カテゴリ:樹皮紙 紀行( 20 )

 

紙の博物館・企画展が始まった

樹皮紙ってこんなにハイレベルだったんだ
  昨日6月19日(土)、東京・王子の紙の博物館で始まった「樹皮紙の企画展」を見てきた。
梅雨の中休みで晴天だったこともあり、開館時にはグループ見学の方々がかなり来ていた。

  樹皮紙って、新石器時代にもう作られていた…なんて、知っていましたか?

  メキシコに旅した時、樹皮紙Amateを買って、すごくキレイって感動したけど、昔のものは今のモノとは雲泥の差でハイレベルな樹皮紙を作っていたなんて不思議な気がします。いつも時代は、上昇傾向で進歩、発展して行くもの、って決めていたので。
  
  今回の企画展は、スペースが限られていて、インドネシアを中心にした出品でしたが、大好きなハワイにも100年ほど前には、あんな絹地のスカーフのような薄い樹皮で出来たタパが存在したことをビデオ・コーナーの傍にあったパネルの写真で知りました。  いつか実際の美しい樹皮のタパを見たいナ……。
 
  入館料が300円要りましたが、世界で初めて展示されたとても珍しいマジャパイト期の遺跡から出土した鹿の角やブロンズのビーターなどの品々や写真を見ていると、日本の名だたるテレビ局でも見つけていない「すごい情報が世界にはあるんだ!!」って驚きました。
  あのTBSの「世界ふしぎ発見」で、中部スラウェシの秘境にある巨石像や樹皮のことをやっていたけど、その地域の新石器時代の遺跡(3500-4000年前ころだと考古学者は推定)から、スラウェシのおばちゃん達が使っているのと、同じ形の石器ビーター<叩き延して広げていく道具>が出土しているなんて、言ってなかったものネ。

  「紙の博物館」って子供の行くところと、先入観をもっていましたが、この企画展をみて、紙が専門の博物館だから、こんな驚きの企画展を、ひっそりとやってのけたのだと、感激しました。

  展示スペースの都合で、大好きなマヤ・アステカなどの樹皮紙の展示が数枚の写真しかなかったのは、とても残念だったけど、いつか紙の博物館さん、がんばってマヤ・アステカも含めた樹皮紙展を企画して下さいね!!!

  この企画展は、わずか7月4日(日)までの2週間で閉幕してしまい、この展示品すべては海外に流れてしまうそうです。 なんてもったいない。

ちゃんと許可をもらって撮った写真を載せておきます。
あのインドネシアを代表する影絵劇ワヤンのルーツ、ワヤンベベールの復元が数百年ぶりにされた写真も。
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by PHILIA-kyoto | 2010-06-20 13:35 | 樹皮紙 紀行  

台湾、日本のコウゾ、カジノキの花

コウゾ、カジノキの開花

  今年の5月初旬から中旬あたりの台湾(台北、台東)ではカジノキ、日本(東京)では、ヒメコウゾ、コウゾ、カジノキの開花がみられる。

  下記の画像は、東京・青梅丘陵で見られたヒメコウゾの花だ。(同じ枝に雄花、雌花が咲く。)野生で随所に見られ、1,2年の若い木にも花を咲かす。雄花は小さく丸い。
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  2段目左は、東京・王子にある紙の博物館に植えられたコウゾの雄花だ。ヒメコウゾの雄花よりも長くズングリしている。この時期、小石川植物園に1本植栽されているコウゾにも紙の博物館同様の雄花が咲いていた。コウゾの花は、樹齢2,3年以上でないと咲かないとされる。



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  3段目左は、東京・小石川の東大・小石川植物園に咲くカジノキの雌花で、右側は同じ小石川植物園のカジノキの雄花だ。雄花はコウゾよりも細長く「くの字形」のものが多い。カジノキは明瞭に雌雄異株である。

  最下段は、この3月にインドネシアで撮ったマロの木と珍しい雌花の画像だ。以前紹介した雄花は、カジノキと似て細長く「くの字形」をしていた。f0148999_14493017.jpg
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by PHILIA-kyoto | 2010-05-15 15:00 | 樹皮紙 紀行  

樹皮布と樹皮紙の世界各地への伝播

樹皮布&樹皮紙はどのように世界に広がったか?

