カテゴリ:オーストロネシアン研究( 18 )

 

ホントに石器ビータは「透かしwater-mark技法」に使える道具?

3つの判断根拠

  以前の事だが、台湾の権威ある考古学者などは、模様の刻まれた石器は陶器の表面に模様を刻印する道具であって、樹皮布などに透かし模様を加工する道具ではない、と猛反発された時期もあった。

  現在では、猛反発された石器ビータであるが、以下の3つの根拠から、「透かしWater-mark」を樹皮布などの表面に加工する道具とされる。
1つめは、2008年8月に中部スラウェシの秘境と当時言われていたバダ渓谷で、用途の見解が分かれていた問題の石器を所有する老婦人が偶然の幸運で見つかったのだ。この婦人は、非常にレアな模様の刻まれた石器ビータを保有していて、使い方を自ら説明してくれたのである。この生き字引のような老婦人の説明があったことで、長く続いてきた混乱の論議に決着がついた。
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<画像>混乱した論議に終止符を打った中部スラウェシ・バダ渓谷の老婦人(2008年8月撮影)


  2つめは、ハワイには樹皮布に3-400種類とされる透かしwater-markを加工する技術が存在した点である。 100年以上前の透かし模様の加工された樹皮布が数百枚残されていて、樹皮布に透かし模様を加工する技術が
 認められた。

  3つめは、石器ビータへの関心が高まり、世界各地で見つかった石器ビータの比較研究が進んだことによる。 石器の周囲全体にラタンなどの取っ手を固定する溝が刻まれていると、機能的に強い力で振り下ろす使用法が
 自然であり、陶器の表面に刻印する用途には適さない事が分かってきて、用途の見分けが可能となった事。

  樹皮布/樹皮紙技術を数万キロの距離で伝播させたオースロトネシアンに関する調査研究は、まだ始まった
 ばかりの感があり、石器ビータを専門的に調査研究する方は極めて少ない。また、透かし模様を加工する石器
 ビータは、単独でも専門外のコレクターに収集されてしまうことが多く、発見時の科学的データが失われてい
 たり、豊富な数での比較研究が、なかなか出来ない状況なのである。
  この樹皮布/樹皮紙に「透かしwater-mark」を加工できるということは、素地の品質が均質で良好であるこ
 とを示しており、”紙の起源”という別の観点からも世界各地での「ユニークな透かし模様の刻まれた石器ビー  タ」の発見例が増えていくことが願われる。



【近刊】《Austronesian Diaspora~A New Perspective》Proceeding of International Symposium 2016 at Nusa Dua Bali.
     ISBN 978-602-386-202-3
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   インドネシア国立考古学研究所(ARKENAS)が昨年7月に主催し行った国際シンポジウムの記録集。発行
 元はガジャマダ大学出版部(ugmpress@ugm.ac.id)
   主として前回開催の国際シンポジウムから10年を経た、インドネシアにおけるオーストロネシアン調査
 研究の最新成果をまとめたもの。36人が執筆。全594頁。


*第2項は、2017年3月5日日本時間21:10加筆した。

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by PHILIA-kyoto | 2017-03-05 16:45 | オーストロネシアン研究  

「透かしWater-mark 技法」を発明したオーストロネシアン

新石器時代に存在した「透かしWater-mark」技法

  オーストロネシアンと樹皮布.樹皮紙(Beaten Bark)の調査研究も9年となり、各国研究者の応援もあって基盤となる技術や道具については明らかになってきた。その中で、一番の驚きは、なぜ灯りの乏しかった新石器時代の生活の中で、明かりで透過しないと視認できなかった「透かしWater-mark」という超高度な発明をしたのだろうか? という点だった。

  閲覧されている方々も、現代のお札を引っ張り出して、偽造防止に使われる「透かしWater-mark」を観察して下さい。光にかざさないと(透過)させないと見えませんよね…。夜でも昼でも認識できるアクセサリーやブレスレットなら理解できますが、光にかざさないと認識できない、形がとらえられない、非常に抽象的な技術を何の必要性があって発明し、それも執拗に大切にして、ドンドン高度化させたのか? 
  どうも、石器ビータに刻まtれた透かし模様には「大事な意味」があったように思える。単なる道具を美しく飾る装飾ではなく、透かし模様自体に大事な役目があったのではなかろうか。

