カテゴリ:中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20( 13 )

 

Palu被災現地レポート2019 ①


Palu被災現地の様子

  2018年9月28日に中部スラウェシPalu地域で発生した大地震・津波・液状化から間もなく6ヶ月となる。
  現地に居て感じる印象は、全般的にパルの人々は精神的にもたくましいことだ。災害後1ヶ月もすると海に釣りに行く人が目につくようになり、市内のローカル市場にも新鮮な魚が多数並べられ、海鮮レストランが次々と賑わいを取り戻した点だ。インドネシアのアチェや日本の東北では、「海」への恐怖感や魚への忌避感が解消までに時間を要し、数ヶ月以上を要しように思えた。
  日本人にとっては、パルの復興計画策定及び実施に日本政府/JICAが国家間の合意に基づき参画することが、不安と期待をもって注目されている点がある。殊に、地域活動に熱心な人々の話題にされるのが「Sea Wallツナミ防潮堤」だ。実施説明の初めでは「津波防潮堤」の必要性に理解を示し好意的なところが多かったようだが、実際に建設の終わった東北の海岸線の写真を見たり、東北を実際に視察したパルなどに住む人々は、否定的な意向を口にする。日本の「技術過信」「構築物を絶対視」する現状に、率直に疑問を感じているのかもしれない。
  去る1月7日にパルの、かってカフェが軒を連ね非常に賑やかだったタリセ海岸でタケヤ・ダイスケ氏による地震と津波を忘れない黄色のインスタレーションとパフォーマンス(https://goo.gl/images/NAMu8m)が行われたが、その実施を担ったのがForum Sudut Pandangだった。同団体は津波や液状化の被災場所に「ヒマワリ」を植える活動も行っていて、日本から届けられる「はるかのヒマワリ」の種も播く予定だという。大きな被害を出した災害から謙虚に学ぶと同時に、今後の災害に人的被害を軽減できる方策が講じられることも不可欠だ。だが、その方策や答えは、たったひとつなのではなく、対話から複数個うまれることも多い。今後を見守っていきたい。

  パル州立博物館への地震直後からの日本の支援は、現在も継続して行われており、その活動は複数の新聞に掲載された。インドネシアで発行されている「じゃかるた新聞」の2月15日号にも記事が載ったので、博物館での作業の画像と共にURLを記載しておく。
  https://www.jakartashimbun.com/free/detail/46328.html

**タイトルを2029.3.21変更。

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by PHILIA-kyoto | 2019-03-11 02:23 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑫

被災地パル州立博物館にて

  雨季がすでに始まったものの、30分も日差しの下を歩いていると汗が吹き出し、頭から思考能力が失われていく。日陰でも手元の温度計を見ると35℃あるが、風の通る日陰に座っていると快適だ。州立博物館の敷地は広く、快適に涼める場所が何カ所かある。
  毎日博物館に通っていると、3-40人居るスタッフは、昨日は日本人がどこを訪ね、何をしていたか、早や耳で知っているようだ。時には話しかけてきたり、驚くような情報を持ってきてくれる場面も増えてきた。
  博物館副館長の影響が大きいのだろうが、潜在的能力を有するスタッフも居て、彼らの話を聞いていると、驚くこともある。
  今回のパル災害で一気に注目されることになった「液状化Likuifaksi」だが、専門家でも想定しておらず、誰も予期していなかった災害と思っていた。
  Balaroa,Petobo, Jono Oge, Sibalaya の4地域で数千人を生き埋めにしてしまったとされる。
 だが、彼らの情報では2012年に以下の画像のように「液状化Likuifaksi」現象の起こる可能性について、古地図を使って液状化の起こるメカニズムを論文として発表していた、というのだ。6年も前に、既に液状化を専門的に調査研究してきた方がおられたとは。
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  そのうち、一冊の青い表紙の本を持ってきてくれたスタッフが、地震の前日に、パル湾の津波と活断層を研究をしているAbdullahさんが、パルにある国立タドラコ大学で、活断層の歪みについて講演していた…と、驚きの証言。<Abudullahさんの2017年12月に出版された本の表紙画像>
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  中部スラウェシの街Paluには、災害分野でも研究熱心な方々が多々おられるようだ。
  向こうの木陰では、災害現象と民間説話や神話について、語り合う地元紙の男性記者らが
数人で話していた。