  樹皮紙のお姉さんとして先に生まれた樹皮布は、赤道ベルト地帯を主にして世界中に存在が確認されている。 これまでに国内の染織や民族芸術の分野の方々によりいくつもの先行研究があるが、そのいずれも「古代に起源」があることは言及されているが具体的な時期についての言及はなく、伝播ルートの探求は研究者の関心の地域内に限定されていた。
  欧米では1944年にN.Y.でVon Hagenによって以下のような伝播マップが発表されたが、近年の考古学などの最新調査研究成果を加えて、見直す時期にきている。特に、世界に多種、多様なタイプの存在が知られる樹皮布/樹皮紙製作用の道具(ビーター)がある中で、「形状と透かし模様加工の技法」が「ウリ二つ」のインドネシア・スラウェシと新大陸メキシコとの関係はHagenのマップにはまったく表記されていない。
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  これまでの筆記者の調査研究から、ひとつの大きな世界的な樹皮布伝播の波は、今から6000年ほど前の新石器時代に、中国南部から台湾を源流とするオーストロネシア語族により、インドネシア、ベトナム、太平洋諸島、マダガスカル島など広範囲に数千年の時間をかけて世界各地に広がったのは確かだろう。彼らが使った樹皮布製作用のビーターは石製のバトン型からラケット型に移行発展していくようだが、素材の石が十分に確保できない場所では木製のバトン型ビーターが使われた。世界各地で使用される原料の樹皮はカジノキ属などを含むクワ科のものが全てと言っても過言ではないだろう。
  しかし、世界各地に広がった樹皮布/樹皮紙製作の文化の伝播ルートのナゾを解明するのは至難f0148999_951820.jpgのことだ。なぜなら、インドネシアで収集した各種ビーターの右側の写真を見るだけでも、その多様さがあり、現段階では技術史の観点から相関関係を見出せるものではない。
  
  とは言え、筆記者らの挑戦は続き、明らかになってきた部分的な情報を五感で見つけ、突き合わせ、重ねていくと徐々に何かが見えてくる。
  樹皮を叩き伸ばす道具ビーターの素材としては、世界を見回すと石製か木製のものが圧倒的だ。そのような一般的な傾向の中で、おそらく特別の用途のために牙や角が使われる事例があるようだ。
  アフリカ地域研究を行われてきた市川光男氏のコンゴ・ムバティの調査報告によると「新生児の誕生がせまると父親が森に入り、もっとも柔らかな樹皮を得るために真っすぐに伸びたイチジク属の若木を選び、その樹皮を剥いで水に浸した後に、象牙製の槌<ビーター>で叩いて小幅の帯状にのばしたものを産屋に投げ入れる」とある。アフリカのコンゴでは「象牙製」のビーターが使われているのだ。インドネシアの東ジャワのマジャパイト期の遺跡から見つかっている「鹿の角製」ビーターも、アフリカのコンゴでのように何か特別の用途がある樹皮布か樹皮紙を作るために使われたのだろうか?
  以下の写真の柄付きのビーターはコンゴ国立博物館展示の象牙製であるが市川氏の報告の用途と同じものか不明である。小振りの東ジャワの鹿の角製のビーターには、ブロンズ製ビーター同様の取っ手を差し込む穴が穿かれている。f0148999_9491059.jpgf0148999_9492767.jpg
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by PHILIA-kyoto | 2009-05-25 10:16 | 樹皮紙 紀行  