  最近の発掘事例で、科学的に推定年代が分かっている「珠江デルタの透かし模様の石器ビータ」は、今から約4,000年前とされる。この珠江デルタ地帯は、石器ビータの出土例が多いようで、現在最古とされる石器ビータは6.800年前頃とされる。
  まずは、世界3カ所で見つかった「透かしWater-mark」を樹皮布/樹皮紙に加工する石器ビータの紋様を、ゆっくり観察していただき、発明の謎を考えていただければと思う。

1.中国・珠江デルタ地域 1点 (科学的出土遺物年代測定では、約4,000年前のもの)
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2.中南米 メキシコ 7点 (マヤ・アステカ期、マヤ絵文字の刻まれた8c頃の石器ビータ含む)
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<メキシコとハワイの透かしwater-markには、似た模様・パターンがある>
  左の画像の透かし模様など、メキシコの石器ビータの「透かしwater-mark模様」に時々見かけ
るものだが、どういう訳か「ハワイの樹皮布Kapaに加工された透かしwater-mark模様」と非常に似
ている。ハワイの樹皮布に透かしwater-markを加工する道具が、すべて4角面のバトン型木製ビータで
あるために、この画像一覧から除外した。
  ハワイのKapaに加工された「透かしwater-mark」模様は、ビショップ博物館の調査では300
種類以上とされ、個々の模様・パターンにはそれぞれ固有の名称がつけられていた。品質も、時には
シルクの極薄スカーフと見紛うほど素晴らしいものがあったハワイのKapa。 そこに残された透かし
water-markについては、後日書くつもりである。







3.インドネシア・中部スラウェシ(Napu Valley, Bada Valley, Besoa Valley) 5点

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    中部スラウェシの透かし模様の石器ビータの科学的年代測定は行われていない。
 中部スラウェシのユニークさは、世界で唯一、約3,500-4,000年頃の遺跡から出土
 した多数の石器ビータと同じ形の石器ビータのセットを、現在の職人らも使い続けている点であ
 る。 文化人類学者は「生きた化石」の地と呼ぶ。



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by PHILIA-kyoto | 2017-02-26 22:12 | オーストロネシアン研究  

映画コン・ティキ全国上映はじまる

映画Kon Tiki全国上映開始の案内 ~「海の道」へ目を開くために…

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   陸に暮らす人間にとって、陸を走る鉄道の情報、道路の情報、ロマンあふれる古代シルクロードのことは身近によく知っている。だが、陸よりも交流・貿易に都合のよかった海洋を渡る「海の道」については、ほとんど知らない。情報をもっていない。

    日本では昨日(2013年6月29日)から全国上映の始まった「コン・ティキ」は、インカとポリネシアの双方に残る太陽神ティキの神話を基に、「海の道」を古代の技法・知恵を用いて解明したいと熱望したバイキングの子孫トール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl 1914-2002ノルウェー人)の行った壮大な実験航海の実話に基づいた映画だ。
   バルサ材というインカのチチカカ湖などで使われている木材を用いた筏で、ペルーからツアモツ諸島までの8000kmを、風と海流にまかせた航海で1947年4月28日から102日をかけて6人の乗組員で成し遂げた。 <今から66年も前の、第二次世界大戦終了間もない時期のことだ>

  その航海記は、日本では1957年に『コンティキ号探検記』として出版され、兄の書棚に初版本が並んでいたことを思い出す。

   樹皮紙の調査研究のベースとなるオーストロネシア語族は、まさに「海の道」を開拓していった古代のパイオニア達だったのだろう。「海の道」に広がった古代文化、古代技術の調査研究は、陸のシルクロード研究に比べ大きく出遅れているが、そこに秘められた多くの古代の知恵や精神性と出逢い、現代人が教えられることは多いと考える。
   ぜひ、「海の道」へといざなう映画『コン・ティキ』の鑑賞を勧めます!!
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by PHILIA-kyoto | 2013-06-30 12:52 | オーストロネシアン研究  