  来年2019年早々に、パル博物館の副館長と地元紙Radarの若手記者を、UNESCO本部の資金で神戸・東北に招請することが決まっている。共通する災害に見舞われる日本とインドネシアの様々の専門分野の方々が、蓄積してきた経験や情報のシェアを始めていくと、互いに新たな発見や展開が期待できるかもしれない。   

by PHILIA-kyoto | 2018-12-17 00:54 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑪


2ヵ月半経ったパルの様子

  パル市内の街の様子は、震災前と同じような活気を回復しつつある。公設市場の物資も豊富になった。だが、一歩山間地や人里離れた地域に踏み込むと、簡素な防水シートで四方を囲ったテントに生き残った家族が身を寄せ、地域の細々とした助けで暮らしている現状がある。
  交通手段として必須のモーターバイクも仕事があれば、クレジットか現金で購入できるが、無一文になってしまい仕事も失った人々には厳しい現実がある。

  津波災害を受けたバンダ・アチェや東北の街で、被災後の人々の意識の変化を見る機会があった。
  パルで、強く感じることは、「強靭な精神力、災いを思い出さない気質」が、比較的強いように思えた事だ。地元紙の記者が、田舎のロンボクでは震災を取り上げた記事が書き易いが、都市のパルでは書きづらいという印象を述べていたのと通じる点があるのかもしれない。外に居ると頭がボーとなるくらいの暑さ、が其の原因、あるいは様々なこれまでの経緯から、このような土地柄が生まれたのだろうか?
  例えば、バンダ・アチェでは、津波の映像と伝統音楽を組み合わせた「カセット・テープ」が、何種類も販売されていたが、そのような事はパルでは想像もできない。
  忘れる事は必要であり、本能的なことなのかもしれない。しかし、パルの地震災害の専門家や博物館のリーダーらは、「次の災害時の死者や被害の軽減」という観点から、過去の災害、今次の災害から発生のメカニズムや被災の実態および歴史を学ぶ必要性を指摘する。
  これまでの2回のパル滞在で、日本の被災地で目にするのと同じように、損壊した建物の壁や塀に、様々な心の叫び、メッセージを書き残しているのを目にしてきた。これらが目に出来るのは、1,2ヵ月よりも短いだろう。解体撤去のスピードも早そうだし、太陽光線も強く、退色・劣化も急速だからだ。

損壊建物に残された、被災直後のメッセージを撮影記録し明日にのこそう!!

  地震・津波・液状化災害を受け、一瞬にして愛する人々、家や家財、ライフラインや思い出等を失う事に遭遇したパルの人々。
  彼らも、他の被災地で見かけたように「心の叫び」「衝動的に書き残したかったメッセージ」を、損壊し痛々しくなった壁面や、様々な平面に書き残すことを行った。現在の「災害のことなど無関心」のそぶりをするパルの人々の、抑えきれずに噴出した心の叫びが損壊した建物に残されたのだ。
  多くの心の叫びが、若い世代によって書かれた事も思えば、復興でどんどん街が変貌し、人々の意識や記憶も上書きされ失われていく中で、「いつか大事な震災直後の記憶」が、明日の復興への励ましになる時が来るように思う。

  阪神大震災の時に、阪神間の世代を越えた「明日の復興のために」という呼びかけで、様々なクリエイティブなアイデアが実践され蓄積されてきた。その蓄積の一部を、パルにも種を播いてみよう。
  今から23年前に神戸で始まった「思い出の品々、地域の遺産のサルベージ活動」「組織的な震災記録を残す活動」などについての第一次資料が、神戸大学震災文庫に稲葉洋子司書らの努力で保存され、閲覧できる。 <パルのCafe Awenにて>
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  液状化(Likvifaksi)でBalaroa地域の1x2kmほどが泥沼化し、住民の多くが呑み込まれ埋まったままとなった。最近、液状化被災地に、国旗や三角旗が住民たちによって立てられた。
この未曽有の惨状となった液状化は、古来からのKaililiの地名や伝承を無視した移住政策により発生した人災とも考えられ、Petobo, Jono Oge, Sibalayaを加え4か所で大規模に発生した。2012年に「Penyelidikan Geologi Teknik Potesi Liquifaksi Daerah Palu」という論文が、Risna Widyaningrumにより発表されており、様々な検証が願われる。
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<一部記載を2018.12.11. 11:45amに修正、補足した



by PHILIA-kyoto | 2018-12-09 11:05 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑩

パル州立博物館の陶磁器コレクション救出回収作業<追加画像>

  日本から5千キロ以上離れた中部スラウェシPalu博物館の、甚大な地震被害(約6割が損傷と推定)を蒙った陶磁器コレクションを、主として日本側が救出回収、修復を支援する経緯から、作業画像を補足掲載しておく。
  陶磁器回収作業現場の下側に、刀剣コレクションの山が置かれているが、日本刀スタイルのサーベルは170cmほどの長さだ。
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by PHILIA-kyoto | 2018-11-28 19:28 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑨


Palu中部スラウェシ州立博物館の落下陶磁器回収

  パルには11月16日(金)から21日(水)までの6日間入った。ジャカルタからの同行者は、オーストラリアで絵画修復を学んでいるインドネシア人男子学生1名だ。
  州立博物館の陶磁器は中核コレクションで、6割ほどが地震で棚から落下し破損したと推定されている。今回は、床に落下した陶磁器類を、落下散乱位置を区域ごとに明示し、写真で現状を記録撮影してから、今後の修復に望ましい回収方法を考え、事前にインドネシア語に訳した回収作業マニュアルを使って、なるべく個単位でプラ袋に収納し、不注意で災害後に破損したりしないようにオリコンに回収した。回収作業は、金、土、日の3日間をフルに使って実施された。
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  この後は、登録台帳と一点ずつ収蔵品を照合し、破損状態も短く付記しておき、来年1,2月頃から予定される修復作業に備えて保管しておくこととなる。 
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  今回は、日本からの応急作業資材として、ホビー用チリ取りセット8組。90Lプラ袋10枚、70L透明プラ袋50枚、45L透明プラ袋50枚。ジップロック袋2種各50枚。各種荷札200枚。タコ糸2巻。カラー布ガムテープ5本、赤黒中細マジックインキ各3本。布手袋20組。マスク20枚。使い捨て手袋30枚。手術用キャップ20枚。などを1ボックスを携行。ジャカルタでオリコン15個を調達し携行。透明チャック付きプラ袋が不足しパルで購入。オリコンも不足し応急的に農作業用プラボックスを現地購入した。

  前回訪問から約1ヶ月が経ち、空港から州立博物館へ向かう道沿いや中心部の店舗はかなり営業を再開していた。ホテルはまだ再開は聞かないが、小さなLosmen安宿は何軒か営業を始めていた。電気は建物が残った地域では、ほぼ復旧していたが、電力量が不足の様で、数時間ずつ地域毎に計画停電を実施している、とのことであった。水道の復旧は部分的で、各地で復旧の目途が立っていないようだ。
  海岸沿いの津波被災地域は、被害状況と被災者の様子が把握しやすいが、山間部の奥の方などは、取材対象にもなりにくいことから、忘れられ或いは埋もれていき、支援の手も届きにくいと思われた。何万人の人々が、家を失い、応急的なテントや建設がボチボチ始まった仮設住宅に住んでいるのだろう? <下の画像はDongala県, Kola Kolaで>
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by PHILIA-kyoto | 2018-11-25 23:34 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑧

パルのオジサン達はコーヒー大好き

  これまでに10回以上来ているパルであるが、地元ブランドのコーヒー店を意識して行くようになったのは今回が初めての経験であった。滞在先から州立博物館へ行く前に1個所、帰路に1カ所寄るようにした。古くからある店、最近出来た店。いったい何軒のコーヒー店がパル市内にはあるのだろう。
  パルに着いて最初に連れて行ってもらったのはJl.Sungai Maei no.7のHarapan Indah。地元のオジさん達で混んでいた。パルではフランチャイズのグループが複数あるが、ほとんどの店は「炭火」で大きな寸胴鍋に湯を沸かし、SurikayaジャムのRoti Bakar(トーストパン)の焼き目をつけるのに使っている。そして、3つの大きなアルミ缶を備え、コーヒー粉・紅茶・砂糖を入れるのに使うスタイルが共通して定着していた。
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  コーヒー文化が昔から浸透しているようで、仕事前に寄っていく人も多く、朝の6時頃から営業している店も結構ある。昔からの店はどこも地元Sigi産のコーヒー豆を使用しKulawiかNapuのどちらかの地域から運ばれてくる。
  入れ方は、大きな布フイルターに細かい粉を入れ、ヒシャクで熱湯を注ぎ、時々棒で拡販して大きなポットに入れて、それから個々のグラスに注いでいた。 注文が1,2杯だと大きな布フイルターから直接グラスに注ぎ入れることもある。
  飲み方として、ほとんどは、グラスにコーヒーを注いだ後に工業製品の缶コンデンス・ミルクを1cmほど注ぎ入れて客に出され、その後にスプーンで丁寧にコーヒー液とミルクを混ぜ合わせ、その工程そのものを愉しんでいるようだ。昔からのコーヒー店の朝の定番は、黄色いNasi Kuning(サフラン・ライㇲ)かRoti Bakar(トーストパン)だ。スマトラ島アチェの住人もコーヒー好きだが、アチェの方がコーヒー店で売られる手製菓子の種類も多く豊かな食文化に思えた。
   3日目の夕方に寄ったコーヒー店は、Aweng Coffee / SIS Aljufrieだ。広い打ちっぱなしの庭にがっしりした木製のテーブルと椅子が並べられ、ゆったりした構えの店だ。店内には昔の街並みの写真が飾ってあり、独立前には日本人経営の映画館「FUJIYAMA」の看板も写っていた。
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  パルの老舗のコーヒー店が、いずれも中国系の人によって創業されたというのも、何か事情があったのだろう。
  ジャカルタに戻る前の夕方に、州立博物館であった若いアーティストらから教えられたKOPI TAROに行った。住宅街の一角にある落ち着いたお店で、各地のコーヒー豆を置いていたが、入れ方はベトナムのアルミ製フイルターで時間をかけて入れていた。コーヒーだけのKopi Hitamもあったが、コンデンスミルクを1cmほど入れるKopi Susuを頼んだ。何軒もコーヒ―店をはしごしての印象出は、地元の人々はコーヒーの味を愉しみ、香りにはあまり頓着していないように思えた。
  かって秘境ともされるLore地域を旅した時に、小さな農家の庭に植えられたコーヒーの木から採取した豆を鍋でローストし、石で細かく挽いてコップに入れ、お湯を注いで粉が沈んでから上澄みを飲むKopi deburukという方法で出してくれた。いつごろ、スラウェシにコーヒーの苗木が持ち込まれ、栽培が始まり、住民らも飲むようになったのだろうか? パルの大災害が契機となって、関心をもつようになったパルやシギのコーヒー文化。 チャンスがあれば、もう少し掘り下げて探求してみたい。

  

by PHILIA-kyoto | 2018-11-25 06:27 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑦

パル州立博物館の破損陶磁器等コレクションへの復旧支援

  世界各地で多発傾向にある大規模災害に、感覚がマヒ気味になったり、疲労したり、という事情から、特定の被災地への継続支援を行う事が難しくなってきている。
  去る9月28日に発生したパル大地震・津波・液状化被災地であるパル、ドンガラ、シギ地域についての報道やweb情報も急減した。
  奈良のNPO「書物の歴史と修復の研究会」は、2018年5月から「カジノキ天の衣Project」を行っていた関係で、今次の中部スラウェシ地震・津波・液状化災害発生後の15日目に、ジャカルタTextile Museum特別研究員の坂本氏を被害状況調査のため現地に派遣。現地での、博物館、図書館、公文書館、大学、病院、新聞社などの被害状況を、インドネシア国立公文書館の調査チームに続いて10月14日~19日に調査を行った。この2つの調査に基づき、パル州立博物館の被害が甚大だった陶磁器コレクション(被災前の登録数834点)等が、今後の観光産業や地域の歴史を知る上で重要と判断し、関係機関と協議の上で第二期の支援を行う事となった。
  第二期復旧作業に当たって、東南アジアの陶磁器に造詣深い坂井氏に被害写真を送り様々な助言やインドネシア語での作業上の注意点や手順を記した要綱を提供いただき、必要資材の調達にも反映させた。まず作業に必要とされた「散乱陶磁器を回収する耐久性、使い勝手の良いプラスチック・ボックス」「棚から落下し粉々になった陶磁器を、微細な5mm以下の破片も含め回収する透明プラ袋」「チリ取りとミニほうき」「散乱した破片の位置を記し付与する荷札」などの調達や輸送に協力した。
  第二期の中部スラウェシPalu現地支援は11月16日(金)から行うこととなった。

by PHILIA-kyoto | 2018-11-18 22:24 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑥

様変わりを感じる国際的支援

  これまでの大規模災害被災地、たとえば2005年のバンダアチェ、2013年のフイリピン・レイテ島での印象では、各国連機関の専用車両や拠点事務所の存在感が強く残った。
  それが、このところのロンボク島地震の時や、今次の中部スラウェシ地震・津波では、国連機関の専用車両が見られない。ある情報ソースからは、国連機関に属するスタッフは、救援関係活動のため現地入りする事が許されていない、言い換えると入域禁止の指示が出されているようである。
  これは、インドネシア国だけの事例なのか、世界の各地で吹き始めた「風向きが変わる」大きなウネリなのか、注意して見ていく必要があろう。これまで、世界各国の被災地で、迅速に”自然の流れで”展開してきた国連機関であったが、その功罪と影響について、様々な角度から見直していく事は重要であろう。  <画像は、パル州知事庁舎内に開設されたインドネシア外務省現地調整事務所>
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明日11月16日から再びパルに入るが、どのように現地は復旧しつつあるだろうか?

by PHILIA-kyoto | 2018-11-05 01:23 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ⑤

1.パル州立博物館収蔵品の被害状況
 
  ジャカルタを10月14日(日)午前5時にLion Airで発ち、パルMutiara SIS Aljufri空港に8時35分に到着。日本及びインドネシアで調達した支援物資を迎えの車に積み、まっすぐ州立博物館へ向かった。
  思い返すと、2004年のスマトラ沖大津波後にバンダアチェの空港に到着した際には、GAMとの交戦状態で外国人の入域禁止令が布告されていて、空港敷地内には重火器を携行した兵士たちが大勢いて戦車も数台見られた。また、アチェ州に施工されていたイスラム法(シャリア法)が実施されている事への緊張感が漂っていた。それに比べ、パル空港には、救援活動に従事する米空軍輸送機などが見えるものの、装甲車も兵士も見かけず、到着ロビー及び敷地内の様子は緊迫した雰囲気は無かった。空港から博物館へ向かう道路沿いも、日中なのに屋台や店舗が軒並み営業していな、衝撃と悲しみにい事が目立つくらいで、人通りも交通量も普段通りだった。よく見ていると交通信号が消えている交差点が時々あり、運転手が「まだ電気供給が復旧していない地域がある」とのこと。
  州立博物館で待っていてくれた副館長らと展示エリアや建物の外観被害を一緒に見て回った。広い敷地のため、全体が甚大な被害に遭っているわけではなく。帯状に被害のひどいところがあるように思えた。揺れはひどかった様で、壁や床に随所に亀裂や割れが見られたが倒壊したのは簡易の建物2棟、そして展示棟ではコンクリート製支柱が折れたり天井パネルが落下する被害があったが、他は使用できるようであった。14日のの時点では、数か所の固定していない展示ケースが2-3m動いていることや、ケース内での展示品の破損が確認された程度で安堵していた。しかし、翌日の収蔵庫調査で、甚大な被害が発生していることが判明し、その場は衝撃と悲しみに包まれた。
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<収蔵庫画像撮影 坂本 勇>
  収蔵庫被害の外観写真を、副館長が全域で注意深く記録撮影し、次の復旧ステップを検討中だ。殊に収蔵品のなかで陶磁器の甚大な被害が画像のように目立っている。しかし、中部スラウェシの認知度は低く、なかなか復旧作業用資材や支援がが得られていない。そこで、スラウェシに縁のある人々が中心となって「つなぎ支援」を早急に届けようとしている。
 A.他の収蔵品損傷画像は、以下のURLで。http://npobook.join-us.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/10/sulawesi3.pdf  
 B.パルつなぎ支援募金は以下をご覧下さい。http://npobook.join-us.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/11/sulawesi4.pdf

