カテゴリ:中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20( 6 )

 

Palu被災現地レポート2018 ⑥

様変わりを感じる国際的支援

  これまでの大規模災害被災地、たとえば2005年のバンダアチェ、2013年のフイリピン・レイテ島での印象では、各国連機関の専用車両や拠点事務所の存在感が強く残った。
  それが、このところのロンボク島地震の時や、今次の中部スラウェシ地震・津波では、国連機関の専用車両が見られない。ある情報ソースからは、国連機関に属するスタッフは、救援関係活動のため現地入りする事が許されていない、言い換えると入域禁止の指示が出されているようである。
  これは、インドネシア国だけの事例なのか、世界の各地で吹き始めた「風向きが変わる」大きなウネリなのか、注意して見ていく必要があろう。これまで、世界各国の被災地で、迅速に”自然の流れで”展開してきた国連機関であったが、その功罪と影響について、様々な角度から見直していく事は重要であろう。  <画像は、パル州知事庁舎内に開設されたインドネシア外務省現地調整事務所>
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明日11月16日から再びパルに入るが、どのように現地は復旧しつつあるだろうか?

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by PHILIA-kyoto | 2018-11-05 01:23 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑤

1.パル州立博物館収蔵品の被害状況
 
  ジャカルタを10月14日(日)午前5時にLion Airで発ち、パルMutiara SIS Aljufri空港に8時35分に到着。日本及びインドネシアで調達した支援物資を迎えの車に積み、まっすぐ州立博物館へ向かった。
  思い返すと、2004年のスマトラ沖大津波後にバンダアチェの空港に到着した際には、GAMとの交戦状態で外国人の入域禁止令が布告されていて、空港敷地内には重火器を携行した兵士たちが大勢いて戦車も数台見られた。また、アチェ州に施工されていたイスラム法(シャリア法)が実施されている事への緊張感が漂っていた。それに比べ、パル空港には、救援活動に従事する米空軍輸送機などが見えるものの、装甲車も兵士も見かけず、到着ロビー及び敷地内の様子は緊迫した雰囲気は無かった。空港から博物館へ向かう道路沿いも、日中なのに屋台や店舗が軒並み営業していな、衝撃と悲しみにい事が目立つくらいで、人通りも交通量も普段通りだった。よく見ていると交通信号が消えている交差点が時々あり、運転手が「まだ電気供給が復旧していない地域がある」とのこと。
  州立博物館で待っていてくれた副館長らと展示エリアや建物の外観被害を一緒に見て回った。広い敷地のため、全体が甚大な被害に遭っているわけではなく。帯状に被害のひどいところがあるように思えた。揺れはひどかった様で、壁や床に随所に亀裂や割れが見られたが倒壊したのは簡易の建物2棟、そして展示棟ではコンクリート製支柱が折れたり天井パネルが落下する被害があったが、他は使用できるようであった。14日のの時点では、数か所の固定していない展示ケースが2-3m動いていることや、ケース内での展示品の破損が確認された程度で安堵していた。しかし、翌日の収蔵庫調査で、甚大な被害が発生していることが判明し、その場は衝撃と悲しみに包まれた。
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<収蔵庫画像撮影 坂本 勇>
  収蔵庫被害の外観写真を、副館長が全域で注意深く記録撮影し、次の復旧ステップを検討中だ。殊に収蔵品のなかで陶磁器の甚大な被害が画像のように目立っている。しかし、中部スラウェシの認知度は低く、なかなか復旧作業用資材や支援がが得られていない。そこで、スラウェシに縁のある人々が中心となって「つなぎ支援」を早急に届けようとしている。
 A.他の収蔵品損傷画像は、以下のURLで。http://npobook.join-us.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/10/sulawesi3.pdf  
 B.パルつなぎ支援募金は以下をご覧下さい。http://npobook.join-us.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/11/sulawesi4.pdf

2.インドネシア国立公文書館ANRI現地被害調査報告(概要)