新発見!!! 中国南部でも透かし模様加工用の石器ビータ

発見増える!! 透かし模様water-mark用の石器ビータ

  服飾史の知見では、古代世界では布や樹皮に「模様を描く」「図柄をプリントする」「織って模様を入れる」というような、全て“反射光”で模様を認識するものであった。
  ところが、最近の調査研究によって、新石器時代頃に、現代の高度な偽札偽造防止用などで知られる”透過光“で認識するという「透かし模様water-mark」がすでに発想され、使われていた痕跡が世界各地で見つかってきた。

  古代メキシコ(Mexico)、中部スラウェシ(Indonesia)での報告事例に続き、最新情報ではマカオ近くの中国南部の遺跡からも発見!!のニュース。
  実見したところ、メキシコ、スラウェシ同様に、石器にラタンなどで取っ手(handle)をつけられる溝が石器周囲に刻まれており、明らかに「打ち叩く」用途であったことが確認できる。4000年前頃の出土品との事。新発見の中国の模様も、一般的な樹皮を打解するためのものではなく、神秘的な透かし模様を樹皮の表面に最終段階で加工するためのものとみられる(画像参照)。f0148999_12272482.jpg


  新発見の不思議な模様の石器表面には、さらに不思議な「赤い顔料」が丁寧に筋状に塗られており、何かの聖なる儀式に使われた様相が推測できる。

  次々と、透過光でしか認識できないような高度な透かし模様技法が、メキシコ、インドネシア、中国南部で報告されるようになり、他の地域での報告事例が増えていくことが期待される。
  特に、樹皮表面に透過光でしか確認できないような透かし模様を加工するには、使用する樹種がカジノキ(Broussonetia papyrifera vent.)のような樹皮が白くて扱いやすいものでなければならず、カジノキのように世界各地に運ばれ拡散していった樹種のDNA分析などによる調査研究成果が期待される。
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by PHILIA-kyoto | 2012-05-30 12:36 | オーストロネシアン研究  

台湾・台東にて

東日本大震災から9か月

  久し振りの投稿となった。
3月11日に発生した東日本大震災後の3月21日に現地に入り、ほぼ6か月間休みなく専門的な被災バイタル・レコードを対象とした支援活動を行った。その後、ASEANの第2回災害WSがインドネシア国立図書館のコーディネートで11月28-30日に開催され、講師で招かれスラウェシにも足を延ばした。
  そして現在、ほぼ1年振りとなったが、台湾の国立史前文化博物館の好意で台北、台東を訪問し、旧交を温めている。オーストロネシア研究がもっと加速されればと願う。

台東のカジノキ

  先月、インドネシア科学アカデミーLIPIの植物学のシニア・スタッフと、ボゴールの植物園でカジノキの話題を話し合ったが、インドネシアで知られる樹木カジノキと、台湾・日本など東アジアで知られるカジノキには大きな特徴の違いがある。ラテン語で表記される学名は両者ともBroussonetia papyrifera vent で同じあるが、かくも木の特徴が異なると困惑する。

  いつも台東(Taitung)で時間があると訪ねるのだが、海岸沿いに形成された森林公園で経常的に観察している琵琶湖湖畔のカジノキがある。カジノキは雌・雄が別々の木となっているが、意図的か偶然か湖畔の見晴台の左側にメスの木。右側にオスの木が植えられている。
  不思議にも掲載画像のように、この12月中旬の台東の森林公園において、メスの木にたわわにカジノキの実がなり、オスの木には立派な雄花がいっぱい咲いていた。2月頃に台東各地でカジノキの結実を見た記憶が残るが、この時期に、離れたオスの木、メスの木が互いにどのように知らせ合い、花を咲かせ実をつけて子孫を残していくのか、とても神秘的なことだ。
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  今後、インドネシア・中部スラウェシ(Central Sulawesi)における暮らしや風物、樹皮紙(Beaten Bark Paper)の現地レポートなどを少しずつ再開していく。
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by PHILIA-kyoto | 2011-12-18 12:50 | オーストロネシアン研究  

スラウェシ慕情

中部スラウェシは雨季

  2011年のインドネシアからの便りは、「各地で雨がよく降っている」というものが多い。中部スラウェシも雨季のこの時期には、道路は各所で土砂崩れで寸断され、通行が危険となり、車での往来は激減する。例年雨季の終わる3月頃まで旅行者は現地入りを敬遠する。
  今年は、どのような状況となるのだろうか?