2.インドネシア国立公文書館ANRI現地被害調査報告(概要)

  坂本氏の10月14-19日の現地調査に先行し、インドネシア国立公文書館の現地調査チーム(ANRI Task Force)が、以下の様に実施され概要がインドネシア語で届きました。Indonesian Heritage Association日本人メンバーの協力で邦文要約が為され、掲載します。

インドネシア国立公文書館被災調査チー厶(以下 tim ANRI と省略)による中部スラウェシ被災状況報告:
   第一報 2018年10月8ー11日実施              
 1 中部スラウェシ州公文書館
   統計資料等、長びく余震により一部損傷  歴史関連資料の棚崩壊により床に落下  
   全体的には被害良好、ホールダーなど取替必  木製棚など主に地図保管エリアにカビ発生
   AC、除湿器必要
   国家の重要歴史資料を保護するため温度/湿度調節必要
 2 パル市公文書館
   保管資料安全  事務所活動、近辺の火災により困難  地震・津波発生日の夜間に事務所に置いてあった重要ノートパソコンが盗まれた(ここ数年のデジタル化データが納められていた)。
   AC、除湿器、資料保護のため 設置必要
   地方自治体に上記必要性伝達  町中心部から、より安全な場所への事務所移転も考慮
 3 地方災害官吏局(BPBD)
   中部スラウェシ地方自治体とtim ANRIとの連携を緊密に   
 4 国家災害官吏局(BNPB)
   中部スラウェシ地方自治体とtimANRIとの連携緊密に
   国家災害官吏局にtim ANRIから 常に詳細な報告を行い、交通情報 等にも役立てる
 5 中部スラウェシTVRI放映局
   職員出勤不可のため、tim ANRI面会不可
   建物一部崩壊 具体的被害状況把握不可
 6 中部スラウェシ警察交通局
   建物、津波により崩壊
   tim ANRIとの協力によりブルドーザーなどを使用し、必要な避難活動開始
   被災復興センターが無かった為デジタルも含め、殆どの資料消失
 7 中部スラウェシ環境保護局
   震度5以上の余震により建物ほぼ崩壊
tim ANRI 建物内侵入不可
   人災は今のところ無い模様
 8 国家イスラ厶教協会IAINパル支部
   建物ほぼ崩壊
   資料内部にある可能性あるもtim ANRI侵入不可
   職員出勤不可
 9 中部スラウェシ教育文化庭園
   庭園近辺に近づく事不可
   瓦礫、死体などの悪臭あり
   職員出勤不可の為、tim ANRI活動不可
 10 中部スラウェシ海洋漁業局
   比較的被害状況良好
   一部職員出勤活動開始  一部資料、水被害
   鐵製棚、汚れを取り安全な場所へ移し無事
   tim ANRI、より乾いた場所にて活動協力
   ホールダーなど一部被害 資料全体の整理依然不可
 11 中部スラウェシ土地官吏局(BPN)
   建物一部ヒビ割れ 資料安全
以上

by PHILIA-kyoto | 2018-11-04 21:32 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20  

Palu被災現地レポート2018 ④

精神的重圧の大きい今回の中部スラウェシ地震災害

 10月19日5日間の現地被災状況調査を終えて、朝7時発のBatik Air便でパルからジャカルタに戻った。
 今次の中部スラウェシ地震・津波災害は、2004年のアチェの地震・津波災害と比べて大きな違いを感じている。

1.パルの街を襲った津波報道の「何を信じる?」

  去る10月2日のBBCニュース日本語版に次のような記事があった。
  「パルの入り江のようなU字型の地形の中に波が入り込んでくる場合、単に海が浅くなるに伴い波が高くなるというだけでなく、波が周りの海岸線からはねかえってくるすり鉢状態になる」 「バンドン工科大学のラティーフ博士によると、パル周辺は以前にも津波被害を受けている。入り江の入り口では高さ34メートルだった波が、パルに到達した時点では8メートルに達していたという1927年の記録が残っているという。」
   だが、今回の津波で、パル湾のセレベス海あるいはマカサル海峡に面した開口部に位置するドンガラのKarang Piaなどには目立った津波被害の痕跡が残っていない様相はBBCの記事では説明がつかない。
  この津波発生のメカニズと様相を正しく理解しておくことは、今後の津波被害の犠牲者を減らす上からも重要な事だ。「Palu被災現地レポート2018 ①」の投稿において、パル州立博物館スタッフに案内されて湾の西岸と東岸を車で廻り、カイリ語で津波の事を”Bomba Talu"という事を教えられた話しを書いた。地震発生から5分以内で津波が襲来したことを地元新聞記者や何人もから聞いた。
  
