな、近代文明の利便性を拒否した村の暮らしは、意外や活気があり陽気である。

  危機管理の観点から一番注目したのは、バドゥイのどこの村でも、火を使う居住エリアから2-300mほど離れた場所に「米蔵」群<画像参照>を配置していることだ。村人たちの説明にもあるように、大火に見舞われても、生命を維持する食糧米を守ることが出来る。f0148999_177485.jpg
  災害のリスクを避けるために生み出された、危機管理の模範的な形だ。きっと過去に、大火に見舞われ食料が欠乏し、苦境に直面したことが学習され、このような分離する配置を全域で守るようになったのかもしれない。残念ながら村の指導者(村長)に尋ねても、分離した配置にした経緯を示す伝承も記録もないという。 

  だが、バドゥイの村々にも徐々に世俗化の波は浸透しつつあるようで、バドゥイへの入り口となる境界地域の集落では、宅地用に開ける森が無くなってきて、区画を離していた米蔵群に隣接して、新規住宅が建築を許されるようになってきた。

  様々な規範や観念があるものの、日本人が考えるのとは違って、自由に流れるように自由闊達に暮らしていくのが、インドネシア流なのかもしれない。
  
  「防災」ということが、肥大化し絶対化し続けていくならば、時として南国のルーズな暮らしや価値観に目を向け、耳を傾けることも必要かもしれない。

# by PHILIA-kyoto | 2015-01-18 17:10 | 危機管理と災害  

関西に飛び火してきたプラム・ポックス・ウイルス病

日本の梅の木を皆滅させるおそれのプラム・ポックス・ウイルス病

  平成21年(2009)に東京・青梅市梅郷で国内初めての梅輪紋ウイルス(Plum pox virus)が見つかり、防除対策として、大量伐採、該当樹木持ち出し禁止処置が講じられてきたが、感染は拡大している。
  全国的にも有名であった梅の里「青梅・吉野梅郷」地域の梅の木1万本以上が、すでに伐採されたと思われる。観光名所となっていた青梅市立「梅の公園」の梅も2014年3月の梅まつりを終えて全て伐採される。

  毎年毎年、伐採対象は拡大し、伐採を表示する黄色いテープが散歩エリアの梅の木に巻かれるのを見てきたが、春を告げるふくよかな梅の花の香りが地域から消えていくのは、非常に淋しいことである。

  関西圏にも、すでにプラム・ポックス・ウイルス病は飛び火しており、農林水産省の報告では大阪(富田林)、兵庫(尼崎、伊丹、川西、宝塚)で感染が確認された、とある。

  古来からの「梅の文化史」を守るためにも、プラム・ポックス・ウイルスの有効な防除法が見つかることを祈念している。
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# by PHILIA-kyoto | 2014-03-17 11:07 | 身辺雑記