  新たな年を迎え、このブロッグをここまで続けてこられた事を感謝するとともに、関係者は老齢化で“活力”がなくなり、情報発信がだんだん難しくなっていくことを想う。

  樹皮紙/樹皮布を調べていく過程で出逢った「オーストロネシア語族Austronesian」。世界中に海を伝って拡散していった彼らの精神性、創造性には驚かされることが多々あり、その埋もれた実像を少しでも探求していきたいと思うが、現実は氷山の隅っこを垣間見たに過ぎない。

  樹皮紙/樹皮布は新石器時代からの石器ビーターstone beaterが各地に残り、原料となったカジノキBroussonetia papyriferaのDNAを解析した伝播ルート解明が可能で、民族学・言語学的痕跡など複合的な調査研究ができる貴重な題材であり、オーストロネシア語族研究のキーワードのひとつとなる。
  現状では、源流にあると考えられる中国大陸南部から台湾地域、そして拡散の道筋となった東南アジア、太平洋の島しょう地域とアフリカ大陸、そして新大陸を横断的に視野においた樹皮紙/樹皮布の総合的な調査研究はこれまでなく、今後の調査研究に委ねられる。

  今のところ、世界で唯一「生きた化石」のような痕跡が多々見つかっている中部スラウェシ地域からの成果は、新大陸との関連性を考察する上で魅力的に思える。
  
  樹皮紙/樹皮布に透かし模様water-markを加工する技法を教えてくれたバダの老婆も93歳となり、中部スラウェシにも押し寄せ始めた近代化の大波とも関係し、様々な地域において過去を知るための「時間との競争」が繰り広げられていることを思う。

  ひとりでも多くの人が「時間との競争」に関心をもち、限られた経済的、人的資源が有効に投入され用いられていくことを願っている。

  実に多くの懸案・課題が横たわっているが、中部スラウェシ・ブリリBulili村の子供達のように、未来に希望を灯し、技術や伝承を継承していく可能性のある人材を発掘し、支援を続けられればと夢見る。
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by PHILIA-kyoto | 2011-01-05 11:38 | オーストロネシアン研究  

混迷する「台湾原住民」研究と文化活動part 2

輔仁大学織品服装学部展示コーナーにて

  輔仁大学Fu Jen Catholic Universityは、中国本土の共産主義化で台湾に移ってきた長い歴史を有する大学だ。特に、台湾原住民の織品、服装品の収集や研究に熱心に取り組んできた。その象徴的な「原住民の衣装」を紹介する展示コーナーに、代表的な台湾原住民のコスチュームを着せた人形が6体展示されており見せてもらったが、大きなショックだった。
  6体すべてが、シャンデリアの装飾のような揺れ動く金属の豪華な装身具を頭に載せ、金満ぶりを示すかのような豪華な衣装なのだ。大陸の少数民族の豪華衣装のようだ。
  台湾は、石器時代からの基層の上に南島文化が発展し、その後、大陸からの文化を受容したミックス・カルチャーの宝庫だと考える。

  南島文化は、人類で初めて「海」に漕ぎだし、世界に拡散していった「海の文化」だということを忘れてはならないだろう。

  台湾を空から見ると、しばしば荒波が逆巻く海域である。常に小さなカヌーは海の荒波に翻弄され、波にのまれて海に沈み、また方向を失い水や食料がなくなって死ぬ危険は非常に高かった。そのような恐怖を克服し、海に漕ぎだしていく勇気と技術は、どのように誕生し、形成されたのだろう?限られた空間しかない丸木舟(カヌー)の中に持ちこめる品々、身につける衣装は非常に限られていた。このような極限状態の中で生まれ、発展してきた「南島文化」の精神性、衣装やアクセサリー。
  今も、スラウェシのシャーマン(呪術師)が、必ず呪術で使う樹皮布Bark cloth(必ず白いカジノキ製)は南島文化圏全域で見られ、ただの衣服以上の用途が残っているのは、「海での恐怖を克服させるスピリット」を有していると信じていたからではなかろうか。