  今回の津波からの生存者の証言は、多くの日本人が有する「津波」のイメージとは大きく異なっている。地震発生から津波到達まで数時間ある、あるいは一旦海の底が見えるほど引いて津波が来る、という日本での体験談は、全ての世界で起こる津波に当てはまるわけではない。
  国際社会においては、地元の人だけが津波から助かる防災教育だけではダメで、世界の様々なタイプの津波発生のメカニズムと様相を教えていく事が、国際的なDRR(Disaster Risk Reduction)防災教育の在り方だと考えます。

2.液状化被害の各地での深刻さ

  地震・津波被害の甚大な地域を、スマトラ沖大津波、東日本大震災の際に見てきたが、今次のような数キロ四方一帯が液状化し、広大な集落がそっくり泥の中に沈んでいくという惨状を目前にしたのは初めての事だった。 マスコミの報道で良く知られるBaraloa(この近くに第一次調査の滞在先があった)とPetoboの2ヶ所以外にもJonoOge一帯も広域で液状化の甚大な被害が出ていた。
  このJono Ogeは、2008年のBeaten bark調査の際に、Napu渓谷へ行くために通った地域だが、今は主要道路が液状化し、寸断されて通行不能となっていた。<画像右:Napuへ向かう橋の先は、液状化で沈み通行不能に。左画像は橋の下から見た橋脚>
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  今次の地震で液状化した地域は、もともと沼地や湿地帯で、住宅地域に開発するのには不向きだったが、自然も豊かで高級感ある住宅地に変身したのだが…。今回のパル周辺部の液状化は、明らかに人災だと言われるが、数千人の命が失われた。そして同時に今も泥に埋まったままの数千人ともされる住民の鎮魂を忘れないで続けていただければと願う。

3.平和を祈るオーストロネシア語族の玄関口パル

  新石時代に大海原に漕ぎ出していったオーストロネシア語族が、辿りついた中部スラウェシのパル。オーストロネシア語族が辿りついた頃は、海岸線はもっと内陸側にあったと言われているが、現在のどのあたりになるのだろう。
  数千年の時間の変遷の中で、パルは歴史的に重要な位置づけとなり、中央スラウェシの玄関口となった。2008年のNapu渓谷、Besoa渓谷、Bada渓谷での樹皮紙Beaten bark調査の出発点もパルであった。
  その台地は、平和な楽園であったのか、おびただしい人の血が流された争いの絶えない土地だったのか? ポソ紛争当時の悲しい記憶も重なるが、乳と蜜の流れる平和の郷として復興していってほしい。

  時は過ぎ、中部スラウェシで、おそらく「偉大な技術革新」を為し遂げたオーストロネシア語族の人々は、更に西へ西へと大海原を小さなカヌーで航海を続けていった。
  ビックリしたが、樹皮紙/布に関連する語彙を、中部スラウェシ~太平洋諸島で比べてみたら、その共通性に驚かされた。新石器時代の樹皮布を、織物以前の「原始的な布」とする学説が主流だが、インドネシアでのBeaten bark樹皮布/樹皮紙調査研究からは、スピリチュアルな古代の人々の恐怖心を克服させる「聖なる守りの布紙」だったのではないか?と思える痕跡が多々見つかる。
  日本の高知では、オーストロネシア語族にとって重要なものであったフンドシのことを、昔はマロと言ったそうだ。日本の基層にも、オーストロネシア語族の痕跡とおぼしきものが結構見つけられるのかもしれない。
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 パル被災現地レポートが、オーストロネシア語族の雄飛に飛躍してしまった。次の投稿では地震被害の甚大であったパル州立博物館収蔵品について報告する。
           *2018.11.4時点で、投稿のレイアウトとタグ及び内容を一部を変更した。

by PHILIA-kyoto | 2018-11-02 22:22 | 中部スラウェシ地震・津波・液状化災害20