  坂本氏の10月14-19日の現地調査に先行し、インドネシア国立公文書館の現地調査チーム(ANRI Task Force)が、以下の様に実施され概要がインドネシア語で届きました。Indonesian Heritage Association日本人メンバーの協力で邦文要約が為され、掲載します。

インドネシア国立公文書館被災調査チー厶(以下 tim ANRI と省略)による中部スラウェシ被災状況報告:
   第一報 2018年10月8ー11日実施              
 1 中部スラウェシ州公文書館
   統計資料等、長びく余震により一部損傷  歴史関連資料の棚崩壊により床に落下  
   全体的には被害良好、ホールダーなど取替必  木製棚など主に地図保管エリアにカビ発生
   AC、除湿器必要
   国家の重要歴史資料を保護するため温度/湿度調節必要
 2 パル市公文書館
   保管資料安全  事務所活動、近辺の火災により困難  地震・津波発生日の夜間に事務所に置いてあった重要ノートパソコンが盗まれた(ここ数年のデジタル化データが納められていた)。
   AC、除湿器、資料保護のため 設置必要
   地方自治体に上記必要性伝達  町中心部から、より安全な場所への事務所移転も考慮
 3 地方災害官吏局(BPBD)
   中部スラウェシ地方自治体とtim ANRIとの連携を緊密に   
 4 国家災害官吏局(BNPB)
   中部スラウェシ地方自治体とtimANRIとの連携緊密に
   国家災害官吏局にtim ANRIから 常に詳細な報告を行い、交通情報 等にも役立てる
 5 中部スラウェシTVRI放映局
   職員出勤不可のため、tim ANRI面会不可
   建物一部崩壊 具体的被害状況把握不可
 6 中部スラウェシ警察交通局
   建物、津波により崩壊
   tim ANRIとの協力によりブルドーザーなどを使用し、必要な避難活動開始
   被災復興センターが無かった為デジタルも含め、殆どの資料消失
 7 中部スラウェシ環境保護局
   震度5以上の余震により建物ほぼ崩壊
tim ANRI 建物内侵入不可
   人災は今のところ無い模様
 8 国家イスラ厶教協会IAINパル支部
   建物ほぼ崩壊
   資料内部にある可能性あるもtim ANRI侵入不可
   職員出勤不可
 9 中部スラウェシ教育文化庭園
   庭園近辺に近づく事不可
   瓦礫、死体などの悪臭あり
   職員出勤不可の為、tim ANRI活動不可
 10 中部スラウェシ海洋漁業局
   比較的被害状況良好
   一部職員出勤活動開始  一部資料、水被害
   鐵製棚、汚れを取り安全な場所へ移し無事
   tim ANRI、より乾いた場所にて活動協力
   ホールダーなど一部被害 資料全体の整理依然不可
 11 中部スラウェシ土地官吏局(BPN)
   建物一部ヒビ割れ 資料安全
以上

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by PHILIA-kyoto | 2018-11-04 21:32 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ④

精神的重圧の大きい今回の中部スラウェシ地震災害

 10月19日5日間の現地被災状況調査を終えて、朝7時発のBatik Air便でパルからジャカルタに戻った。
 今次の中部スラウェシ地震・津波災害は、2004年のアチェの地震・津波災害と比べて大きな違いを感じている。

1.パルの街を襲った津波報道の「何を信じる?」

  去る10月2日のBBCニュース日本語版に次のような記事があった。
  「パルの入り江のようなU字型の地形の中に波が入り込んでくる場合、単に海が浅くなるに伴い波が高くなるというだけでなく、波が周りの海岸線からはねかえってくるすり鉢状態になる」 「バンドン工科大学のラティーフ博士によると、パル周辺は以前にも津波被害を受けている。入り江の入り口では高さ34メートルだった波が、パルに到達した時点では8メートルに達していたという1927年の記録が残っているという。」
   だが、今回の津波で、パル湾のセレベス海あるいはマカサル海峡に面した開口部に位置するドンガラのKarang Piaなどには目立った津波被害の痕跡が残っていない様相はBBCの記事では説明がつかない。
  この津波発生のメカニズと様相を正しく理解しておくことは、今後の津波被害の犠牲者を減らす上からも重要な事だ。「Palu被災現地レポート2018 ①」の投稿において、パル州立博物館スタッフに案内されて湾の西岸と東岸を車で廻り、カイリ語で津波の事を”Bomba Talu"という事を教えられた話しを書いた。地震発生から5分以内で津波が襲来したことを地元新聞記者や何人もから聞いた。
  
