無知蒙昧な沖縄
首里城火災直後にインドネシアから駆け付け、同年4月のフランス・ノートルダム大聖堂火災と比較しながら、今後の再建に最も重要となる「出火原因の解明」を見守ってきた。沖縄にも数か月滞在し、努めてキーパーソンとなる方々を訪ね、面談も行ってきた。
また、東京の「失敗学会」に「首里城火災 分科会」を呼びかけ設立し、火災原因究明の共同作業も続けた。令和2年11月30日付「沖縄県議会議長宛の以下の表題の陳情書を提出し実質的活動を終えた。
参考:「再発防止対策に不可欠である「首里城火災の出火・延焼拡大・文化財焼失原因の要因と管理体制」に関する県議会及び第三者委員会での調査・検証を促し、定期的に経過報告を求める陳情」
2021年3月に「沖縄県首里城火災に係る再発防止検討委員会において「首里城火災に関する再発防止等報告書」が出された。
その後、2022年12月27日発行の『日仏工業技術会会誌』に沖縄県首里城火災に係る再発防止検討委員会委員だった長谷見雄二氏(早稲田大学名誉教授)が、多少誠実な原因解明の糸口を「首里城火災と正殿の再建計画における防火対策」というタイトルの一文の中に埋め込んであるが、結局「無知蒙昧な沖縄」に迎合した出火原因不明となっていた。
実は首里城火災は「沖縄の試金石」でもあった。
官民一体となって火災後「再建復興」に邁進しておられるが、世界的には、復元品の首里城正殿よりも文化財的、資料的価値の格段に高いのは国宝「琉球国王尚家関係資料」1292点である。
その中身に関して、文化庁のデータベース解説では、「琉球工芸の優品である「琉球王尚家伝来品」と文書・記録類の総体は、琉球王国を立体的に把握する上で比類のない資料群であり、南海に存在した琉球王国とその歴史・文化を語る唯一まとまった資料群としてきわめて高い価値をもつ。」とある。
無知蒙昧で首里城火災から全く学ばず、出火の責任もウヤムヤにし、改善もしない沖縄においては「国宝」など置く状況には、そもそも無い、と断言したい。
この件に関しては、これまた那覇市と沖縄県の不毛な対立が延々と続いているようであるが、この先は以下の記事を参考に、現状を各自究明していただきたい。
首里城火災前の2013年7月12日付けの琉球新報に以下のような「尚家国宝、中城御殿へ 22年度公開目指す」という見出しで記事が載った。
「県が復元計画を進める中城御殿(なかぐしくうどぅん)=那覇市首里大中町の旧県立博物館跡=に、那覇市が所有する国宝「琉球国王尚家関係資料」を寄託、展示する計画が進んでいる。
中城御殿には琉球王国時代の王の世継ぎが住んでいた。NPO首里観光協会(金城英輝代表)が那覇市議会に尚家国宝の県への寄託を求める陳情が、6月26日に採択された。1879年の「琉球処分」の際、首里城から中城御殿に移され、その後東京に運ばれ戦禍を逃れた琉球の宝が、長年の時を経て首里に戻ることになる。
県は2022年度にも中城御殿の一般公開を目指している。今後、中城御殿跡地整備検討委員会で、国宝受け入れに向けた施設整備の内容を詰める。検討委は10年12月から8回開かれた。開始当初から展示エリアの整備計画はあったが、尚家の国宝展示は想定していなかった。
「古都に尚家の宝を戻したい」と動きだした首里観光協会は、県議会への陳情を12年に行い、採択された。署名活動も展開し、約2千人の署名を集め、那覇市議会に提出した。
尚家の国宝は、美術工芸品や古文書など1251点ある。首里城公園の首里城南殿、北殿などにも展示スペースがあるため、検討委は、総合的な展示方法を検討していく。
さてさて、世界を馬鹿にした沖縄の現状と先行きは如何に ??
**2023年1月31日0:58に投稿の一部修正を行った。