メキシコ編

遂に幻の石器ビーター発見

  長年のハンターのような直感で、世界中でこれまでにインドネシア中部セレベス(現在のスラウェシ島)とメキシコのたった2例しか論文報告のない「特殊な模様入り石器ビーター」に着目し、同一品か同類品の発見を夢見てきた。 
  セレベスの報告事例は1901年<画像上左>。今から108年も前のこと。 メキシコの報告事例は1961年<画像上右>。これは48年前のことで、まだ関係者で存命の方が居るかもしれない。f0148999_9191179.jpgf0148999_9194184.jpg





  
  しかし、いずれも定まった保管先(博物館名など)が明示してあるわけでもなく、世界のどこに転売や移動しているか分からない。広大な砂漠の中から、小さな1個の真珠を探すような「無謀な」夢でもあった。

  熱意というものは不思議なもので、考古学や民族学の専門家の方々が「狂気の沙汰」と悲観視する中で、ピンポイントのように、スラウェシの広大な秘境の地域から「一つ目の幻のビーター」を2008年8月に発見<画像下左>。  続いて、メキシコに飛んで2009年4月に「二つ目の幻のビーター」<画像下右>を発見した。

  古代人の導きと思える、神秘的な「無謀な夢」が実現する体験だった。
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  この2つの発見が、学術的に今後どのような刺激やカギを与えるか、という点ですが、2点あると考えます。
  1点目は、「透かし模様」water-markというのは、高度な「樹皮布、樹皮紙の製作」技術レベルが存在する場所でしか開花しない点です。この非常に珍しい石器ビーターの背景を探っていくことで、有機物のためにほとんど現存しない樹皮布や樹皮紙の当時の製作技術レベルを推測する道が拓けると考えます。
  2点目は、非常に数少ない特殊な石器ビーターであることから、考古学や人類学の観点から当時の製作され使われた背景、宗教観などの研究のツールとして使えるはずで、おまけに太平洋をはさんだスラウェシとメキシコという遠く離れた場所でそれぞれ発見されたことから、双方の接点を解明していく上でも大事な役割を果たすと考えています。

  「紙の起源や南の紙の道」を考える上からも、今後のこの分野の調査研究の発展は重要です。

 
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by PHILIA-kyoto | 2009-04-23 09:43 | 樹皮紙 紀行  

メキシコ編

ユカタン(Yucatan/Merida)

  ユカタン半島ではマヤ文明期に属するチチェン・イツァー遺跡やウシュマル遺跡がよく知られる。チチェン・イツァー遺跡の中でも、9世紀初頭に完成したとされるエルカスティージョ神殿は、春分、秋分の日に、下の写真右側の階段側面に生じる影によってククルカン(羽毛の蛇)が現れるように見える、巧妙な仕掛けとなっていることで有名だ。
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  ユカタン州の州都メリダにあるユカタン人類学博物館にも、石器ビーターが下の写真のように展示されている。方形あり、小判型あり、また細長い小判型ありと、形状が3個とも異なる石器ビーターが並ぶ。機能的には他の地域のものと大差ない。
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by PHILIA-kyoto | 2009-04-20 22:10 | 樹皮紙 紀行  

メキシコ編

メソ・アメリカの遺跡から見つかる樹皮紙

  メキシコの遺跡で見つかっている石器ビーターの紹介が、メキシコ現地調査のため中断したが掲載を再開するにあたり、この機に珍しい前スペイン期の樹皮紙の素顔を画像で紹介しておこう。

  中南米の遺跡から樹皮紙が時々出土するが、有機物のため発見後すぐに保存処理を行うことが必要だが、現実には残存事例は非常に少ない。
  左側が、メキシコ・シティの中央広場ソカロ横のテンプロ・マヨール遺跡の埋葬品として見つかった樹皮紙、右側はスペイン人征服者コルテス文書の中に含まれ1531年に作成されたCodex Huexotzincoの中に綴じられていた樹皮紙文書のそれぞれ一部分の透過光画像だ。