  今回の津波からの生存者の証言は、多くの日本人が有する「津波」のイメージとは大きく異なっている。地震発生から津波到達まで数時間ある、あるいは一旦海の底が見えるほど引いて津波が来る、という日本での体験談は、全ての世界で起こる津波に当てはまるわけではない。
  国際社会においては、地元の人だけが津波から助かる防災教育だけではダメで、世界の様々なタイプの津波発生のメカニズムと様相を教えていく事が、国際的なDRR(Disaster Risk Reduction)防災教育の在り方だと考えます。

2.液状化被害の各地での深刻さ

  地震・津波被害の甚大な地域を、スマトラ沖大津波、東日本大震災の際に見てきたが、今次のような数キロ四方一帯が液状化し、広大な集落がそっくり泥の中に沈んでいくという惨状を目前にしたのは初めての事だった。 マスコミの報道で良く知られるBaraloa(この近くに第一次調査の滞在先があった)とPetoboの2ヶ所以外にもJonoOge一帯も広域で液状化の甚大な被害が出ていた。
  このJono Ogeは、2008年のBeaten bark調査の際に、Napu渓谷へ行くために通った地域だが、今は主要道路が液状化し、寸断されて通行不能となっていた。<画像右:Napuへ向かう橋の先は、液状化で沈み通行不能に。左画像は橋の下から見た橋脚>
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  今次の地震で液状化した地域は、もともと沼地や湿地帯で、住宅地域に開発するのには不向きだったが、自然も豊かで高級感ある住宅地に変身したのだが…。今回のパル周辺部の液状化は、明らかに人災だと言われるが、数千人の命が失われた。そして同時に今も泥に埋まったままの数千人ともされる住民の鎮魂を忘れないで続けていただければと願う。

3.平和を祈るオーストロネシア語族の玄関口パル

  新石時代に大海原に漕ぎ出していったオーストロネシア語族が、辿りついた中部スラウェシのパル。オーストロネシア語族が辿りついた頃は、海岸線はもっと内陸側にあったと言われているが、現在のどのあたりになるのだろう。
  数千年の時間の変遷の中で、パルは歴史的に重要な位置づけとなり、中央スラウェシの玄関口となった。2008年のNapu渓谷、Besoa渓谷、Bada渓谷での樹皮紙Beaten bark調査の出発点もパルであった。
  その台地は、平和な楽園であったのか、おびただしい人の血が流された争いの絶えない土地だったのか? ポソ紛争当時の悲しい記憶も重なるが、乳と蜜の流れる平和の郷として復興していってほしい。

  時は過ぎ、中部スラウェシで、おそらく「偉大な技術革新」を為し遂げたオーストロネシア語族の人々は、更に西へ西へと大海原を小さなカヌーで航海を続けていった。
  ビックリしたが、樹皮紙/布に関連する語彙を、中部スラウェシ~太平洋諸島で比べてみたら、その共通性に驚かされた。新石器時代の樹皮布を、織物以前の「原始的な布」とする学説が主流だが、インドネシアでのBeaten bark樹皮布/樹皮紙調査研究からは、スピリチュアルな古代の人々の恐怖心を克服させる「聖なる守りの布紙」だったのではないか?と思える痕跡が多々見つかる。
  日本の高知では、オーストロネシア語族にとって重要なものであったフンドシのことを、昔はマロと言ったそうだ。日本の基層にも、オーストロネシア語族の痕跡とおぼしきものが結構見つけられるのかもしれない。
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 パル被災現地レポートが、オーストロネシア語族の雄飛に飛躍してしまった。次の投稿では地震被害の甚大であったパル州立博物館収蔵品について報告する。
           *2018.11.4時点で、投稿のレイアウトとタグ及び内容を一部を変更した。