  台湾原住民の衣服、装飾品の歴史を考える上で、基層にある「南島文化Austronesian culture」とその後影響を受けてきた「大陸文化」の、それぞれの痕跡、融合の姿を注意深く調査研究していかなければならないのではなかろうか。

  台湾原住民の調査研究は日本時代の成果に大きく依拠してきたが、近年発展してきたオーストロネシア語族の研究成果を加味した、新たな調査研究への転換期にあるように思える。台湾がどのような将来の政治的な選択を行うとしても、暮らしの足元に存在する基層文化、痕跡を排除する事は不自然だろう。
 
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by PHILIA-kyoto | 2010-11-07 13:45 | オーストロネシアン研究  

混迷する「台湾原住民」研究と文化活動

台北・南天書店にて

  中央研究院の出版物を買うために南天書店を訪ね、店員と日本語での会話を楽しんだ後、目につくところに配架してあった本を数冊パラパラと眺めてきた。
  以前、このブロッグの2008年12月19日の記事として「悲しみの国立故宮博物院」を載せたが、学術文献が主の南天書店に並ぶ「台湾の歴史」「台湾原住民」関連のものでさえ、この悲しみを増幅させるものが多いことに驚く。店員が持ってきてくれた喜安幸夫氏の『台湾の歴史』の最初の頁をみても、現在台湾で見つかっている考古学的な痕跡は、今日にいう先住民、いわゆる高砂族との関連は認められていない、と説明。著名な本でもこのような理解のため、一般的に閲覧されるWikipediaでは、「考古学の発掘は未だ(台湾における)新石器文化と台湾原住民との間の具体的な継承関係を確定できていない」と解説しているし、他のウェブや旅行ガイドでも類似の説明か大航海時代以降しか扱っていない、奇妙な台湾の歴史理解となっている。

「有槽石棒」という考古学用語に秘められた台湾考古学の悲劇 

  今日の台湾原住民と新石器時代文化との「断絶」を意識づけた過誤は、台湾考古学界の重鎮達にあった、と思われる。すでに日本統治時代に鳥居龍蔵らは、台湾原住民の言語に南島言語(オーストロネシア諸語)との類似性、共通性を指摘していたが、当時は十分な発展を遂げる状況になかった。

  最近になり、ピーター・ベルウッド、R.D.グレーらの世界的なオーストロネシア語族研究が盛んとなり、語彙統計学の手法によると台湾がオーストロネシア諸語の源流にあることが明らかとなった。このことは、すでに日本植民地時代、また凌純声(中央研究院初代民族学研究所所長)らの1960年代のフィールド調査で採取された台湾原住民の中に残る語彙が南島言語に共通する、とした指摘が学問的に証明されたこととなる。

  新石器時代に、台湾など東南アジアから太平洋諸島、マダガスカル島、イースター島にまで拡散した樹皮布文化の中に、各地で共通する語彙が見つかっており、台湾原住民のいくつかの部族にも似た語彙が報告されてきた。もし、新石器時代の南島文化と現在の台湾原住民に断絶があったとすると、言語的な共通性を見出し、祖語としての位置づけも成り立たないのではなかろうか。
  2010年1月に出版された『珍惜台湾南島語言』(李壬癸著)の帯に「台湾最有可能是諸南島語族發源地」とあるのは、刺激的だ。
  いずれ、新石器時代に台湾で生活していた「古代台湾人」と「現代原住民」(この定義と変遷も複雑だ)との関連性はDNA研究などの進展に依り、科学的に解明されひとつの結論がでる。

  石器ビーター(樹皮を叩き延して樹皮布/樹皮紙を作る道具)を含め有槽石棒とした苦肉のネーミングが語る台湾考古学界の悲劇については、歴史自身が過去を語ることだろう。そして、世界的に展開されてきたオーストロネシア語族研究が、今後の台湾の古代史と原住民研究に「光」を照らすことを願う。
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by PHILIA-kyoto | 2010-11-07 13:27 | オーストロネシアン研究  