  この画像を見ると、両方の樹皮紙共にビーターの刻面の筋目跡beater markが鮮明に樹皮紙に残っているのが観察でき、アステカ時代の樹皮紙の製作技術は予想を越えてかなりハイレベルで、「和紙」と同質程度とみなされかなり高く、今日メキシコで土産物用に売られるサン・パブリトのアマテ樹皮紙とは全く製作技法や樹種が異なることが明らかとなる。

  有名なマヤ・コデックスであるドレスデン、パリ、マドリッドの3冊の樹皮紙文書の素材品質は、透過光画像で見る限りは、今回紹介する2点よりは製作レベルが若干低いようである。おそらく、どの時代の紙もそうだが、用途により樹皮紙の品質の決り事があったのではなかろうか。

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by PHILIA-kyoto | 2009-04-19 15:20 | 樹皮紙 紀行  

メキシコ編

モンテ・アルバン遺跡(Oaxaca/ Monte Alban)

  モンテ・アルバン遺跡は、メキシコ・シティから東南へ約350kmの、先住民の人口がメキシコで最も多いオアハカ州にある。画像は北の大基壇から南の大基壇方向を見たもの。
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  紀元前500年頃からサポテカ人により建設が始まったとされる遺跡だ。紀元850年頃には人々は他に移り始め、段階的に放棄され、その後ミステコ人によりモンテ・アルバンは墓地として使われた歴史がある。
  モンテ・アルバン遺跡は小高い丘の上端を削って築かれており、離れた周囲にもポコポコと遺跡のある小高い丘が散見できる。ガイドの説明では、モンテ・アルバン地域の遺跡発掘状況は、まだ推定全域の10%程度とのこと。

f0148999_8223013.jpg f0148999_823175.jpg 遺跡公園の中にある博物館に、数個の石器ビーターが展示してあったが、筋目の刻まれた石器ビーターは一個のみだった。スラウェシの石器ビーターは筋目の刻みのある面が湾曲せず平坦なのと比べ、メキシコのは筋目の刻まれた面が凸面状に湾曲しているのが多いのは、どういう理由からだろうか?樹皮の原料に何か違いがあるのだろう。 展示品の年代など説明は何もなかったが、モンテ・アルバン遺跡の初期の頃のものなのだろうか。

f0148999_8171343.jpg  オアハカの街は、一人旅行者にも心地よく、料理も美味しかった。モンテ・アルバン遺跡公園の中のカフェも見晴らしがよく、青い空に広がる真っ赤なポインセチアと重なって、ネパールの風景が思い出された。
  街の通りには、観光客目当てに6、7人がアマテ樹皮紙に極彩色で描かれた絵を売っているのを見かけたが、どれも昔のアマテ樹皮紙とは似ても似つかない貧相な製品ばかりだった。
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by PHILIA-kyoto | 2009-03-14 08:52 | 樹皮紙 紀行  

メキシコ編

テオティワカン遺跡

 メキシコ・シティの北方50キロの位置にあり車で45分ほどで着く。
 このテオティワカンは紀元前2世紀頃から建造された宗教都市国家で、8世紀頃謎の滅亡をしたとされる遺跡だ。インカ文明でみられる一寸の隙間もない石組みではなく、意外と大雑把に思える石の組み方だった。
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 月並みに高さ42メートルとされる「月のピラミッド」に登り、遺跡の全貌を楽しんだ。画像の眼下の中央に走る道が「死者の道」、左側に高さ65メートルの「太陽のピラミッド」が見える。周囲は乾燥していて殺伐とし、サボテンなどの乾燥に強い植物ばかりしか見えない。

 敷地内にある遺跡博物館を見学し、樹皮紙(あるいは樹皮布)製作用の3個の石器ビーターが展示してあるのを見ることができた。どれもラケット型のもので、f0148999_2261193.jpg右側、1個目のいくつかの石器と並んだ中央の中空に置かれた薄茶色の石器ビーターの表面は筋目がなくフラットで、どのような段階で使うものか不明だ。