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by PHILIA-kyoto | 2018-11-02 22:22 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ③

過去の津波被災の痕跡、記録の堆積する街Palu

  Palu湾西側に位置するWatu sampuにはドンガラ織物で知られる数軒の工房が海岸沿いにあった。今回の津波で海沿いの建物は全壊か使用不能状態となっていた。道路を隔てたショップDewi Sutraは無事残っていたが、人々は山の方に逃げ無人状態だった。織機の被害状況など詳細は不明のままだが、人的被害は免れた公算が高い。引き続きJakarta Textile Museumによる被害状況の詳細報告や復旧復興への支援予定を待ちたい。
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  タドラコ大学Tadulako Universityから海岸方向に下っていく道路の右断面には、2000年前頃だったかの津波で運ばれた大きな貝や砂の層が地質学者により報告されている層が見られる。その痕跡からは津波の高さが30mにも達していたと指摘する研究者もいる。<下の画像:2000年前頃とされる津波痕跡>
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  すでにパルPaluの街を何度も襲った津波を報道したオランダ、スラバヤ、マカサルなどの新聞記事の切り抜きがパルのアーカイブズに保管されている。
  知事庁舎近くや中心地には何カ所か、世界の各地で見かけるオレンジ色の津波避難標識が立てられているのも目にした。<下の画像>
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  この数日「地震・津波」に特化して被災地を見て回った。目前の緊急支援ニーズを修復保存専門家の立場でsurveyすると同時に、阪神大震災の時に始めた「平凡だが、明日の復興の拠りどころ、を助けようとした文化情報部/震災記録情報センター発足当時の初心に戻った情報シェアを大事にした。

  一方で日毎に膨らんできたのは、”小さな喜び、大きな悲しみ~歴史を省み活かすことをせず、堆積させてきたPaluの土地柄への思い”だ。そろそろ堆積させてきた「肥やし」を活かす転換も必要だろう。新しい発想をしていく人材が増えてほしい。
  
  頭でっかちで、魂を殺し大きな過ちをやってしまったと個人的には思う東日本大震災復興プランの二の舞を、バルで繰り返さないよう復興プラン策定を支援する日本側関係者に願う。 

  今回の泊まる部屋、食事、車、おいしいコーヒー、情報提供など被災後の厳しい状況で親身に世話していただいた知り合いの知り合い家族に感謝して。  
(Senior Paper Conservatir Sakamoto)

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by PHILIA-kyoto | 2018-10-18 07:31 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ②

MLA被災調査と橋渡し役

  パル市内中心部は機能回復も表面的ながら進み、野外市場の商品も増えてきて、食堂の仮営業もポツリポツリと増えてきている。心配した移動に不可欠のガソリン給油も順調で量の制限は無い。何カ所かの給油所では、武装警官が給油業務を行っていた。 いくつかの学校が16日から再開を始めた。
 
  とは申せ、電気の復旧していない地域、水道の復旧していない地域は多い。地震や津波、液状化で住居や財産をすべて失った方々は膨大な数にのぼる。救援物資の配給も官民で行われているようだが、窮状を聞く。アチェやレイテ島支援で目にした国連支援機関の活動は間もなく始まる予定とされ、始まっていない。15日段階の公式に登録した支援団体は15だと教えてくれたが、提示されたリストでは日本からの緊急援助隊を除く団体の活動は定かではなかった。

  かっては湿地帯だったところを1980年代頃から広域で宅地化し、今回の大規模液状化被害となったと聞く。それとパルの中心街をつらぬく1000kmもの長さのプレートのズレとの複合的被害も起こっているのかもしれない。液状化地域では未だ数千人が救出出来ず、そのままどなった、とされる。