日本での樹皮紙Beaten Bark Paper展

東京・王子の「紙の博物館」

  上記の場所で、2010年6月19日(土)~7月4日(日)の期間「新石器時代から花開いたアジアの樹皮紙Beaten Bark Paperの美」と題した企画展が予定されているようだ。
  現在知られる「漉いた紙」の起源を再考する上で、新石器時代に存在を認められる「樹皮紙」の高度な技術や美しさを、東京で、目の前で見聞できる機会はまたとない。
  会期中に講演会や、特別に「樹皮紙の古い文書」を手にできる特別企画もあるとのこと。
www.papermuseum.jp

  日本でも、大航海時代以前のアジアの先住民の美と尊厳を伝える企画展が、掘り起こされ実施されるようになったことを喜びたい。

旅に 

  旅の途中から、「オーストロネシアンと樹皮紙」について、新発見や印象に残ることをアップしていきたい。折からの豪雨で土砂崩れで道が消えていたり、電気のない地域、携帯の電波も通じない地域もあることから、波乱に充ちていることであろう。
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by PHILIA-kyoto | 2010-03-09 00:05 | オーストロネシアン研究  

人類学者Raymond Kennedy

スラウェシの樹皮布/樹皮紙研究の先人達

  1950年4月27日か28日、ジャワ島のバンドンからジープでフィールド調査に向う途上のレイモンド・ケネディRaymond Kennedy(1906-1950)は、強盗に襲われ同乗のタイム誌特派員Robert Doyleと共に命を落とした。インドネシア独立戦争直後の混乱期の中での悲劇であったが、レイモンドは優秀なエール大学の研究者として1947年にカーネギー財団から5年間で150,000ドルの助成を受け、その成果を期待される途上だった。享年44歳であった。

  彼が27歳で発表した「Bark-cloth in Indonesia」(The Journal of the Polynesian Society Vo.43 1934)は、以前、このブロッグの2008年8月21日の「スラウェシ探訪記②」の中で紹介したオランダ人宣教師A.C.Kyuyt(1869-1949)の民族学における業績を受け継いだ、今日も非常に参考となる研究論文であった。

先人達が残したカジノキBroussonetia papyrifera vent のナゾ

  レイモンドRaymondは上記論文のp.242で以下のような興味ある指摘を残している。
 Adriani and Kruyt note also that word for the Trema amboinesis, the tree whose bast is commonly used in Celebes for bark-cloth, though now umayo, has an older form in the Parigi- kaili dialect, malo, which, they say, is undoubtedly the Polynesian malo or maro("loincloth"), the Fijian malo, the Massarete Buru(Moluccan) kamaru, the Mafur(New Gunia) mar.

 文中のMaloの木はTrema amboinesisではないと思われるが、Maloという発音がポリネシアなどのフンドシMaloに共通することの指摘は注目される。
 この点は、1978年に『タパ・クロースの世界』(源流社)と題し世に出した菊川、小網女史の現地調査報告では「ソロモン群島東部のサン・クリストバル島東部でカジノキをマロMaroと呼んでいることは、フィジー語に共通…」(p.32)とし、Maloとも表記している。マロ(Maro, Malo)に関し、両女史はアロシ語ではカジノキ、また、サモア語、ニウエ語、フィジー語、ハワイ語、ラロトンガ語、タヒチ語ではフンドシ(褌)を指すとしている。

  これは何を意味しているのだろうか? 

  日本でも縄文時代の遺跡から実が出土したとされ、平安貴族に愛でられたカジノキ。和紙の主原料コウゾはカジノキのハイブリッド種とされる。

  日本人の琴線を奏でるカジノキのルーツと移動のナゾを考える上で、科学的な解明が必要だ。

※マロとカジノキについて、2009年11月14日、12月3日付で関連記事あり。
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by PHILIA-kyoto | 2010-02-27 10:12 | オーストロネシアン研究