 2個目の黒曜石と一緒に展示されているものは、筋目が少し広めで、仕上げよりも前の段階で使われるのではないか、と思われた。f0148999_22111551.jpg









 3番目の小粒の石の上に置かれたビーターも少し筋目が広めで、仕上げよりも前の段階で使われたものと思われた。f0148999_22114635.jpg

 現在のメキシコ各地の博物館における石器ビーターは、個々単独で独立して使用したような印象を与える展示となっているが、これは過渡的なものと考えなければならないだろう。
 なぜなら、マヤ・コデックスや先般メキシコ・シティのテンプル・マヨールの埋葬地から出土し、INAHのコンサベーション部門で保存処理をされた樹皮紙には共通して、同じような狭い筋目間隔の石器ビーター文様が確認されている。

 しかし、各地のメキシコの発掘現場からは、様々な筋目間隔の(広いものから狭いものまで)大きく違うものが出土しており、なぜ、マヤ・コデックスなどの古文書に見られない荒い筋目間隔の石器ビーターが出土するのか理解できなかった。
 しかし、メソ・アメリカと瓜二つの石器ビーターが出土し、なおかつ現在も中部スラウェシで樹皮布製作に使用されている石器ビーターは、なんと「一人の職人が6-8本の筋目間隔の異なるビーターを、荒いものから順番に使っている技法」をヒントに考えると、理解は整然とする。<現在、メキシコで出土している石器ビーターの種類から予想したものであるが、樹皮紙も樹皮布も、品質の高いものを製作する場合には、セットで使ったと考えるのが妥当だろう。>

 今後、メソ・アメリカの石器ビーターを管理分類していく際に、当時はセットで使われていた公算の高い石器ビーターという観点で扱っていく必要があるだろう。

 樹皮紙について、メソ・アメリカでの今後の調査研究は、非常に面白くなっていくことだろう。期待される。
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by PHILIA-kyoto | 2009-03-08 22:42 | 樹皮紙 紀行  

メキシコ・マヤの樹皮紙

樹皮紙の起源は?

 この問いに答えるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
初めて降り立った土地では、まず調査の手がかりを見つけるのに本当に苦労する。

 最初に訪ねたメキシコ人類学博物館は、軍隊か警察かわからないが重装備のガードが入り口に数人立ち、入場に当たっての荷物検査も厳重だし、中の案内のオバサンも詳しい質問になると門前払い。とってもいい博物館だが、シカゴのフィールド・ミュージアムなどはガードマンも担当学芸員を紹介してくれたが、ここでは手も足も出ない。おまけに、スペイン語しかわからないスタッフも多い。
 到着した夜にホテルで教えてもらった博物館ガイドの案内でINAHの研究部門を何とか訪問するが、午後2時なのにもう誰も居ない。明日から、各地の遺跡を廻る予定のため、再度メキシコ・シティに戻ってからチャレンジしよう。

 現地の良さは、日本ではなかなか入手できない情報や人に直接出会えることだ。
ホテルでは夕食に出る以外は、街で買った本など読むことしかなく読み漁っていると、樹皮紙を使った儀式の記事がいくつか出てきた。
 The Blood of KingsというKimbell Art Museumの1986年の展示会カタログを見ていると、マヤでの王と妃による「放血の儀礼」の最初の記録が起源200年頃には残されているとの年表があった。この放血の儀礼では、後の時代のレリーフでは画像のように、「樹皮紙の紙」が必ず使われる。ここに載せたものはヤシュチラン遺跡のリンテル24のもので、AD709年10月28日に行われたものとのこと。分りにくいが、妃のひざまずいたバスケットの中に樹皮紙の折りたたんだ本があり、その上に舌に通した棘のついたロープが下がり、血が流れてくる。f0148999_7114534.jpg
 同じヤシュチラン遺跡のリンテル25では、これより古いAD681年10月23日の放血の儀礼のレリーフも残っているようだ。