  巨大災害被災地では、積極的に窮状や復興ビジョンを個人的或いは協力して組織的に表明する地域があり、逆に窮状を内にしまい「大丈夫、大丈夫」と応え、組織化が苦手な地域もある。今回の中部スラウェシは後者のように思える。

  MLAとは、東日本大震災後に日本で進んだM=museum、L=librsry、A=archivesを連携させユニットとして被害状況をとらえ、支援していこうとした動きだ。インドネシアでもアチェの災害直後からの日本の「五人委員会支援声明」などにより連携する機運が浸透した。今時の災害では国立公文書館が先遣調査チームtask force teamを10月8~11日に派遣し11箇所の機関の被害状況を報告している  
  その調査に含まれていない州立博物館、3つの地方新聞社、州立病院、タドラコ大学などを16日時点で坂本が訪問調査補完した。州立博物館展示エリアは14日の調査で被害軽微で安堵していたが、15日の調査で収蔵庫の陶磁器を置いていた棚の殆どが倒れ収蔵品の75%程が画像のように粉々に破損した。
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  今後の被災収蔵品回収と修復の作業効率を考え丈夫なプラスチック・ボックスを市内で探したが、入手困難とのことで、坂本のネットワークでPaperina社倉庫にあるオリコン在庫を確認した。早急にジャカルタTextile博物館に移送し、パルへ第一次として50boxesの輸送を行う予定である。
輸送費用を至急工面せねばならず困っている。もし志ある個人、団体があれば奈良の「NPO書物の歴史と修復研究会」へ連絡いただければ有り難い。

  ここでは多くの時間を救助・復旧を担うであろう方々との対話、情報提供に努めている。
  日本側JICAなどが、今後の復旧・復興プラン策定に大きく関与する事が決まったことから、パル州立博物館副館長の神戸・人と防災未来センターの見学研修プログラム参加、地元新聞Radar Sulteng若手記者を東北の地方新聞社、震災遺構、防災体験施設等へ招く機会を作り、地元に根ざす人材育成にも目を向け、支援を期待したい。
 
  スマホでの制約の多い投稿作業のため、画像はジャカルタに戻ってから補いたい。  パル州立博物館にて (Senior Paper Conservator Sakamoto)

*本稿は2018.10.23JKTにてタイトル変更、画像追加などを行った。


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by PHILIA-kyoto | 2018-10-17 07:51 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ①

Palu湾津波Bomba Taluのこと

  津波被災地パルに来て最初に驚いたのは、津波は外海からではなく湾の中央付近(南端から約25km付近)で盛り上がって、周辺、そして南北に高まり押し寄せていったという説明にだ。
  現地Kaili語で津波のことをBombaTaluと言い、その意味は「three wave 3度の波」で、今回地震発生から5分位で第一波が押し寄せ、第二波、第三波の間隔も5分程だったと南端部にいた人は語る。
  海岸沿いに社屋のあるRadar Sulteng新聞社の女性記者は、地震時に社で仕事をしていた。地震直後に停電し、海の方から大きな航空機の騒音のような音が聴こえ、鳥達がバタバタと飛び立つ異常に気づき、すぐに暗闇の中で机の上に置いていた携帯を手探りで探し、裏山に走って逃げて間一髪で助かった。
  湾の中央付近で盛り上がって発生した津波の様子を、離陸直後のBatik航空のパイロットが撮影しておりYoutubeで見られる。
  これまで抱いていた津波のイメージとまったく違った様相のパル湾大津波は、Masjid Tua Waniモスクの目前で起こり、下の画像のように周辺家屋は損壊・消失したが、モスクは奇跡的に残った。 モスク内部は美しく、現在も使われている。
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  本務の博物館の地震被災コレクションや被災デジタルサーバー等のことは順次報告していきたい。Pengawuにて《Senior Paper Conservator Sakamoto》

*本稿は2018.10.23JKTにてタイトル変更、画像追加を行った。

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by PHILIA-kyoto | 2018-10-16 05:58 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20