 マヤ・アステカのレリーフや絵文書には、本当に豊かな情報が残っているのかもしれない。しかし、ギラギラと太陽が照りつける厳しい気候条件の下に、転がされて朽ちていくレリーフの石を見ていると、大事な古代の情報が次々と消失していく危機を感じてしまう。 しかし、メキシコの陽気な雰囲気は、まだ、未発掘の遺跡が膨大にあるから、少しぐらい消失しても気にしない!気にしない?と深刻さがないようだ。 

 いよいよ、各地の遺跡から見つかった樹皮紙を製作する石製ビーターを次回以降に紹介していく。
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by PHILIA-kyoto | 2009-03-01 07:08 | 樹皮紙 紀行  

世界をつなぐ樹皮紙Beaten Bark Paper

1.メソ・アメリカの歴史に埋もれた樹皮紙
  樹皮紙のルーツを探求する上で、メソ・アメリカ地域は魅力に溢れる。しかし、これまで「まっとうな調査・研究がなされてこなかった」のは奇妙なことである。
  ひとつの理由として、それぞれの狭い研究領域からみると、樹皮紙は箸にも棒にも引っかからない、魅力のない「紙くず」のような見え方をしたのだろう。

  では樹皮紙は、古代メソ・アメリカでどのような位置にあったのだろう?
  建物のレリーフに残る王達の扱う「樹皮紙」は神聖な儀式に使われるものだった。アステカ時代の生産量の記録やアマテ樹皮紙にちなむ都市名が今も残ることから考えると、往時には、樹皮紙は非常に高貴な、大事な産物であったことが推測できる。
  だが残念ながら、有機物である樹皮紙自体は、高温・高湿のメソ・アメリカの風土で容易に腐って残らなかった。さらに、スペインのキリスト教布教の嵐の中で、徹底的に破壊焼却されてしまったことから、詳細は歴史の謎に埋もれてしまうこととなった。

2.新たな樹皮紙に脚光をあてる取り組み
  有機物である樹皮紙を新たに見つけることは出来ないが、メキシコには今も各地の博物館に樹皮紙を作るための道具である石製ビーター(Stone Bark Beater)が残されている。それらのビーターの情報を収集調査し、編年研究を行っていくことで、徐々に失われ、埋もれていた樹皮紙の変遷と歴史が明らかになってくることだろう。
  メキシコ・シティ市内でもクィクィルコ遺跡から紀元前のものと考えられる石製ビーターが見つかっており、おそらく次々と紀元前のものが見つかることだろう。
  オーストロネシアンと樹皮紙の関係は、f0148999_2143770.jpg<左下画像:トラジャのビーター>東-東南アジアでは明白になってきており、その技術的影響がどこまで波及したのか? が今後の関心となる。これまで、独自な技術の形成がなされたとするメソ・アメリカの文化に、外来文化の影響、技術の伝播は本当になかったのか?

<右下画像:メソ・アメリカのビーター>

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3.市民参画型調査研究の大事さ
  「総合」という名のつく研究や機関名は多いが、実態は「殻」を作り、固定した視野で調査・研究をやってしまう弊害が目立つ。メソ・アメリカの石製ビーターの形状にバトン型、ラケット角型、丸型の大きく分けて3種類が見られるが、丸型ビーターへの形状の変化には、原料樹木の枯渇という環境問題が絡んでいたのではないか、という推測をしている。現在、観光用に見ることができ、また売られているアマテ樹皮紙は、まさに原料の枯渇という非常事態の中で、変容して残された技法産物に過ぎず、スペイン征服当時の姿とは雲泥の違いのあるものなのではなかろうか。
  このような研究を進めていく上で、これまでのような分断された専門領域の調査研究、あるいは「研究者の偏狭さ」を打破した広い市民参画型の調査研究手法が必要だろう。

  メキシコからのフィールド調査レポートに期待したい。
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by PHILIA-kyoto | 2009-02-08 02:23 | 樹皮紙 紀行